ニュースレター

2014年04月30日

 

海士町における地域経済と幸せ

Keywords:  ニュースレター  レジリエンス  市民社会・地域  幸せ 

 

JFS ニュースレター No.140 (2014年4月号)

写真:海士町
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2013年度、JFSでは「地域の幸せ指標」を1つのテーマとして取り上げて、取り組んできました。今回のニュースレターでは、2014年2月6日に開催したシンポジウム『地域から幸せを考える』より、株式会社 巡の環 代表取締役・阿部裕志氏による事例発表、「海士町における地域経済と幸せ」の要約版をお届けします。

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僕は海士町の生まれではありません。愛媛県の新居浜市に生まれて、10歳のときに愛知県に引っ越して、その後大学で京都に6年行った後に、トヨタ自動車に就職しました。4年ほど生産技術分野のエンジニアリングを担当した後に退職し、6年前に隠岐諸島の海士町に移住して、「巡の環」を起業しました。

歴史的には、後鳥羽上皇が承久の乱に敗れてご配流になられた場所ということで、神楽があるなど、いろいろな伝統芸能や歴史遺産が残っている島です。人口は2,370人、島の大きさは、車で一周1時間半くらいの大きさです。

財政規模は、40~50億円ぐらいです。保育園が1つ、小学校が2つ、中学校が1つ、高校も1つです。

海士町はどこにも負けない過疎地です。高齢化率で言うと、日本平均の50年先を行く、課題先進地です。他の多くの過疎地と違うのは、合併をしなかったことです。その代わりに、徹底した行財政改革や産業創出、交流を進めた結果、2004~2012年の9年間で、Iターンが人口の10%以上を超える361人、Uターンが204人となりました。定着率は6割ほどですが、それでもほかの中山間地域に比べると高く、I・Uターンが増えていると、注目を集めています。

海士町の山内町長は、「自立、挑戦、交流」という言葉を大事にしており、合併をしなかったときに「自立促進プラン」という、守りの戦略と攻めの戦略を立てました。守りの戦略は徹底した行財政改革で、平成17年度には大幅な給与カットを行い、町長は50%カット、職員も30~16%カットし、日本一安い公務員としてスタートを切りました。攻めの戦略は2つで、「島まるごとブランド化」で商品を作っていくことと、小さな島だからこそできる「日本一の教育」です。

海士町では、何もしなければ待っている人口減少社会の中の絶望的な未来に対して、「努力することで変えられた未来のある現実」が少し見え始めています。それをより大きくして、世界に未来への希望を広げていきたいと思っています。

例えば、人口減少はわかっていることですが、実際にどうなったかという事例を紹介します。平成17年の人口は2,465人でした。当時立てられた「5年後の人口」予測に対して、実際は、人口自体は減っていますが、予測に対しては150人増えています。特に、40代以下の人口区分を見るとすべて増えています。人数は減っても、地域を維持・構成するのに必要な人口分布に変わっていくという意味では、少し現実が変わってきたのです。

行政の基金残高を見ると、消費税導入や地方交付税の増額により、一時的に財政は健全化しましたが、膨らみすぎた公共事業の公債の返還でまた厳しくなりました。地方交付税が増える前提で公共事業を増やしたのですが、結果として増えなかったのです。このままでは大変だということで、町では「やるぞ計画」を立てました。

経費の見直しや、昇給の見直しなどをする中、財政は少し改善されましたが、地財ショックと呼ばれる国の方針変更により、また更に悪化します。平成15年には「平成18年には赤字団体となり、20年には財政再建団体になる」というシミュレーションが出されました。3年後に赤字になるという恐ろしい結果が見えたときに、たいていの自治体は合併をして、合併交付金でこの危機を乗り切ろうとしたと思うのですが、海士町の場合は、大幅な給与カットや、攻めの戦略と守りの戦略によって基金が上昇し、成果が出始めています。

海士町を含む周辺3つの島を島前(どうぜん)と呼ぶのですが、その中で唯一の隠岐島前高校も、平成20年に1学年28人まで減少し、平成26年くらいには廃校になるのではと危惧されました。しかし、島前の中からの入学率を上げる活動と、島留学で島外からの入学者数を増やすという活動をした結果、今年は全学年2クラスになっています。1年生が59人、2年生が45人、3年生が52人いますが、その半数ほどが主に都会からの島留学です。入学志望者数もV字回復という成果が生まれ始めています。

そんな中で私たち「巡の環」がやりたいことは、持続可能な未来に本気で挑戦するひとづくりです。人口減少社会の中でも、心身共に豊かに生きられるための「社会の変容」と「個人の変容」のモデルを海士町で作っていき、それを学び、世界に広げられる学校を作りたいというものです。

そのために行っているのは、まずは海士町が持続可能な社会のモデルとなれるよう、行政と地域の方々のつなぎ役として貢献をしながら、そのモデルを国内や海外に発信していくことです。海士町を舞台に、都会と田舎が気持ちよく共存できる仕組みを作っていきたいと思っています。

僕はよそ者ですから、まずは島の人たちとの信頼関係を作ることが大切です。今6年目ですが、教育委員という立場もいただくなど、いろいろな島の中の活動を通じて信頼関係はだいぶできてきたかなと思います。

会社の事業としては、海士町を社会の変容のモデルとできるための「地域作り事業」、地域から学ぶことで社会の変容を進める人を育成することと、個人の生き方を変容するきっかけを作る「教育事業」、そういった変容を広げていくための「メディア事業」を行っています。

