ニュースレター

2009年10月20日

 

日本の環境NGOの歴史と動向(前編)

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JFS ニュースレター No.82 (2009年6月号)

世界中で社会を変える大きな力として台頭してきたのが「市民」や、市民の集まりであるNGOです。欧米に比べると、日本のNGOや市民の活動は、まだまだ始まったばかりだといえるでしょう。しかし、欧米の進んだNGOや市民活動に刺激を受けつつ、同時に、欧米とは一味違う日本型のNGO・日本型の市民活動が展開しつつあります。日本のNGOや市民運動の歴史的な背景と現在の活動、そして今後について、私のとらえ方・考えをご紹介していきます。

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日本の市民運動やNGOの歴史を振り返るとき、私は3つの段階に分けて考えています。

最初の段階は、「産業公害との闘い」です。高度経済成長の時代、水俣病、四日市ぜん息、イタイイタイ病など、さまざまな地域で起こった公害が日本の人々を悩ませました。そうした状況で、主にその地域に住む住民を中心に、公害への反対運動が盛んになりました。

反対運動が全国に広がっていく中で、企業にちゃんと責任を取ってもらおう、国にもきちんと法律をつくってもらおう――単に影響を受けるだけではなく、影響を及ぼす側としての市民の意識が高まっていきました。そして、住民の活動の広がりにも押されて、政府も数々の公害対策の法律をつくり、企業でもさまざまな対策をとるようになりました。

具体的には、1970年11月末に開かれた臨時国会(第64回国会)で、公害対策を求める世論にこたえて、公害問題に関する集中的な討議が行われました(「公害国会」と呼ばれています)。ここで政府は、全国で問題となっている公害への対処には公害関係法制の抜本的整備が必要であるとして、公害対策基本法改正案をはじめとする公害関係14法案を提出し、そのすべてが可決成立したのでした。

2番目の段階は、「生活型公害への取り組み」です。企業が引き起こす公害ではなく、私たち一人ひとりの生活から出てくる公害に対する取り組みです。その一つの象徴となった出来事は、1977年、日本でいちばん大きな湖である琵琶湖に大量の赤潮が発生したことです。

琵琶湖は、大阪や京都など、たくさんの人々の飲み水を提供している大事な湖です。調べたところ、家庭用の食器洗いの合成洗剤に含まれているリンが原因だったことがわかりました。

「自分たちの生活が公害を起こしてしまっている」――住民は大きなショックを受けました。そして、「自分たちで何かしていかなくてはならない」と、主婦を中心に、「石けんを使おう」という運動が広がりました。合成洗剤を使うのをやめて、湖を守ろうとしたのです。この「石けん運動」は、琵琶湖から全国に広がっていきました。そして、琵琶湖がある滋賀県も日本政府も、湖や沼の水質を保全するためのさまざまな条例や法律をつくりました。

この段階で市民は、単に公害をまき散らしている企業を告発する・反対するというのではなく、自分たちの暮らし方が地球や自然に影響を及ぼしていることを知り、自分たちの生活を見直し、変えていこうという取り組みを始めたのでした。

そして、さらに意識が広がり、地球環境への取り組みという3番目の段階が出てきました。それまでは、自分たちの地域の川が汚れている、海や山が荒れている――と、ローカルな問題として環境問題をとらえていたのですが、1990年に入ってから、特に1992年の地球サミットをきっかけに、環境問題とはグローバルな問題でもあるという意識が、日本の市民の中にも芽生えてきました。これは日本に限らず、世界的な意識の変化だったと思います。

そしてこの頃、日本にとって大きな影響を与えた事件が起こりました。1995年の淡路・阪神大震災です。6千人を超える方々が亡くなり、街の機能がストップし、大変な状況となったのです。この時、日本全国から学生たちや一般の人たちが阪神に集まり、自分たちの手で街を取り戻そう、被災者の人たちに手を差し伸べようと、懸命の活動をおこないました。

日本では、この年が「ボランティア元年」と言われています。自分のことだけやっていればいいというのではなくて、ほかの人々にも手を差し伸べよう、それがお金にならなくても、必要なことを社会の中でやっていこう――そうした意識を大きく進めるきっかけとなったのでした。

