ニュースレター

2013年08月20日

 

フードバンクから見える食品廃棄の現状と被災地支援(後編)

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JFS ニュースレター No.131-3 (2013年7月号)


食品企業・学校・農家・個人などから無償で提供された、品質には問題がないが市場では販売できない食品を、必要としている人たち(福祉施設・団体・個人)へ無償で配布するというフードバンク活動。

前編に引き続き、JFSゼネラル・マネージャーである小田理一郎が主宰するサステナブル・フード・ビジネス研究会が、セカンドハーベスト・ジャパン・アライアンス事務局長の大竹正寛氏と被災地支援に尽力される配島一匡氏を招いて開催した研究会から、被災地支援の現状についてご紹介します。

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<混乱の極みから始まった被災地支援>

東日本大震災の支援としてセカンドハーベスト・ジャパンが行ったことは、各地のフードバンクの連携、共同のフードワーク ネットワークの構築です。震災翌日から、各地の状況を確認しようと動きだし、セカンドハーベスト・ジャパンを中心として、どのような連携ができるのか検討を始めました。

仙台に「東北AGAIN」というフードバンク団体がありますが、当初はまったく連絡がつかず状況が分かりませんでした。東北AGAINから一番近いのが東京のセカンドハーベスト・ジャパンだったため、クルマの手配などオペレーションを担うことにしました。各地のフードバンクには、それぞれのネットワークで企業などに当たり、現地に行けるようになったとき、一斉に東京に集約して運べるよう準備を依頼しました。

まず、セカンドハーベスト・ジャパン代表のチャールズ・マクジルトンが、震災から2日後にCNNの取材で現地に入って状況を確認。私(配島氏)は緊急車両証がようやく3月14日の朝に取れ、AGAINのサポートという形で現地に向かいました。現地について、まず状況確認のため仙台にある宮城県庁の災害対策本部に行きました。災害救助法の適用を受け、自衛隊などが集まっているところです。

震災から4日目の3月15日、そこは混乱の極みにありました。まず誰が担当か分かりません。誰もが忙しすぎて、何をしているかよく分からない状態でした。ようやく対応していただいた職員の方も、おそらく4日間寝ていなかっただろうと思います。本来の行政機能を期待できるとは思えなかったので、行政ができることと私たちができることを、うまく切り離して考えなくては、と思いました。自衛隊や行政が入る地域はそちらに任せ、そこから漏れている方々や支援が滞っているところを、私たち民間で動こうという方針を決めました。


<一律な支援では役に立たない>

石巻など仙台以外の地域については、現地の食品が集まるセンターを活用し、仙台にあるグループと情報をやりとりし、例えば福島のどこの団体に水を10トン届けよう、などとマッチングすることにしました。

最初はほとんどの方が避難所に入ったため、多くの食品を一斉に提供すればよかったのですが、徐々に自宅に戻る方が出てきたり、仮設住宅に入る方が増えてくると、事情がそれぞれ違ってくることもあり、復興の格差が生まれないように、支援方法もどんどん変えていかねばなりませんでした。

毎日状況が変わっていくため、昨日よかったことが今日には変わっている、ということがよく起こり、何事も一律には進められません。行政的な一律対応の場合は、数がそろっていることが重要です。100人いるところに99個ではだめなのです。そこをうまくかけ合いながら埋めていくのが、民間として求められる動きだったと思います。

また個人情報の壁があります。行政からはもちろん個人情報は出てこないので、どこに困っている方がいるか分かりません。仮設住宅ならネット検索でその存在が分かりますから、どうしてもそこに支援が集中しがちです。しかし、そこから漏れている方々、いわゆる「みなし仮設」の方々がいます。

仮設住宅は、撤収まで含めると1部屋につき400~500万円ほどの建設費がかかるため、空いている民間住宅を活用する方が、ずっと経費削減になるので、仙台市で約8,000世帯がみなし仮設で生活しています。そうした方々の情報は出てこないため、支援する方法がありません。そうした情報をどう取っていくか、日々模索しながら活動していました。


<平時の備えが緊急時にものを言う>

緊急時には、情報やモノのアクセスが現地に集中します。でも、県庁の災害対策本部の例にあるように、究極の状態で動いている方ばかりの中で、現地に判断を任せることはできないと感じました。支援をしたい人たちと現地の間にワンクッション置く必要があります。

