ニュースレター

2011年03月08日

 

英虞湾の干潟再生をめざして

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JFS ニュースレター No.99 (2010年11月号)


干潟とは、潮の満ち引きによって、水面から出たり入ったりする砂と泥でできた場所です。河川から流れてくる淡水と海水が混じり合う干潟は、陸からは栄養分が流れ込み、干潮時にはたくさんの酸素や光を浴びて、「海の揺りかご」と呼ばれるほどたくさんの生き物を育てます。

干潟には、カニや貝、ゴカイなどのたくさんの生き物が住んでいます。ハゼなどの多くの魚も、幼魚の間の生育場所として干潟を利用します。野鳥も、餌場や休憩場所として干潟にやってきます。このように干潟はたくさんの生き物のすみかなのです。

また、干潟では、潮の満ち引きによって、汚れた水が干潟の砂粒の間を通ることで、ろ過されます。砂粒の間に住むバクテリアなどの小さな生き物の働きによって、有機物が分解されて水がさらにきれいになります。また、アサリなどの生き物は、水の中に浮いているものを餌として体内に取り込み、さらにそういった生き物を野鳥や魚が食べ、干潟の外に運んでいくことで、海をきれいにします。このようにたくさんの生き物がいる干潟ほど、海の浄化力が大きいのです。

そして、干潟は海と陸の間でバッファー(緩衝帯)の役割も果たしています。台風や強い波が来ても、そこに干潟があれば、その勢いを弱めることができます。ハリケーン・カトリーナが米国のニューオーリンズで悲劇的な損害を与えましたが、もともと海辺にあった干潟を埋め立てていなかったら、あれほどの被害にはならなかっただろうと言われています。

このように、たくさんの生物をはぐくみ、水を浄化し、嵐や波から陸地を守ってくれる、私たちにとっても重要な干潟ですが、世界各地でその多くが埋め立てられ、どんどん干潟が失われています。日本でも、1945年に比べて41%もの干潟が姿を消してしまいました。しかし、もう一度干潟を復活させよう、という動きも出てきています。今回は、真珠で有名な三重県の伊勢に広がる英虞(あご)湾の干潟再生の取り組みについてお伝えします。

かつて、英虞湾の奥部には、海面面積の約10%に当たる約269ヘクタールの干潟がありました。しかし、江戸後期から干潟は干拓され、田んぼに変わっていきました。そうして、約70%の干潟が英虞湾から姿を消したのです。

しかし、今となってみれば、干拓して田んぼにした場所も、その85%以上が使われず、休耕田や荒れ地になっています。周辺域からの生活排水の流入や真珠養殖からの汚れの影響に加えて、干潟が減少していることから、干潟の持っていた海水浄化力や生き物を支える力が失われて赤潮や貧酸素が頻発し、特産品である真珠のアコヤガイをはじめ、二枚貝に被害が出る状況が続くなど、海域の汚染が大きな問題となってきました。

そこで、干潟の干拓地が使われなくなっているのなら、もう一度干潟に戻そう、それによって英虞湾をもう一度きれいな海に戻そうという取り組みが進められています。

この取り組みを進めているのは、三重県水産研究所です。2006年から3年間、以前干潟だった場所に海の水を出し入れするという研究をおこなったところ、アサリなどの多くの生き物が戻ってきました。

この研究をもとにさらに一歩進め、干潟と海の間に堤防を造って干潟を仕切って水を干し、雨水や陸からの流水がたまってどぶ池のようになっていた場所で、いよいよ干潟再生の取り組みを始めました。この場所は、堤防で海と仕切られていたため、陸地の栄養が海に流れ出ずに、堤防の内側の池側は過栄養状態である一方、外側の海のほうは貧栄養状態で、どちらも生き物の種類も個体数も少なく、荒れた状態でした。

この堤防は、伊勢湾台風やチリ地震などの時代に、当時は耕作していた農地を塩害から守るために県や国が防災としてコンクリート製の堤防を築いたものです。この場所は、「一般海域」ということで所有者がいませんでした。そこで、関係者と話し合った結果、この場所でまず取り組みを始めることにしました。英虞湾自然再生協議会が立ち上がり、漁業関係者、観光業者、自治体などで話し合いを進めています。

