ニュースレター

2011年06月28日

 

大切な風景への"思い"が生み出す、新しい地域の絆 ~ 東京都世田谷区の取組み

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JFS ニュースレター No.105 (2011年5月号)
シリーズ:地方自治体の取り組み 第35回  


日常の何気ない風景を眺めることで、癒しや安らぎを感じることはありませんか? 季節ごとに表情を変える桜並木、沿道に植えられた色とりどりの花々、人々が行き交う商店街のにぎわいなど、誰にでも暮らしの中で大切にしたいと思う風景があるものです。そうした一人ひとりの思いを、地域の人々と共有できたら、その風景は地域の資産として、大切に受け継がれていくかもしれません。身近にある大切な風景を、コミュニティの力で守り育てていく――そんな活動が、東京都世田谷区で始まっています。

世田谷区の概要

東京都世田谷区は、東京23区の西南端に位置する住宅都市です。区の面積は約58.08平方キロメートル。人口は23区最大の約83万6000人を抱えています(2011年1月1日現在)。南西部を流れる多摩川と野川沿いには、「国分寺崖線」と呼ばれる斜面地が連なり、23区では数少ない貴重な自然環境が残されています。戦前までは、のどかな田園地帯でしたが、京王線、小田急線、東急田園都市線などの私鉄が走り、都心への交通の便が良いことから、戦後、急激に都市化が進展しました。

現在では、区内の約8割を住宅地が占めている世田谷区ですが、その街並みはバラエティに富んでいます。関東大震災後、下町からの移転で急速に市街化が進み、迷路のような住宅密集地が形成されている世田谷・北沢地域。昭和初期、大規模な耕地整理事業が実施され、郊外型の住宅地として開発・分譲された玉川地域。戦後、農地が宅地化されてできた烏山・砧地域の住宅地など、地域ごとに異なる特徴がみられます。

世田谷区では、1980年に都市美委員会が発足したのを契機に、より美しい都市づくりを市民参加で進めるための取り組みが実践されるようになりました。1984年には、区民投票で「せたがや百景」「せたがや界隈賞」を選定、1987年から1988年にかけて、世田谷清掃工場の煙突色彩コンペを行うなど、区は、地域の風景を区民とともに考えるための施策を次々と打ち出していきます。やがて区民の間でも、身近な風景に対する関心が少しずつ高まっていきました。


風景づくり条例と地域風景資産

これらの実践を経て、世田谷区は1999年3月、「世田谷区風景づくり条例」を制定し、市民と行政のパートナーシップによる独自の風景まちづくりをスタートさせます。この条例は、「地域風景資産」の選定という、区民参加で行うユニークな仕組みを取り入れていることが特徴です。地域風景資産の選定は、次のようなプロセスで行われます。

まず、区の呼びかけに応じて、区民が"大切にしたい風景"を資産候補として推薦します。推薦した区民は、その風景に共感してくれる「サポーター」と交流し、協力しながら、風景を守り育てるための活動計画書「風景づくりプラン」を作成します。その後、区民や区の職員、専門家からなる「選定人」が、資産候補と「風景づくりプラン」を現地で確認し、評価を行います。この評価を基に、公開の場で地域風景資産が選定されます。

地域風景資産は、(1)風景としての資産の価値があること、(2)地域の共感・共有があること、(3)風景づくりにつながるアイデアがあること、(4)コミュニティづくりにつながる可能性があること、という4つの条件を基準に選定されます。地域風景資産の選定は、風景に優劣をつけることが目的ではありません。選定という行為を通して、多くの人たちと身近な風景の価値を考え、大切にしたい風景のために活動する人の輪を広げていくことを目指しているのです。

2002年の第1回選定では36カ所、2008年の第2回選定では30カ所が選ばれ、世田谷区の地域風景資産は、合計66カ所となっています。その風景は、商店街のにぎわい、桜並木、歴史的な建造物、野菜畑、富士山の見える眺望などさまざまですが、地域風景資産の選定をきっかけに、それぞれの風景を守り育てるための新たなコミュニティ活動が、着実に生まれ始めています。

