ニュースレター

2018年06月29日

 

「ないものはない」:海士町が世界に送る「知足」の考え

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JFS ニュースレター No.190 (2018年6月号)

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JFS代表の枝廣淳子は2018年6月14日、香港で開催されたクオリティオブライフ研究国際学会(International Society for Quality-of-Life Studies)の年次大会に海士町の方々とともに参加して、「ないものはない:海士町が世界に送る『知足』の考え」と題した学会発表を行いました。今月号のニュースレターでは、発表の内容をお伝えします。

「ないものはない」とはなにか

人間活動が地球1個分で支えられる限界を大きく超えており、地球温暖化などの環境問題が生じています。それでもまだ「成長経済」を信じている人が大半であり、特に先進国では、新しい価値観に支えられた幸福観が必要です。

その観点から、世界に資する重要な概念が日本の小さな離島の町にあります。人口2,300人弱の島根県隠岐郡海士町は、2011年「ないものはない」をスローガンに掲げました。

日本語の「ないものはない」には2つの意味があります。「ないのだから、仕方がない」という意味と、「すべてある」という意味です。「ない」と「ある」と矛盾した語に聞こえますが、海士町ではこの両方を実践しています。なぜ「ない」ことが「すべてある」につながるのでしょうか? 海士町の「ないものはない」の概念と実践を紹介します。

海士町と「ないものはない」

海士町の面積は33.5平方キロメートル。美しい田んぼと海を有する海士町では、米と魚はほとんどが、野菜も全部ではありませんが、自分たちで作ったり獲ったりしています。ただし、海士町にはデパートも、コンビニも、映画館もありません。

海士町には若者が楽しめるおしゃれなバーもクラブもありません。30年前、まさしくだからこそ、青年団活動が非常に盛んになりました。「ない」ことを嘆くのではなく、「楽しいことがないなら、自分たちで作り出そう」と、手作りのビアガーデンや島を挙げての綱引き大会などが次々と始まったのです。

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多くの時間を共有し、苦楽を共にすることから、何かを成し遂げたときの達成感も大きく、確かな信頼関係が醸成されます。それこそが「絆」であり、次のチャレンジに繋がっていく土台でもあります。「ないものはない」からこそ、創意工夫と強い絆が生まれ、心の通った交流が地域の活気を作りだしているのです。

次の「ないものはない」例は自動販売機です。日本の通常のフェリーターミナルには、多くの鉄道の駅と同じく、飲料をはじめとする多くの自販機が並んでいます。ところが海士町にフェリーで着いても自販機のお出迎えはありません。

海士町に新しいフェリーターミナルが整備されたのは2002年のことです。そのとき「自販機は置かない」ことを決めました。自販機のほうが便利で効率的ですが、海士町はあえて手間のかかる対面販売にこだわったのです。

町にとって大事なのは「効率」ではなく、島の内外の人々の「出会い」や「ふれあい」だから、フェリーターミナルには自販機は「ない」。だけど、だからこそ、おしゃべりや笑顔、賑わいが「ある」のです。

ないからこそある!~「高校魅力化プロジェクト」

「ないものはない」を象徴するもうひとつの取り組みが「高校魅力化プロジェクト」です。海士町には島根県立隠岐島前高等学校(島前高校)があります。隠岐諸島の島前地域(西ノ島町、海士町、知夫村)にある唯一の高校ですが、人口減少に伴い生徒数が減少し、「このままだと廃校になってしまう」ところまで至りました。もし廃校になってしまうと、さらに人口が減少し、町の経済や将来にも多大な影響が及びます。

当時は、「小さな島の学校なのだから、本土の学校より不利だ」という考えが強かったのですが、廃校の危機から脱却するために、2008年に「島前高校魅力化プロジェクト」が立ち上がりました。「島にあるもの」を教育資源として最大限に活かそうという挑戦です。その教育資源とはいったい何だったのでしょうか?

海士町には都会にはある多くのものがありません。だったら、あるものを最大限に活かせばよいのです。海士には、都会にはない自然や伝統的な文化や地元の産業もあります。また独自にかかえている問題もあります。島前高校で現在最大限に活用しているのは、「人口減少」「超少子高齢化」「財政難」といった島の地域課題です。こうした問題は日本が全国的にかかえる問題でもあることから、島前高校は、日本の未来を切り開く人材を育てる役割を担っているのです。

「ないものはない」精神があったからこそ、こうした逆転の発想が可能になったのです。

こうしたユニークな教育を行う島前高校は、全国でも注目される高校となりました。島外からの生徒を積極的に受け入れる「島留学」制度を整えることで、日本全国から、そして世界からも生徒が集まるようになりました。今では「島留学枠」の倍率が高くて入学するのが大変なほどの人気です。生徒数も文字通り「V字回復」を果たし、廃校の危機を見事に脱することができました。

