ニュースレター

2016年06月30日

 

東北と世界:東日本大震災から5年

Keywords:  ニュースレター  市民社会・地域  震災復興 

 

JFS ニュースレター No.166 (2016年6月号)

写真
Copyright ピースボート All Rights Reserved.

JFSでは2015年8月より、英語でサステナビリティについて話し合うミートアップイベントを開催しています。海外から来日中のゲストスピーカーに話題提供してもらう、気候変動の国際交渉シミュレーションゲームを体験する、雑穀料理を中心としたベジタリアンレストランでランチをするなど、サステナビリティを題材とした様々な内容です。

Tokyo Sustainability Meetup
http://www.meetup.com/Tokyo-Sustainability-Meetup/

2016年4月に開催した第6回ミートアップでは、東日本大震災から5年をテーマに被災地支援に携わったゲストスピーカーを招いて、支援の現場や5年たってからの変化・現状・課題についてお話いただき、JFSからも福島視察の模様を発表しました。

東日本大震災から5年 ~ 福島視察から
http://www.japanfs.org/ja/news/archives/news_id035526.html

今回のJFSニュースレターでは、国際協力活動や提言活動を行うNGOピースボートで国際コーディネーターをされているロビン・ルイスさんの発表をご紹介します。


ロビンです。両親は日本人と英国人です。母方の親族には東北出身者もおり、2~3世代前は仙台にいたそうです。父は英国ウェールズの出身です。私は日本、英国、香港で育ちました。大学ではビジネスを勉強し、まさに卒業という2011年3月、あの津波と地震が起きたのです。震災時、家族は日本に住んでいたので、私はすぐに日本に戻りました。数ヶ月間は、東北で数々の非営利団体や救助団体を手伝い、その後、東京の企業で1年間働きました。

現在は、NGOピースボートで国際コーディネーターをしており、東京を拠点に、国内外で災害リスク軽減や災害対応の仕事をしています。ピースボートでは海外の自然災害に関するプログラムを担当しており、様々な国のプログラムを受け持っています。2011年以降、東北で様々な立場で働いてきたことから、東北になじみはありますが、精通しているわけではありません。ここ2~3年は、国際的なプロジェクトを主に行ってきました。ネパール地震、バヌアツのサイクロン「パム」、米国のハリケーン「サンディ」などです。

写真:自己紹介 写真: ピースボート
Copyright ピースボート All Rights Reserved.

ピースボートは、旅客船で世界中を巡る地球一周の船旅を行っています。いろいろな場所を訪れ、あらゆる階層の人たちと交流し、訪れた地域が直面している社会・環境問題について学ぶことで、人と人との強い関係を育み、より平和で持続可能な世界を築くことができるのです。地球一周の船旅は通常、年に3~4回、また地域的な航海も年に1~2回行われており、世界中の60以上の港を訪れています。私たちはこれらの様々なプログラムを実行するにあたり、必ず、訪問国の現地パートナーと密接に活動するようにしています。

ピースボートには、多くの重点分野があります。人権に関することから、紛争予防、核兵器廃絶に至るまで、様々なプログラムを行っています。防災も重点項目の一つです。最初の災害救援プロジェクトは1995年、阪神・淡路大震災後に行われました。それ以来、15を超える国々で活動してきました。日本では、熊本の大地震から毎年起きる洪水や台風被害に至るまで、多くの緊急支援活動を行っております。

写真
(クリックで拡大表示します)
C
opyright ピースボート All Rights Reserved.

地図を見ると、チリ、グアテマラ、ネパール、米国、フィリピンなど、多くの場所で活動していることがお分かりかと思います。国際的な活動を行っている一方で、国内でも、東北や他の被災地での災害プロジェクトに継続して力を注いでいます。

2011年の震災以降、ピースボートは特に災害救援に関して活動する専門的な組織を設立しました。宮城県石巻市に事務所を設置し、東京に本部を置いています。私たちのプロジェクトに関して、いくつかの数字をご紹介します。ピースボートは、一つの組織による動員しては、日本史上最大級のボランティアを派遣しました。合計13,000人以上、延べにすると85,000人に上ります。これは極めて驚異的な数字です。今も石巻を拠点として、女川町付近でも活動を続けています。

写真: ピースボートのボランティア
(クリックで拡大表示します)
C
opyright ピースボート All Rights Reserved.

