ニュースレター

2018年04月27日

 

「この時代における動物園の果たす役割とは?」―大人気の旭山動物園の坂東園長に聞く

Keywords:  ニュースレター  教育  生態系・生物多様性 

 

JFS ニュースレター No.188 (2018年4月号)

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北海道旭川市にある旭山動物園は、1967年に開園した旭川市が運営する動物園です。1997年からは、日本の動物園で一般的な動物の姿形を見せることに主眼を置いた「形態展示」ではなく、動物の自然な生態が見られる「行動展示」を実施しています。年間入園者数は1983年度の59万7千人をピークに1996年度には26万人に落ち込んでいましたが、行動展示の施設を増やすたびに入園者数が増加。最大で300万人を超えるまでに至り、日本の動物園のあり方に一石を投じました。

旭山動物園では、地球環境保全、野生動物共生などといった気持ちを育むことを目指し、「伝えるのは生命の輝き」を柱に教育活動も行っています。自然破壊や温暖化が進む現代において動物園が果たす役割とは何か? 園長の坂東元さんにお話を伺ったので、ご紹介します。

自然を感じる

――環境問題がいろいろ大きくなってきて、世の中の関心が高まっている一方、自然破壊や温暖化も進んでいます。そういった状況の中で、動物園の果たす役割とは何でしょうか?

僕らの日常生活の中で、自然を感じることが、すごく少なくなっています。一方で、「環境破壊」や「絶滅危惧種」など、言葉としては聞いています。でもたぶん、実感がない。あまり危機感を持っていない人が大半だと思います。

その中で、自然を感じられる場所として、動物園の存在意義は大きくなってきている。動物園は「自然を知る玄関口」だと思います。足を運んでくれた方々に、今動物たちが置かれている状況や、人とのかかわりをちりばめながら、押し付けではなくて、「あ、そうなのか」と気づいてもらうこと。それが一番大きな、動物園の役割になっていかないといけない。

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――「自然を感じる」というのは、どういうことなのでしょう。

たとえば、「トラが絶滅危惧種です」ということは、小学生も知っています。だけど、実際にトラという生き物が生きているという感覚は、いくら本を見ても映像を見ても分からないと思います。そこに生きていて、何か自分がした行動に対して、ふっとこっちを見てくれる。本当の生き物としてそこに存在しているということ。そのことが動物園のポテンシャルじゃないかな。

そこにいる命がある。その成長を見守って、その中から、彼らの野生のふるさとはなくなろうとしていますよ、そのことから僕たちみんなが恵みを得ている時代になっていますよ、と。そこではじめて、他人ごとではなくて自分ごとになるんじゃないのかなと思うのです。

――今の社会は、人間同士でも命を感じることなく過ごしていますよね。

昔は、かかわりを持って互いに理解しながら、けんかもしながら一緒に暮らすというのが基本的に社会だと思っていた。でも今は、かかわりを持たないで密集した数を維持していく。「社会」としての機能はほとんどなくなっているような気がします。

――そう思うと、今日、オオカミたちが遠吠えする前にじゃれ合っていましたが、あれはじゃれているのですか?

じゃれもありますが、そのときそのときで、群れの中での順位が微妙に変わるんです。でも、それ以上はやらない。けんかのルールがあるんです。完全に社会です。「仲良く」だけで生きている生き物はいない。「理解し合おう」という努力があって初めてできる。

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調和とバランス

――翻って人間同士のかかわりを考えると、「かかわりを持たない」か、「仲がいい」か、「けんかしている」か、それぐらいに分かれちゃいますね。

ヒトの可能性は言葉を持つところだと思います。過去を伝えられるし、未来を伝えられるし、言葉で考えられるから。でも、僕らは言葉を持って、こういう高度な社会を持っているのに、自ら放棄し始めている。人の心にゆとりがないと、自分のことしか考えられなくなる。今、そういうふうになってきているから、難しいなと思います。