そして、1997年に京都で京都議定書を採択する会議が開かれました。これを何とか成功させたいと、日本の市民は力を合わせました。それまでの日本のNGOの多くは、小さな規模で、それぞれの地元でバラバラに活動している状況でした。しかし、欧州など他国で開催されてきた温暖化会議で、国中の多くのNGOが集まってネットワークをつくって会議に参加している様子に刺激を受け、日本でもNGOのネットワークをつくろうという動きが出てきました。

この京都会議に対して市民側からも働きかけようと、さまざまな市民団体、NGOが集まって、「気候フォーラム」というネットワーク型NGOをつくりました。日本で、市民団体がネットワークをつくることでさらに大きな力を発揮する、大きな一歩になったのです。気候フォーラムは、今では「気候ネットワーク」として温暖化問題への取り組みを続けています。

このように、日本でもさまざまなNGOが活動するようになってきました。それを受けて、政府も、社会におけるNGOの位置づけをはっきりさせようという動きが出てきました。それまでのNGOはほとんどが任意団体にすぎず、法的な位置づけがありませんでした。ですから、事務所を借りたいと思ってもなかなか貸してもらえなかったり、融資も受けられなかったり、苦労をしていたのです。

1998年に「NPO法」が施行されました。政府もしくは自治体が認めたNGOに対して、法人格を付与するもので、これによって、事務所を借りるなどさまざまな活動がしやすくなりました。このあと、日本では爆発的にNPO法人が増えていきました。

現在、日本には3万5000を超えるNPO法人が活動をしています。多いのは医療や福祉、まちづくりといった分野です。環境分野で活動しているNPO法人も非常に多く、1万団体ほどあります(ちなみに、わがJFSは特に必要性を感じていないため、NPO法人ではなく任意団体のNGOのまま活動を続けています。そういったNGOや市民グループも数多くあります)。

特に最近、温暖化が加速している現実をさまざまな報道で知るにつけ、「国や行政に頼っていては間に合わない、もっと早く動かなくてはいけない」という意識が市民の間に広がりつつあります。日本はこれまでは、「政府がリードし、企業や市民が従う」というパターンが多かったのですが、政府のリードする力が弱まっていることもあり、市民の主体的な温暖化対策の動きが広がっています。

一つは、次世代や一般の市民向けの環境教育の分野です。また「持続可能な町づくり」への動きも広がっています。たとえば、「できるだけごみを出さない。出てしまう分は、リユース、リサイクルしよう」という取り組みがたくさんあります。また、JFSのニュースレターでもお伝えしました「市民共同発電所」などの取り組みを通じて、「エネルギーの地産地消を進めよう」という動きも広がっています。

参考:日本の市民共同発電所の動き
http://www.japanfs.org/ja/join/newsletter/pages/028570.html

また、「地域の資源を活かそう」という動きも盛んです。日本は国土面積の67%が森林ですが、安価な外材に押され、日本の森林資源が利用されない状況がずっと続いてきました。森は、利用しないと手入れができなくなります。日本の森が荒れ始めている中で、自分たちの山を守っていこうといった動きがあちこちで進んでいます。

これまでの日本の市民活動やNGO活動の展開を、ざっとご紹介しました。大きく2つの流れを感じています。

一つは、「何かに反対するための活動」から、「何かを応援する活動」へのシフトです。かつては、公害や、ダムや森林開発など乱開発に対する反対運動が各地で繰り広げられました。現在もそういった活動は局所的に続いています。しかし、温暖化をはじめとする地球環境問題のように、私たち一人ひとりが加害者であるといった問題に対しては、何かに反対する活動よりも、「望ましい日本の姿、望ましい社会のあり方をみんなで描き、そこへ向かう動きを応援していこう」というアプローチも重要であり、そういったNGOの活動も盛んになりつつあります。

もう一つの流れは、これまでのNGOは「意識の高い少数の人たち」が活動するもの、でしたが、ごく普通の人たちの参加も増えてきました。たとえば企業に勤めつつ、空いた時間でNGO活動をする人も増えています(JFSの500人近いボランティアの中にも、こういう方がかなりいらっしゃいます)。このように広がりを持った活動になりつつあるのは心強いものです。

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次回は、日本のNGOのあり方や活動にはどのようなタイプがあるのか、どのような役割を果たしているのか、いくつかに分類してご紹介しようと思います。

(枝廣淳子)

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