教育事業の1つとして、海士五感塾という研修プログラムがあります。これは、個人の変容のきっかけづくりです。海士町を舞台にして、企業や組織から学びに来る方々が仕事力の元となる人間力を高めます。具体的には、島の未来に本気で挑戦する人たちの高い志に触れ、自然豊かな島で五感を開放したり、農業や漁業などの現場での体験を通じて、気づく力・感じる力を高めたりして、学び上手になるきっかけを作ります。

写真:海士五感塾
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また、地域コーディネーターを養成する「めぐりカレッジ」という研修プログラムもあります。これは、社会の変容を進められる人材育成です。地域の課題を解決していくためには、地域のことをちゃんと理解できる受信力としての「田舎センス」と、それをちゃんと商品としてお客様に届けるための発信力としての「都会センス」の両方を兼ね備えたバイリンガルなコーディネーターが必要です。それを自分たちが実践しながら広げていきたいと思っています。このような人材育成によって、海士町が良くなるだけでなく、ほかの地域が良くなることにも貢献できます。

写真:めぐりカレッジ
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よく「地域活性化」と言われますが、僕はこの言葉が嫌いです。あくまでも貨幣経済で勝てばいいという前提のゲームをやっているようにしか聞こえません。田舎の何かを商品化して儲けようというより、もっと新しい生き方を体現したい。「暮らしと仕事と稼ぎを満たす生き方」を自分が実践しながら広げていきたい、ということです。

「暮らし」とは、自分が自然の中で生きる力です。尊敬している哲学者の内山節さんから、「仕事」と「稼ぎ」は別物だと教えてもらいました。戦前の農村社会までは当たり前でしたが、仕事とは、みんなで掃除をしたりお祭りをしたり、自分の住んでいる地域の何かをすること。それと自分の稼ぎは別物で、その両方ができて一人前だと言われたそうです。

前職で働いていたときの僕は、会社にいるときは稼ぎに、休みの日は暮らしに寄っていて、仕事――自分の共同体のために何かをするという役割――はあまりありませんでした。プライベートと仕事と、自分を使い分けていた感覚があって、「本当はこういう人間でいたいんだけれども、会社のミッションを達成するためにはこういう自分にならなければいけない」と枠を決めて自己矛盾を起こし、心を苦しめるということがありました。これは現代社会にたくさん起きていることではないでしょうか。

海士町に行って、自分は自分というありのままの状態が、暮らしの要素も、稼ぎの要素も、仕事の要素も満たす、つまり自分に偽りがない状態になった気がします。狭い田舎では自分を偽ってもバレてしまいますからね。僕には相性が良いあり方です。

2年くらい前、枝廣さんから「経済には、貨幣経済、贈与経済、自給経済と3つあるんだけど、阿部さんは、それが何対何対何になったら幸せだと思う?」と問われたたときに、あ、そうかと思いました。僕の中では自給経済とは暮らしのことであり、貨幣経済は稼ぎのことであり、贈与経済は、物々交換などの概念でいくと、仕事だと。

写真:3つの経済
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今の僕は、会社のみんなで田んぼもやっていますし、僕自身漁業権をもって素潜り漁をしたりしています。物々交換もいろいろな方々とやっています。僕のとってきたサザエと山形の方のさくらんぼを交換したり。いろいろな方とお会いするときに「何か物々交換しましょうよ」って遊び半分でやっています。

稼ぎは、「売り手良し、買い手良し、世間良し」という三方良しのビジネス、つまり、しわ寄せのいかないビジネスを作らないと持続可能にはならない。今そこを目指しています。

このような生き方をするためにはいくらお金が必要なのかと考え、例えば、「35歳の夫婦と子どもが2人いたときに、いくらあれば不自由なく暮らせるか」を僕なりに計算してみました。

東京に住む場合と、今の海士町の場合と、僕の目指す自給経済と贈与経済と貨幣経済をミックスした生き方の場合、それぞれでいくら必要かを計算しました。ちゃんと子供の教育費のために毎月5万円の貯金をすることはすべて共通です。家賃は東京だと12万円かな、海士町だと4万円台です。でも、僕の目指すライフスタイルだったら、セルフビルドで600万円くらいで作れるとして、それを30年で返済したらどうなるかな、と。

東京だと年間540万円くらいほしい。ここには娯楽費5万円も入っています。海士だと、いろいろなものが安くなって、娯楽も少ないので、2ヶ月に1回くらい本土に遊びに出るくらいのお金を積んであって、370万円ぐらいです。僕の目指すライフスタイルだったら、250万円ぐらいかな。日々の生活が娯楽ですから娯楽費はほぼないですが、年2回の海外旅行のお金は積んであります。

表:いくらで暮らせるか?
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人口減少社会で経済が縮小し、所得が上がらないときに、どうすれば幸せになるかを考えると、自分のコストを下げても自分の豊かさが減らない生き方が一番だと思うのです。そのために夫婦で最低限250万円稼ぐのなら、週3~4日勤務にして、それ以外の時間は家族で農業や漁業など暮らしにあてる時間を設けて、「半農半X」、僕の場合は「半農半巡の環」というライフスタイルなら達成できそうだと思っていて、今年からこれを実践する方向に動いていきたいと思っています。

その先に、海士町を舞台に、持続可能な方向への社会の変容と、それから自分達を実験台とした個人の変容を学ぶ「海士人間力大学」という学校作りをしたいと思っています。ぜひ、海士町にお越しください。ありがとうございました。

写真:海士へござらっしゃい!
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(株式会社巡の環 代表取締役 阿部裕志、編集:枝廣淳子)

参考:株式会社巡の環
    http://www.megurinowa.jp/

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