56カ国からやってきた外国人ボランティアを派遣する機会にも恵まれ、日別ボランティア活動数は3,470人を超えました。彼らは石巻の私たちの活動に加わり、多岐にわたる救援プロジェクトに参加しました。被災者に向けての炊き出し、毛布や日用品といった救援物資の供給などです。

私たちの活動の重点項目の一つは、被災した家屋からの泥出しです。泥、木材、その他、津波によって家々に入ってきたがれきを除去しなければならず、泥出しのために元気なボランティアたちをコーディネートしました。多くの場合、特に高齢者の方々にとって、こうしたがれきを取り除くのは大変難しいことです。そのため、住民の方たちと一緒に泥出しをするボランティアチームを、いくつも派遣しました。

ここからは、石巻の漁業支援や仮設住宅に住んでいる避難者の方々への支援といった、長期的な復興の話に移っていきたいと思います。ピースボートでは、長期的な復興プロジェクトを運営するための専門の事務所を、今も石巻市に構えています。

東北でいま何が起きているのかを理解しやすいように、いくつか数字を挙げたいと思います。2011年5月、ピーク時の避難者数は約47万人でした。現在、避難者は17万1千人います。本日(2016年4月6日)私が調べたこの数字は、見つけることのできた最新の数字です。こうした数字によって、状況がより具体的になりますね。非常に多くの人々が、いまだに避難生活を続けています。原発事故のあった福島県においてもです。

次に、津波の後に政府が建てたプレハブ仮設住宅に住んでいる人の数についてお話したいと思います。最も被害が大きかった宮城県、岩手県、福島県では、現在、約9万人が仮設住宅に住んでいます。

当初、これらの仮設住宅はほんの2~3年のみ使用される予定でした。ご存知のように、今年で震災から5年になります。住んだことのある期間によりますが、仮設住宅の状態は、ベストではないがそんなに悪くもないという人もいます。仮設住宅の住民のなかには長くて2018年ごろまで住み続ける人がいるかもしれません。

写真: 事例紹介
Copyright ピースボート All Rights Reserved.

ここで、2011年3月以降の5年間、石巻でのピースボートの取り組みの一部をご紹介します。まずは「仮設きずな新聞」というプロジェクトで、ボランティアの手で発行および配布される、仮設住宅に暮らす方々向けの新聞です。ボランティア有志たちは、新聞を配布しながら地域住民の方たちと話をします。仮設住宅の住民の多くは高齢者です。1995年の阪神淡路大震災の後は、社会的セーフティネットがなかったため、孤独死という現象が見られました。ですから、ボランティアが各家庭に行くことで、住民の方々の様子を伺い、そっと見守り、人間関係を築くことができると考えたわけです。住民からは、こうした地域の交流がとても役立つという声があります。

石巻で起きていることの例をいくつかお知らせしましょう。私たちは仮設住宅でたくさんの活動をしています。そして、現在、約1万9,000人がこうした仮設住宅に住んでいます。仮設住宅の住民はひとくくりに「かわいそう」だと思いがちです。そこに住む人たちが多くの課題を抱えていることは間違いありません。しかし、複雑に入り組んだ状況を単純化し過ぎたくありません。仮設住宅に住む人々の中にはもちろん、元気で前向きで、とても実りの多い豊かな生活を送っている人たちもいます。全般的にみると、仮設住宅には多くの課題があります。ふつうは、学校や校庭に面した平らな土地に建てられています。建てられるところならばどこにでも建てられました。地震の直後、多くの人々が直接避難所へ行き、滞在は数日間、数週間、数カ月にまで及びました。

地震からおよそ8カ月後の2011年10月、石巻では最後の避難所が閉鎖され、人々は仮設住宅や親族の家など他の住居へ移動させられました。十分な資金がある人は、新しい住居を借りたり購入したりすることができました。仮設住宅は、災害によって家を失った人々に政府が提供した、住居の選択肢の一つだったのです。賃貸料は無料ですが、住民は電気、ガス、水道などの公共料金を負担しなければなりません。

