ニュースレター

2009年12月15日

 

「森の"聞き書き甲子園"」のすてきな取り組み

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JFS ニュースレター No.84 (2009年8月号)

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平成14年度に始まった「森の"聞き書き甲子園"」は、日本全国から選ばれた100人の高校生が「森の名手・名人」を訪ね、知恵や技術、人生そのものを「聞き書き」し、記録するというとてもユニークな活動です。 森の名手・名人とは、きこり、造林手、炭焼き、船大工、つげ櫛職人、かぐら面づくり、椎茸栽培、炭焼き、草木染め、養蜂家、しめ縄づくりなど、森林に関わる分野で様々な経験や優れた技術を先人たちから引き継いでいる人たちです。

「森」と「高校生」という、一見無関係に思える2つのものをつなげるとはどういうことなのか? その結果、何が生まれているのか? 「森の"聞き書き甲子園"」のウェブサイトなどから、日本で共感の輪と影響を受けたいろいろな活動が広がりつつあるユニークな取り組みについてお伝えします。

古くから日本人は森を護り、育て、その恵みを利用する中で、伝統的な生活や文化を受け継いできました。しかし、都市化が進み、日本人の多くは、日常生活での森との関わりを失っています。私たちは日本のみならず、地球環境にとっても大切な森を護り、育て、次代に引き継ぐために、日本人が伝統的に伝えてきた森に生きる知恵や技術に光を当て、未来を見つめ直したいと考え、「森の"聞き書き甲子園"」が、林野庁・文部科学省・社団法人国土緑化推進機構・NPO法人共存の森ネットワークの4者からなる 実行委員会によって実施されています。

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「聞き書き」とは、一対一の対話を通して、その知恵や技術、そして人生そのものを聞き、その方の「話し言葉」だけで文章にまとめる手法です。「聞き書き」を通じて、高校生は、森と関わる知恵や技術を学ぶとともに、「森の名手・名人」の人生そのものに触れることができます。「聞き書き」による記録は、森と共に生きてきた「森の名手・名人」の技(わざ)や心のアーカイブ(集積)であると同時に、世代を越えたコミュニケーションの証でもあるのです。

どのようなプロセスで、高校生たちは聞き書きを進めていくのでしょうか? まず8月上旬に、参加する高校生が決まります。全国から100人です。選ばれた高校生は、聞き書き事前研修会に参加して、「聞き書き」の手法を学んだり、「聞き書き」の実習をしたり、「森の名手・名人」の知恵や技について学んだりします。

その上で、聞き書きのための計画づくりをします。自分が「聞き書き」する「名人」の技について調べたり、「名人」に質問する内容を考えたりするほか、「名人」を訪問するための交通手段を調べ、「名人」に連絡し、訪問する日時を決めます。

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そして、秋から冬にかけて、「森の名手・名人」を訪問し、「聞き書き」取材をします。「名人」にインタビューし、「名人」の言葉を録音したり、「名人」の仕事の様子などを写真に撮ったり、あるいは少し体験させてもらったりします。帰ってから、取材した録音テープを書き起こします。

冬に、録音テープを書き起こした原稿をもとに聞き書き作品をまとめます。何を中心にまとめるか、構成はどのようにするか、どんな写真を使うかなどを考えながら、まとめていくのです。

そして春に、フォーラムで成果を発表します。代表となった高校生と「名人」が、フォーラムで発表を行うほか、参加高校生100人の聞き書き作品を冊子に印刷し、インターネットなどを通じて公表します。

このようなプロセスで進められる「森の"聞き書き甲子園"」には、去年までの7年間で、700人の高校生が参加し、その作品も700点に及びます。

心に残る森の名手・名人たちの言葉をいくつかご紹介しましょう。

・「この年になっても、いまだに一年生よ。今、六十八じゃけど、一生修行じゃと思うとる」(広島県・船大工の名人)
・「我々の仕事は木と話せんことには始まりません」(香川県・森づくりの名人)
・「我々の子どもが使うときのために、昨日、今日って森を大事にしていかないといけない。」(東京都・森づくりの名人)
・「山は循環させていかなあかんのや。それを誰がするっていうたら、人間しかおらんのや」(和歌山県・炭焼の名人)
・「損やとか得やとかいう、金銭にこだわった考え方だけでなしに、自分の充実した生き方。そういうもんを、みなさんは忘れすぎておりはせんかな、と思いますわね。」(石川県・森づくりの名人)

では、参加した高校生たちは、名人に出会い、どのようなことを感じたのでしょうか? いくつかの「声」をご紹介したいと思います。

・「ちょっと人生変わるかも」
・「伝える、っていうことが大事なんじゃないかと思う。」
・「森と関わっていくのはどういうものなのかな、って考えることができた。」
・「聞き書きすることによって、その人の人生を知ることができる。」
・「名人の言葉や技にはウソがない。だから、その部分を知れる自分は幸せだなと思います。」
・「100年先を考えている名人に出会って感動した。先人の知恵の中には大切なものがある、それを次世代へつなげて行きたい」