世田谷区 地域風景資産について
http://www.city.setagaya.tokyo.jp/030/d00018466.html


季節の野草に出会う小径

砧地域の地域風景資産「季節の野草に出会う小径」は、住宅地に残る全長300mほどの土の小径です。思わず見過ごしてしまいそうな土の小径で、素敵な風景づくり活動が始まったのは、「ヨメナやホトケノザ、オオイヌノフグリなど懐かしい野草と出会える、貴重な土の道をいつまでも大切に残したい」という、一人の主婦の"思い"がきっかけでした。

小径を推薦したのは、近所に住む西川美枝子さんです。西川さんは当初、地域の共感が得られるか不安でしたが、勇気を出して地域の人に声をかけたところ、次々と協力者が集まり、うれしい気持ちでいっぱいになったといいます。選定後の2003年1月には、地域の人々とともに「船橋小径の会」を立ち上げ、新聞『こみち』の配布や、「みどりの情報板」の設置を通じて、小径の魅力を地域に伝える取組みを開始しました。

なお、小径は区道指定があるため、「会」が勝手に管理することはできませんが、選定を拠り所に区と話し合い、草刈りや石の除去などを継続的に行うことで、区との信頼関係を徐々に構築していきました。活動開始から1年半が経過した2004年、区は「会」と小径の維持管理協定を締結し、植物への水やりやゴミ拾い、草刈りなどを任せるようになりました。

「会」では、これまでに植物観察会をはじめ、寄せ植え講習会、ヤマブドウの実を利用したジャムづくりなど、さまざまなイベントを開催し、地域の人々が小径と小径の草花を楽しむ機会を提供してきました。小径は今や、地域の人々にとってかけがえのない交流の場となっています。現在、「会」のメンバーは約80名となり、新聞『こみち』の発行も30号を超えています。

船橋小径の会
http://setagaya.kir.jp/komichi/index.php?mode=page&aim=E888B9E6A98BE5B08FE5BE84E381AEE4BC9AE381A8E381AF


上北沢駅前の桜並木

烏山地域の地域風景資産「上北沢駅前の桜並木」は、京王線上北沢駅の南側から、南西方向に約200m続くソメイヨシノの並木道です。1923年の関東大震災直後に、郊外型住宅地として開発された際、街路樹として植えられたもので、樹齢80年を超す当時の木が今も残る、歴史ある桜並木です。毎年春になると、見事な花を咲かせる地域のシンボルとして、長年にわたり人々に親しまれてきました。

しかしこの桜並木、ほとんどが樹齢50年以上の老木である上、アスファルトで覆われ、根を張るスペースも十分にないなど、過酷な生息環境にさらされています。このため、老化と衰弱が著しく、一時は、いつ枯れてもおかしくない危機的な状況にありました。地域風景資産の選定後に行われた、区と区民の合同会議では、「あの桜並木は、相当に弱っている」という声も上がりました。

「上北沢の桜並木を地域風景資産として恥かしくない姿に戻そう」。合同会議をきっかけに、2004年3月、桜並木の保全を目指す住民組織「上北沢桜並木会議」が発足しました。「会議」には地元に住む樹木医も参加し、桜の実態調査や勉強会など精力的な活動を開始します。さらに、区とも連携を取りながら、住民主体の並木保全活動を展開していきました。

現在、「会議」では、約50本分の桜すべてのカルテを年2回作成し、自分たちの手で桜の健康状態を管理しています。区が実施している、樹勢回復治療の現場にも立ち会い、桜の回復状況を丁寧に観察するようになりました。このほか、接ぎ木によって並木の子孫を残す試みにも挑戦しています。「この活動を通じて、地域の大勢の人とつながりを持つようになりました」と、運営委員の和田和典さんは話しています。「会議」のホームページは、地域でも評判になっているそうです。

上北沢桜並木会議
http://www.sakuranamiki.org/


コミュニティが風景をつくる

風景をきっかけとしたコミュニティ活動は、現在、急速に失われつつある、地域の絆を取り戻すための有効な手段といえそうです。何より、身近な風景は、地域の人々にとって共通の話題であり、見知らぬ人同士でも気軽に打ち解けられるテーマです。大切な風景への"思い"を住民同士で率直に語り合うことによって、より良い地域づくりに向けた新たな知恵も生み出されていくでしょう。素敵な風景がある街には、素敵なコミュニティが形成されている――世田谷区の地域風景資産は、まさにそれを証明するための仕組みなのです。

(角田一恵)

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