この地域に住む人たちと話すなかで、気づいたことが多くあります。アルコール依存症、家庭内暴力、心的外傷後ストレス障害(PTSD)など多くの心理社会的な問題が依然として蔓延しています。また、この地域の大部分が高齢者で、いわゆる貧困格差があります。特に今年で5年目になることから、賃貸や公営の住宅へ移るなど新しい場所へ引っ越す人たちがいるなか、引っ越す余裕がないというケースもあるのです。たとえば、年金暮らしや低所得の人たちです。

たくさんの人たちが近隣の人たちを知らないまま新しい仮設住宅へ引っ越すと、特に最初は地域づくりという大きな課題があります。お分かりだと思いますが、そうした状況で強く結びついたコミュニティを築くことはとても難しいのです。多くの仮設住宅では今、人々が近所の人たちとつながりを築いたおかげで、とても強い地域の連帯が生まれています。

石巻では仮設住宅に住む人の数が、ますます減少しています。引っ越していくのです。居住率が30%にまで少なくなったものもあります。空き部屋がいくつもある仮設住宅があり、住民にとって気掛かりになっています。周りの仮設住宅が空いていると、人々は孤立しているように感じるかもしれません。多くの人々が復興公営住宅に移っており、これもまた政府によって補助されています。補助であり無料ではないので、所得に応じて賃貸料を支払わなければなりません。聞いたところによると、これらの新しいアパートは抽選で決定するので、希望者は申込書を提出しなければなりません。そして、希望の場所を選ぶことができます。これらの住居の建物の多くは石巻の市内と周辺でまだ建設中です。建設が2018年までかかる地域もあり、そうなると少なくとも一部の人々が2018年まで復興仮設住宅に残らなければならないことになります。

また、被災地でインフラや住居の再建で使われるコンクリートや鋼鉄などの原材料のコストが上昇しているという報告があります。様々な要因があるなか、来る東京オリンピックによる需要が、少なくとも部分的に価格上昇を招いているかもしれないと聞きました。

仮設住宅のコミュニティのいくつかでの重要な課題は、仮設住宅が建てられてほぼ5年間であることから、地域の強い連帯感が生まれているということです。ますます多くの人々が、復興住宅のようなより恒久的な住居形態へと移行しています。しかしながら、新しい場所へ移ると別の課題があります。見知らぬ人たちに囲まれて、どうしたら地域の強い連帯感を作ることができるでしょうか。2011年以降、東北の仮設住宅のコミュニティのいくつかが直面してきた課題です。多くの人々が復興住宅へ移るなか、この課題が続くかもしれません。

たとえば、外から東北へ人を呼び込み、お祭りなどの行事で地域づくりをすることがよい影響をもたらすかもしれません。

写真: 漁業支援
Copyright ピースボート All Rights Reserved.

ピースボートは、漁業支援にも携わっています。最近の傾向として、石巻の漁獲高又は漁獲量が震災前の水準の80~90%まで戻ってきているという報告があります。しかし、現地の方々の高齢化が進み、漁師さんの平均年齢はとても高くなり、それが重要な課題の一つです。若者たちの多くが、仙台のような都市部で会社勤めをすることに関心がありそうなのは明らかです。

漁師さんは、市場は時に不安定で、価格が上下することもあると言っていました。少しは安定しつつあるという人もいますが、福島原発事故の放射能汚染に関連した風評が、海産物の市場価格に大きな影響を与えているのかもしれません。

漁師はきつい仕事だと考えている人がいるため、漁師になることに関心のない若者もいます。では、どうすれば、漁業を維持できるのでしょうか。その一つがピースボートの「イマ、ココプロジェクト」です。ホームステイプログラムで、外から来た人が漁師の家に住み込んで一緒に漁の仕事をします。その仕事のお礼に寝る部屋と新鮮な食事、そして人生の経験が得られます。

参加者は牡蠣の養殖や、ワカメの収穫などの仕事をします。プロジェクト期間中、漁師の職に就くために、実際に2名が東京から石巻に移住しました。また、このプロジェクトに参加した後、石巻で漁業関係の仕事をパートタイムでしたいと、30名ほどの人が移住してきました。

写真: 事例紹介
Copyright ピースボート All Rights Reserved.