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この「森の"聞き書き甲子園"」を巣立った高校生たちの中には、新しく研修を受ける高校生のサポートを、ボランティアで行ったり、「共存の森」と呼ぶ森づくりの活動を始めたグループがあります。各地の森を拠点に、人や自然、地域の人たちが積極的に関わり合える「森づくり」「地域づくり」の活動を展開しています。

また、文字による記録だけでは伝えきれなかった「森の名手・名人」の語り口や表情、技術などを映像で記録しようというプロジェクトも始まりました。

「森の名手・名人」の方たちや一般市民の方々の協力のもと、2007年12月に「NPO法人共存の森ネットワーク」が設立されました。この活動のほとんどは聞き書きを経験した高校生、卒業生たちが自分たちで企画・運営を行い、そのネットワークを広げています。

※JFS関連記事:森の名人に学んだ若い世代から「共存の森」活動が始まる
http://www.japanfs.org/ja/pages/028670.html

最後に、共存の森ネットワークの副理事長を務め、森の聞き書き甲子園の原動力のおひとりである渋澤寿一さんが「私の森.jp」のインタビューで語った、森との関わり、森への思いを紹介しましょう。

---(以下、ご本人の言葉を引用)-------------

人生の転機になった森との出会いは、15年ほど前のことです。「江戸時代から一人も餓死者が出なかった、桃源郷のようなところがあるから見においでよ」と誘われ、秋田県河辺町(現、秋田市)の鵜養(うやしない)へ行きました。そこは、雄物川水系の岩見川のそのまた支流の上のほうにある、まさに山奥の孤立した集落なんですが、天保の飢饉のときも天明の飢饉のときも一人として餓死していないんです。

なぜだろう? と調べてみたくなり、鵜養に家を一軒借り、仲間と一緒に月1,000円で住みました。その集落は、主にミズナラの共有林を33箇所ぐらい持っているんですが、それを一年に一つずつまとめて伐採するんですね。最初、それを聞いた僕は、「山の斜面を全部伐採してしまったら土砂崩れを起こしませんか」と言うと、「何もわかってないねえ」と笑われるわけですよ。

なぜかと言うと、僕達が見てきた山の多くは杉や桧の人工林で、そういう木は上を刈ってしまうと根っこも枯れますから、大体10年位で根が腐ってきて雨が降ると土砂崩れが起きる。ところが、ミズナラのような広葉樹の森の場合は、上を刈っても根っこは死ぬわけじゃないから、ちゃんと横から萌芽して枝が出てきて、34年目に順番が回って来る頃には元の太さに戻っている。そうやって彼らは、持続的に森を利用して来たんです。

さらに、森を刈った後には2年目からワラビが生えて、3年目には猛烈な量になり、塩漬けにして保存食にすることができます。また、7年位経つと元の切り株が腐って来て、今度はそこに生えたキノコが貴重な食料になる。そして、人々は森に入り、2時間で歩ける距離の範囲で薪を拾い、肩に担いで帰ってくる。牛や馬に食べさせる青草や田んぼの肥料なども、すべて森の産物でまかなっていたわけです。つまり、誰一人餓死しなかったのは、「森が食わせた」からでした。

そんな風に、人々が森を利用しながら自分たちの命を維持し、自然の成長量の中で余剰分をもらいながら生かされてきた。自分達が暮らしやすいように森と付き合ってきたことにより、結果として森の多様性を維持できるサステイナブルなシステムを作り上げて来たんです。昔の人はCO2のことなんて考えなかったけれど、自分達が森から取り過ぎたり、逆に木を切ったり草を刈ることを怠けると暮らしも森も維持できなくなる、ということを知っていたんですね。

それまでの僕にとって、自然とは観察する対象、農業で利用する対象であって、「森は向こうにあって僕はこっちに住んでいる」という精神構造でした。ところが、鵜養に出会ってわかりました。人間が木を切らないと、森に太陽の光が入らず森が維持できない。森も人間に生かされているし、逆に人間も森に生かされている。つまり、人間という生きものは生態系の一部なんだと。

鵜養では、年に一度、山神様を里に呼ぶ祭があります。山から引いた水でお湯を沸かし、湯気を吸うことで山神様と一体になる......。その祭で僕は実感しました。「自分は森の一部だ、森と共存するってこういうことなんだ」とね。その瞬間、僕は祈ろうと思いました。祈るという行為は自然と一体となることだから。

---(ここまで引用)-------------

森の"聞き書き甲子園"は、それぞれの高校生が自分自身の体験と発見を通じて、自分と森とのつながりについて、そして森に生きるということの意味を考えていく機会であり、見守り支え、応援する大人たちにとっても大事な何かを伝えてくれるのです。

(枝廣淳子)

※JFS関連記事

森の"聞き書き甲子園"、高校生の「森の名手・名人」の聞き 書きを発表
http://www.japanfs.org/ja/pages/024122.html

JFSニュースレター:森への思いをつなぐウェブサイト 「私の森.jp」
http://www.japanfs.org/ja/join/newsletter/pages/028571.html

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