――『ヒトと生き物 ひとつながりのいのち 旭山動物園からのメッセージ』というご本に、「数を数えられない動物たちが、ちゃんと微妙なバランスを取っている」と書かれていましたね。

そうなんです。調和とバランスを取っている。それなのに、数を数えられる僕らがまったく調和もバランスも保てない。人は、空を飛んでいる鳥を見て飛びたいと思って飛行機をつくり、魚のように泳ぎたいと思って潜水艦をつくり、もっと早く走りたいと思って車をつくり、としてきた。欲ですね。

不思議なんですよ、動物園で鳥を見ていても。シジュウカラは、スズメと同じように枝に止まる。たとえばヒマワリの種があると、それをクチバシでつまんで、種を置いて、足で押さえて、クチバシでツンツンツンとやって食べる。でも、スズメにはそれができないし、「自分もやってみたい」という脳の回路ではないんです。だから共存が成立する。奪い合いにならないのです。欲の有無という言い方がいいのか分からないですが、スズメにだってできないわけではないはずです。だって、木に止まれるのですから。

すごいと思います。だって、何十種類の鳥が同じ山の中で生活できるのですから。人間なら絶対に奪い合いになりますよね。感じ方にしろ、頭の中での処理の仕方がまったく違うんだと思います。だから人に殺されても、彼らは恨んで反撃に出てくる、ということはないですよね。一方的に死んでいきますよね。まさに調和ですね。

私たちには何が足りない?

――人が欲を持って、奪ったり叩きのめしたりするのは回路ですか? それとも、そういうふうに進化しちゃった?

人は、必然的にそういう生き物なのだと思います。人間の文明が滅びるときは、人為的な、局所的な環境破壊が原因だと言われていますよね。だから、大洪水が起きたりと、必ず天災が起きる。今がもしかしたら? 科学が進歩して、技術が進歩して、恐竜時代よりほかの生き物がどんどん死んでいっているわけで。

――どうしたら人間も共存させてもらえるようになるのでしょうか。

どこかで一度、立ち止まる。何かちょっとずつ、1個ぐらい引き算してみようと、みんなが思えるか。でも、そういう可能性はあるような気がしています。パソコンが出始めた時は、CPUがどうといって次から次へと買い替えていたけど、「ここまでいらないんじゃないの?」みたいなことに、今気づいてきたように思うんです。

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もう1回自然に帰ろうという動きは、その反省に立っているんだと思います。徹底的に追求した中で幸せを感じるのか、自然の原っぱで風が吹いたのに幸せを感じるのかで、きっと未来は変わる。ナチュラル志向やスローライフといった、いろいろなことが起きています。

動物園がライチョウの保全プロジェクトで1000万円を目標にクラウドファンドをしたら、2000万円集まったそうです。何らかのプラットフォームがあって、「こういう目標を持っています。これを応援してくれたらこれができます」という、自分ではできないことを具体化しているものがあれば、それを応援する人たちは潜在的にすごく育っているのではないかと思います。

だから、たとえば「オランウータンと一緒に生きる未来」とか、そういうものにもみんながお金を出すようになれば、本当に未来は変わると思います。動物園は、そういうことを先に察知できる集団です。だから、「そこに生き物として動物がいて、自分たちはこういうことに気づいたので、こういうことをやっていきます」と、具体的に示して、「だから応援してください」とみんながもっとやっていかないといけない。

――先ほど、アザラシの食事タイムに、係の方がアザラシをめぐるいろいろな状況をお話ししながらエサをあげていて、いいなと思いました。目の前の見えているものには、「かわいい」とか「かわいそう」とか「何とかしたい」と思うのだけど、それを超えては、想像力が届かない......。

たとえば、クルドの問題で、「空爆で何十人死にました」と聞いても、別にドキッともしない。だけど、もしも自分の出身学校の子が「交通事故で死にました」というように、つながっているとドキッとしますよね。その接点ですよね。「他人ごと」じゃなく、「自分ごと」に落とし込めるかどうか。

