ニュースレター

2011年06月10日

 

ダイコン1本から「社会的企業」をめざす ~「大地を守る会」社長の藤田和芳さん~

Keywords:  ニュースレター 

 

JFS ニュースレター No.102 (2011年2月号)
シリーズ:日本のエコ人物伝 第1回
http://www.daichi.or.jp

JFS/Social Entrepreneurship Starting with One Japanese Daikon Radish - Kazuyoshi Fujita, President of "Daichi wo Mamoru Kai"
Copyright 大地を守る会

スローな暮らし、安全な食や農業に対する関心など、日本では今あちらこちらで昔ながらの知恵や心の豊かさを求める暮らしへの関心が高まっています。長い間、右肩上がりの経済成長を続けてきた社会を見直す時期であることを、多くの人が感じているのでしょう。「大地を守る会」は、有機農産物の宅配を通じて、35年前からこういった流れの先駆的存在として、持続可能な社会に向けての道を切り開いてきました。青空市から始まった有機野菜の販売は、現在、農・畜・水産物、加工品の宅配として、2010年時点で利用者が10万人を越えています。

会を設立し、今日まで果敢なチャレンジを続けてきた代表の藤田和芳さんは、2007年『ニューズウィーク』誌の「世界を変える社会起業家100人」の一人に選ばれました。有機農業を推進する「運動」と、生産者と消費者をネットワークすることでビジネスモデルを構築した「事業」が、農業、福祉、環境、貧困、平和などの社会的な問題をビジネス手法で解決しようとするソーシャルビジネス(社会的企業)の起業と認められたのです。2011年4月、「大地を守る会」はこれまで別組織としていたNGOと株式会社とを統合し、本格的に社会的企業へと歩み始めます。

ここにつながるまでの35年間の活動を続けてこられたのは、「扱う食べ物がおいしかったから、そして難問にぶつかっても、また新しいことを考えるのがおもしろかったから」と、振り返る藤田さん。その軌跡を辿ってみたいと思います。


学生運動の嵐の後で

1947年、藤田さんは岩手県の農家に生まれました。東京の大学に進んだころは、学生運動真っただ中の時代。1960年代から70年代に世界中でスチューデンドパワーが吹き荒れ、日本の多くの大学でも「ベトナム戦争反対」「日米安保条約反対」などのスローガンを掲げ、藤田さん自身もその運動に身を投じていました。やがて嵐が過ぎ去り、卒業後は出版社に勤務したものの「なぜ学生運動を闘ったのか、自分は本当は何をしたかったのか」と、その後も自問自答の日々が続きました。

そんなときに、水戸市に住む高倉煕景(たかくらひろかげ)氏に出会ったのです。高倉氏は、戦時中陸軍医として毒ガスの研究をし、帰国後に日本中の田畑から毒ガスに使用する成分と同じDDTの臭いがしてくるのに驚き、故郷の水戸で農薬を使わない農業の研究をしていました。

日本は高度経済成長が続き、ありとあらゆるモノが全国で大量に生産されていた時代。若者が農村から都市へと移動して、都市は肥大化し、「時代遅れの農業」は、食糧増産を目標に農薬と化学肥料を使って、効率良く生産できる「近代的な農業」に転換を迫られていました。

水戸に出向いた藤田さんは、「無農薬の野菜は、虫食いがあるので売れない」と聞かされます。そこで「私がなんとかします!」と、仕事が休みの日に、水戸の野菜をトラックに積んで、東京江東区の団地で売り始め、これが「大地を守る会」設立につながったのです。青空市が評判となるにつれ、定期的に行うことになり、やがてグループを作って翌週の注文を取るという共同購入システムができあがっていきました。


株式会社として新たな価値観を

1976年には、出版社を辞めて、本腰を入れて「大地を守る会」に取り組むようになりました。同じ志のたくさんの仲間が集まるようになり、有機農産物は「考える素材」「単なる商品ではなく文化のかたまりだ」などという熱い議論が交わされたと言います。農薬の危険性を100万回叫ぶよりも、1本の無農薬のダイコンを作り、運び、食べることから始めよう」という、藤田さんの当初の志は、その後も一貫して変わりません。