この堤防は、昭和35年ごろに造られたので、50年間、海水の行き来がなく、50年分の陸地からの有機物がたまっていた状態でした。海水によって、50年分たまっていた有機物が少しずつ分解され、再生が進んでいくとの期待を背に、2010年の4月、堤防のフラップを開けて、海水が出入りできるようにしました。

海の水を導入する前は、極めて状態の悪い淡水の池で、ユスリカのような生き物しかいませんでした。生物の種類を数えたところ6種類だったそうです。しかし、海水を導入して3カ月後の6月に調査をしたところ、生き物の種類は14種類に増えていました。たった3カ月でも、干潟は再生し始めているのです。

干潟はどのように再生していくのでしょうか? まず"日和見種"といわれるゴカイや小さな貝など、ライフサイクルの短いものがどっと増えます。そののち1、2年たつと、それらを餌とする食物連鎖の上位の生物が現われます。これらの生物は寿命も長く、大型のものです。そして3年ぐらいすると安定して、元の干潟のような状況になると考えられています。

干潟再生に取り組んでいるこの場所は、広さ約2ヘクタール。ここにたまっている水の7~8割が毎日入れ替わるくらいの交換率で、海水を導入しています。堤防の中央にある約1.8×2メートルのフラップを上げただけで、2ヘクタールの隅々まで海水が行き渡るというのは驚きです。次回の調査では生き物の種類はどのくらいに増えているでしょうか? この干潟の再生がとても楽しみです。

英虞湾には、この場所のようにかつて干拓され、現在は使われなくなった"元干潟"が500ヶ所、合計185ヘクタールもあるといいます。三重県農水商工部では、このすべてを調査し、所有者、面積、利用状況などをデータベース化しました。このデータベースを用いて、今後干潟に戻す取り組みを進められそうな所を特定することができます。

干潟再生を進める上での課題は何でしょうか? いちばんのハードルは所有者の理解を得ることだそうです。今回再生に取り組んでいる場所は、たまたま所有者のいない土地でしたが、ほとんどの"元干潟"の土地は、個人や企業が所有しています。その土地の再生が可能であること、そしてそれが自分にとってメリットがあることを、どのようにわかってもらえるか――その理解を得ることがこれからの大きな課題です。

また、地元の志摩市はこの取り組みを推進していますが、今後は堤防管理者である三重県や堤防などの管理を三重県に委託している国(農水省)などとの連係や協働も大事になってくるでしょう。この干潟と海の間の堤防に立って周りを見回すと、海と山と田んぼの広がる素敵な景色なのですが、堤防で仕切られた海側は国交省が管轄し、この場所自体は国立公園であるため環境省が、そして堤防自体は農業事業の一環として農水省が管轄するといった具合に、縦割り行政の壁が立ちはだかっています。

現在この場所では、地元の人々の理解と関与を求めて、月1回ほど観察会を行ったり、海藻をみんなで植えたりなどの活動を地元の人々や学校と続けています。この場所にアサリをまき、そのうち潮干狩りをしたいという計画もあるそうです。

日本には、人工干潟を造るという取り組みはありますが、元干潟だった所を干潟に戻すという取り組みはあまりありません。数値モデルによるシミュレーション計算によると、現在の84ヘクタールの干潟に加えて、元干潟だった部分をすべて再生し、干潟の面積を266ヘクタールに増やせば、有機物の除去能力は年16トンから年126トンへと大きく増え、赤潮の発生や貧酸素化を大きく抑制することができます。

県水産研究所や行政、市民やNGOの取り組みに加えて、企業のCSR活動、真珠に対する環境ラベルの設定等を通じて消費者の意識も高め、干潟を再生することできれいな英虞湾を取り戻すことが、下降の一途をたどっている三重県の特産品である真珠の生産・販売量の回復にもつながる取り組みに広がっていくことを強く期待し、英虞湾の干潟再生の成果と他の場所への広がりを見守っていきたいと思います。

(枝廣淳子)

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