でも、今の社会は本当にかかわらない社会になっているから、見えない所で起きることに本気で反応することがない。それに危機感を持つ人がいない。人間同士でさえそうなのだから、まして動物が死のうが生きようが、見えない所でやっているなら気にならない。

情報があふれ過ぎているような気もする。みんな、都合のいいところだけを見るようになっている。あるところだけを見て、「あいつが悪い」と言うのですが、「自分が悪い」とみんな言わなくなっている。自分にも何かがあるのかなという発想を、ほとんどの人が持たなくなっていますよね。

――冷静に対話するとか、自分の主張は置いておいて相手の言うことを聞くとか、そういうことすらない。

そういう訓練がないのかもしれないですね。目を見て話して、相手がそれで傷つくとか、悲しむということを見ることがない。ほんのちょっとしたことで自分も傷つくし、傷つけるしという積み重ねがなくて、いきなりやるから、自分が消えるか、相手が消えるかみたいな感じになる。そんな気がします。

――動物園に行っても、命を感じる感覚そのものがなくなっているのでは、と話しましたけど、目の前の相手の感情すら、感じないようになっているのかもしれないですね。

アンテナがないと感じられない。小さい時に、アンテナをどれだけ立ててあげられるかだと思います。

動物園の果たす役割

――だんだんバーチャルな世界になっていく中での動物園の役割は、ますます大事になりますね。

動物たちは、何千万年、生命観をぶらさないですよね。その中でちゃんと調和とバランスを取って生きてきている。人間関係は、10年単位で見ても生命観がぶれる。だから、変わらずに生きる仕組みがあって、その中で自分たちが変わっていることに気づける場でもあってほしいと思います。ふっと何か、「こうじゃないのかも」とか。

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うちはすごくにおいの強い動物園です。たまに「くさい」と言っている人いますけど、でも、ペンギン見ていて、「ペンギンくさい」とか言う人はあまりいない。自分が肯定的にとらえれば、その存在を認められる。においも含めて。好きな人のにおいなら認められる。これがペンギンのにおいなんだねとか、当たり前に気づいてもらえることも含めて、動物園なのかなと思っています。

――動物園って、子どもが行く場所で、大人は付添いで行くというイメージが強いですけど、大人が行くといいですね。今増えているのかな。

社会を変えられるのは大人なので、大人が来て、何か一つでも気づいてもらえれば、と思います。たとえば、「そういえば何十年前こうだったよな。何で今、こんなふうに言っているんだろう」とか。社会を動かしている側の人が、何かふっと気づいてくれれば、可能性はもっと大きいのかもしれないですね。

――動物園の経営はどうなのですか。

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日本は動物園の入園料が安いんです。払ったお金に対する価値という感覚がどうしてもあると思います。だから動物園はすごく安く見られる。気軽に見られるという良い面もあるんだけど、気軽に見えてしまう生き物だから、「そいつらが大変なんだよ」と言ってもその価値がわかりにくいという面もあるかもしれない。

ペンギンの散歩が人気ですが、あれは本当にペンギンの運動のための散歩なので、お客さんがいなくてもやっている。どうせだから見てもらおうよ、というだけです。ただ歩いているだけなんです。当たり前がすごく感動を呼んだりする。アザラシも、ただ泳いでいるだけ。別にショーをしているわけじゃない。だけど、当たり前に素晴らしさを感じてもらう。特殊なことだから価値があるんじゃない。きっと人間もそうなんです。

――ありのままで価値があるはず。

みんなの当たり前の中に、素晴らしさ、キラキラするものが必ずある。そんなことも含めて。等身大の動物たちで、どこまで人の気持ちを引きつけられるのかなというのを、ずっと考えています。背伸びをしても続かないので。

――いろいろ考えさせられるお話、本当にありがとうございました。

枝廣淳子

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