「ないものはない」暮らし

日常生活の中にも「ないものはない」の事例はたくさんあります。

  • ベビーシッター会社はないけど、いつでも隣の家に子供を預かってもらえる
  • ディスコはないけど、町民は全員キンニャモニャ(郷土民謡)が踊れる
  • 警備会社はないけど、お互いに見守っているので心配ない
  • 花屋はないけど、多くの家にはきれいに野の花が生けてある
  • 映画館はないけど、手づくりの上映会はよくある

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日本は深刻な人口減少に直面しており、海士町でも1950年には7,000人近くいた人口は、現在は2,283人まで減少しています。

しかし、現在、「ないものはない」をベースとしたさまざまな取り組みによって、海士町には、「この島で暮らしたい」という若者が、わざわざ外から移住してくる人気の町となっています。人口そのものは、自然減が多いために減っていますが、移住者は増えています。

こうした移住者を惹きつける秘密が、「ないものはない」精神なのです。

「ないものはない」の3つの意義

海士町の実践から、「ないものにはない」には3つの意味と効用があると考えています。

(1)前向きな受容
「それはないが、その状況に甘んじるしかない」という負け犬的な考えから、「それはないし、それでいい」へ。無理やりの受容ではなく、前向きに受容することが、「ないものはない」の出発点であり基盤なのです。

(2)「足るを知る」
「大切なものはすべてある」。ベビーシッターはいません。でも、島ではいつでもすぐに近所の人々に頼めます。なんでも売っているデパートはありません。でも、近所の人に「こんな道具ないかな?」と聞けば、必ず出てきます。これが可能になっているのは、自分たちでやる力があるからです。海士町の社会関係資本は極めて高いのです。それは、町民の多くが知り合いであり、いろいろな経験を共にしているからです。

(3)「足りないものはみんなで作り出そう! その過程を楽しもう!」
大量消費社会は、利便性の高いライフスタイルを提供してくれます。しかし、「買わずに、みんなで作り出す」楽しさを忘れた社会でもあります。海士町の取り組みを見ていて、大量消費社会では、しみじみとした持続的な幸福感と、本当に「これで十分」と思えるゆとりの感覚は得にくい社会なのだと思います。

2017年「わがトコ・わがコト」調査

「ないものはない」の考え方は、海士町ではどの程度受け入れられているのか。2017年に「わがトコ・わがコト調査」という独自の住民調査を行いました。この調査は、「海士町らしい幸福を考え、その充足度」を測る試みで、ブータンの国民総幸福(GNH)の枠組みも用い、家庭の食料自給率やおすそ分けの頻度などについても調べています。比較のために同様の調査を全国でも行いました。

「ないものはない」という考え方については、回答者の約6割が好意的にとらえていました。また、現在の暮らしについて、全国調査では「満足している」「まあ満足している」が約55%に対して、海士町では約75%と20ポイント高く、仕事の「やりがい」について、「とても感じる」「少し感じる」が全国調査では約47%に対して、海士町では約70%と高い数字でした。

「この1年間に、お裾分けをしたか」については、「よく行った」「ときどき行った」が全国調査では約38%に対して、海士町は約70%、「この1年間に地域の課題について誰かと話したか」については、「よく行った」「ときどき行った」が全国調査では約21%、海士町では57%。「この1年間に地域の誰かが行っている活動を応援したか」には、「行った」が全国調査で約19%、海士町では43.5%と、「ないものはない」暮らしの実践が伝わってくる結果となりました。

※調査結果について詳しくはこちらをご覧ください。
海士町「わがトコ・わがコト調査」の集計結果について
海士町の「わがトコ・わがコト調査」:約75%が「生活に満足」、全国調査と比べても高い結果

地球を壊さない幸せな社会と「ないものはない」

世界全体のエコロジカルフットプリントは現在、地球1.7個分です。特に先進国が地球にかけている負担は大きく、もしも世界中の人々が日本(や他の先進国)と同様のライフスタイルになるとしたら、地球は約3個必要になります。しかし、経済規模がある程度以上大きくなると、さらに経済成長しても幸福度が高くなるわけではないのです。これは「イースタリン・パラドックス」として知られています。

それにもかかわらず、幸せ経済社会研究所の調査によると、日本では、まだ多くの人は経済成長が必要だと考えています。

地球のためにも人々の幸福のためにも、先進国は、大量生産・大量消費モデルや、経済成長追求モデルから脱却する必要があります。海士町の「ないものはない」は、そのために役立つ新たなモデルの一つではないでしょうか。

枝廣淳子

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