JFS/Social Entrepreneurship Starting with One Japanese Daikon Radish - Kazuyoshi Fujita, President of "Daichi wo Mamoru Kai"
Copyright 大地を守る会


1977年には、NGO「大地を守る会」の流通部門として、「株式会社大地(現・株式会社大地を守る会)」を設立しました。「純粋であるはずの運動が、儲け主義に走った」など、世間から多くの非難を浴びましたが、藤田さんは「生産者と消費者が同じ会社の株主になって、日本の第一次産業を守っていく」という強い意志と使命感を持ち、新たな価値観を持った食文化の提案をしていきました。「全国学校給食を考える会」の発足や、無添加ハムやオリジナルの低温殺菌牛乳の開発など、提案型運動が事業として展開していきました。

コーヒー、バナナ、エビなどの輸入農産物については、生産者にとって公正な値段をつけるというフェアトレードを取り入れています。さらにもう一歩進んで、アジアの生産者に対して、安心して生産できる環境を作り出すため、藤田さんは2009年に設立された「互恵のためのアジア民衆基金」の初代会長となり、商品販売額の一部を寄付するというシステムを取り入れるようになりました。


オルタナティブな「社会的企業」をめざして

2000年以降は、市民参加型の運動を幅広く展開するようになりました。そのひとつが、JFSもパートナーとなっている「100万人のキャンドルナイト」です。「大地を守る会」が事務局となり、大勢の人がかかわって「でんきを消して、スローな夜を。」と呼びかけるこの運動は、2010年の夏至に全国で800万人を超える人が参加したと推定されるほど、全国に広がっていきました
http://www.candle-night.org/jp

CO2の削減を具体的に数値化できる「フードマイレージ・キャンペーン」もスタートしました。フードマイレージとは食べ物がとれた場所から食べる場所まで運ばれる距離のことで、輸入品よりも、国産のものを食べた方が輸送で排出されるCO2を節約できるということです。「大地を守る会」では、CO2が100グラムで「1ポコ」という独自の単位を作り、商品カタログに掲載することによって、会員は自分の買い物がどのくらいのCO2削減になったかを把握することができるのです。
http://www.food-mileage.com

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Copyright 大地を守る会


今、日本の若者たちの間で、オルタナティブという言葉が支持され始めています。「現状とは違うやり方」という意味合いで使われています。現代の若者は、昔のような激しい学生運動ではなく、静かに、しかし確実に現状を変えたいと望んでいるのです。

「大地を守る会」を立ち上げたときの「観念的な運動でなく、もっと地に足のついた運動こそが私にはふさわしいのではないか。上からの社会改革の運動でなく、下からの社会変革で」という藤田さんの思いこそが、オルタナティブな社会変革でした。激しく闘った学生運動をどこかで総括できなかった思いは、静かな社会変革として確実に実を結んだのです。「おいしく、おもしろく」という持続可能な方法で。

「社会的企業への未知なる道も、大きな渦を生み出しながら、楽観主義の精神で開拓していきたい。私たちがめざすのは第一次産業がもっと大事にされる社会であり、お互いが尊敬し合い、助け合って生きる社会です。だれもが平和に安心して暮らせるために」。藤田さんは、その著書「有機農業で世界を変える」をこのように結んでいます。さらに進化を続ける藤田さんの取り組みに、これからも熱く注目していきたいと思います。

JFS/Social Entrepreneurship Starting with One Japanese Daikon Radish - Kazuyoshi Fujita, President of "Daichi wo Mamoru Kai"
Copyright 大地を守る会


(スタッフライター 大野多恵子)

参考文献
藤田和芳 著 ダイコン一本からの革命 ― 環境NGOが歩んだ30年(工作舎)
藤田和芳 著 有機農業で世界を変える ― ダイコン一本からの「社会的企業」宣言(工作舎) 

※この「日本のエコ人物伝」シリーズは、独自の視点とユニークな活動で環境問題や持続可能性の分野で活躍し、功績を残してきたさまざまな日本人を紹介するシリーズ(不定期)です。

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