また、「牡蠣の輪」と呼ばれている牡蠣のオーナー制度もあります。牡蠣を買うと、この制度を通じて生産者が誰なのかが正確にわかり、その牡蠣の養殖場を訪ねることもできますし、漁に出るときに一緒に船に乗って養殖作業を手伝うこともできるのです。これは、消費者と漁師をつなぐ興味深い方法です。この制度は、牡蠣の新しい市場を開拓し、消費者と生産者が深いレベルで関わりあうことを推し進めます。

このプロジェクトから生じた影響の事例をもう一つ紹介しましょう。東京から来たある学生さんが、東北滞在中に「海鮮おから餃子」を食べました。その学生さんは、これをチャンスだと思いました。というのも、大学では、ハラルと呼ばれるイスラム法に適合する食べ物に大きな需要があったためです。そこで、石巻から餃子を買い付けて、大学で売り始めました。いまやその海鮮おから餃子を、販売目的でインドネシアに持っていこうとしています。このように、多くのわくわくするような新しいプロジェクトや事業が生まれてきています。

日本は地震や台風、火山など、自然災害の危険に最もさらされている国の一つです。ですから私たちができることは、他の地域での災害への備えのレベルを上げるために、過去の災害から学んだ教訓をもちより、実施することです。知識と優良事例を共有することが、東北の経験を世界の他の地域につなげていく方法として、とても重要になります。

まとめに、現在の東北の状況について考える上で、ポイントをいくつか挙げます。まず、年月が経つにつれ、人々が震災のことを忘れつつあることです。それは自然なことです。しかし、重要なのは、東北と何らかのつながりを確実に持ち、そのつながりを通じて人が復興を支援するための何かを可能にすることです。多くのNGOが資金不足に陥りつつあり、業務を縮小しつつあります。その理由の一部は、忘れられつつあることです。

もちろん、まだなおある種の支援を提供する必要はありますが、その一方で、東北に対する支援は全て、自立を促進し、地域の能力を構築して外部の支援なしに自分の足で立てるようにするものでなければなりません。

次に、災害がそれまでにあった問題を悪化させていることについて、一言加えたいと思います。例えば、石巻のような場所では、人口が減少し高齢率が上昇していました。災害がこのような課題を「起こした」わけではありませんが、このような現象を間違いなく加速させ、さらに悪化させたのです。このようなタイプの人口動態問題はとても複雑です。人々をただ地方に戻るように強制することはできません。このような問題には、持続的な解決策が必要です。

最後に、関心をお持ちの皆さんができるアクションステップをいくつか提案します。まず、東北で活動しているO.G.A. for Aid(オージーエーフォーエイド)や、ピースボート、その他の団体にボランティアとして参加することです。また、観光を通じて支援することもできます。福島、宮城、岩手の各県では、観光に関連した様々な取り組みが起こっています。少し例を挙げると、TOMOTRAという、高校生のグループが実際に立ち上げたものがあります。そこでは、福島周辺でバスツアーを行っています。地震で被災した若者たちが新しいビジネスの機会を作り、東北復興の一助となっているのを見るのは、とてもすばらしいことです。

これは最近聞いたばかりですが、南三陸町役場が震災体験ツアーを企画しているとのことです。参加者はバスに乗って地域を回り、震災を模擬体験します。空き校舎で最低限の資源を持って宿泊し、ろうそくと生き残るための限られた水だけを使います。この種の経験を面白いと思う人もいるはずです!

次に挙げるのは、オンラインショッピングです。生協やこの地域の個人経営の農家や漁師を通じて、東北の商品を買うことができる場所がたくさんあります。「いわきの12人」やヤフーの「復興デパートメント」でも、同様に東北の商品をたくさん提供しています。

また、東京でも多くのイベントが開催されています。今日のJFSのイベントもその一つです。青山で開催されているファーマーズマーケットでは、時々、福島や宮城などの青果を販売しています。また、上野松坂屋デパートの東北物産展は、今現在スペシャルキャンペーンを行って、東北の商品を販売しています。

最後に、日本と海外の両方で、この問題に関する情報を広げ、関心を高めることが挙げられます。この分野ではJFSが本当に影響を創り出しています。

これで発表を終わります。ご清聴ありがとうございました。

写真: ミートアップ

English  

 


 

このページの先頭へ