セカンドハーベスト・ジャパンで1つできたことは、東京に本部を置いて、現地には本当に必要な情報だけもらうようにしたことです。基本的な連携は東京本部に集約し、必要な情報やモノをまとめて被災地に送るという考え方です。

食品企業が支援する際にも、時期についての検討が必要でしょう。初めの時期に集中してしまうと、どうしても途中で息切れしてきます。実際、現地で支援する人はとても減っています。自分たちにできるタイミングを図り、模索する場を平時につくっておけば、緊急時にも対応できると考えています。

個人からの食品の寄付は、当初、仕分けが不可能で各自治体は受け入れを止めました。セカンドハーベスト・ジャパンは個人の寄付も受けたところ、毎日全国から4トン車1台分の食料が送られて来てました。それを100人ほどのボランティアの方で仕分けし、必要なタイミングで被災地に届けていました。平時の動きや連携が、緊急時の基礎になるということを実感しています。

また浄土宗の関係で、「米一升運動」という活動に震災前から取り組んでいました。各地のお寺を中心にして、地域の檀家の方々からお米を集め、地元のフードバンクに寄付するというものです。震災後もすぐ、檀家さんを集約する流れをお寺でつくろうと話しました。

これを機に浄土宗では、各地のお寺で食品を集めて地元の福祉施設に提供するという、フードバンク的なことをやっていこうという動きがあります。「フードバンク」という横文字よりは、お寺という社会資源を使えれば、むしろそのほうがうまくいくでしょう。

こうした流れを全国でつくっておけば、今後、また別の緊急事態が起こったときも、各地の支援を集約して必要なところに届けることができるのではないかと、現在進めているところです。


<コミュニケーション・ツールとしての食の価値>

セカンドハーベスト・ジャパンの現在の支援活動は、石巻にサテライトを設置し、それ以外の地域では、地元の方々が活動している団体に定期的・継続的に支援物資を提供しています。この先も末永い活動になることを思うと、東京から通い続けるのは無理があるうえ、それでは社会資源として残らないため、すべてを自分たちでやらず、地元の方々が活動しやすい形にしていくことが非常に重要です。私たちは食品を集めることに集中して、現地の方々に必要なタイミングで必要なものを提供するようにしています。

石巻にサテライトを設置したのは、やはり石巻の被害が大きかったためです。いわゆる在宅被災者の方がおよそ2,000世帯いると言われていますが、そこには支援の手がなかなか届きません。定期的に観察していかないと、その方々がいつ厳しい状況に陥ってしまうか見えないため、サテライトを設置して活動しています。

また、遠隔地へのパントリー提供も行っています。通常は、東京で箱詰めをして各地へ送っていますが、今は東京に避難している方にも提供しています。福島の方々は全国に避難しているので、そちらにも宅急便で提供しています。毎月500箱ほど提供していますが、仮設住宅などに届けるものは、初めのうちは中身をある程度そろえるために、寄付金を使って購入したものを入れたりもしていました。今後は個別対応になるため、臨機応変に、通常のフードバンクで無償でいただくものを提供していく形になります。

各地のフードバンク設立の協力も進めています。東北では、仙台と福島県にはNPOが多いのですが、岩手県や特に沿岸部には不十分です。今回の震災を機に、自分たちで社会運動をつくっていこうという動きがあり、いま、福島県と岩手県で、フードバンクを立上げたいという方々に協力しています。

日ごろ、食品を提供くださる企業は、物質的な意味での食品を現地で使ってくださいとおっしゃいます。しかし、私たちは単に食品を配っているわけではなく、気持ちを届ける役割もあるのです。実際に相手のところに足を運んで、顔を見て届けるので、言葉を交わし、家の様子も少しは見えたりするので、食品はコミュニケーションのツールのひとつでもあると思います。

被災された方々にとっては、その食品が「忘れていないよ」というメッセージにもなります。パントリーのパッケージには励ましのメッセージを入れたりもしました。大きいものでも高級なものでもなくとも、ちょっとしたツールとして、これからも被災された方への提供を続けていきたいと思っています。

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貧困層が増えている日本、東日本大震災からまだ立ち直っていない日本、いつまた何時震災に襲われるかわからない日本で、セカンドハーベスト・ジャパンの活動は今後ますます重要になってくることでしょう。JFSとしてもぜひ応援していきたいと思っています。


サステナブル・フード・ビジネス研究会 講演録より(編集:長谷川浩代)

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