ニュースレター

2010年03月09日

 

中国の環境NGOレポート

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JFS ニュースレター No.87 (2009年11月号)

2009年の夏、AFS(Asia for Sustainability)プロジェクトの一環として、アメリカに留学中の中国人の学生がジャパン・フォー・サステナビリティ(JFS)にインターンとして来てくれました。この機会に、中国の環境NGOの実態についてレポートを書いてもらいました。

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歴史と成長

1993年に、北京が「2008年夏季オリンピック」の候補都市に選出された時、北京オリンピック委員会の代表者たちは、国際オリンピック委員会(IOC)の委員から北京の環境NGOについて質問されました。しかし、当時の中国にはNGOが存在しなかったため、北京の代表者たちはこの質問に答えることができませんでした。

中国でNGOを設立するには、社会団体登録管理条例に基いて法的資格を得るために、業務主管部門の批准文書を提出し、組織の登録を行わなくてはなりません。さらに、活動拠点、常勤の職員、3万元(約38万円)以上の登録資本金、及び「監督事務局」として指定されている政府機関からの承認印付きの公文書が必要となります。

1994年、「自然之友」が中国での環境NGO第1号に正式に登録され、続いて1995年に「北京地球村」が中国工商行政管理局の傘下にある民間企業体として登録されました。これが中国の環境NGOの始まりです。このように、中国のNGOはNGOか民間企業体かのどちらかの形で登録されています。

これまでを振り返ると、中国環境NGOの発展は次の3つの期間に分類することができます。

第1期間(1994年-2000年)は、「自然を守る期間」と言えるでしょう。この時期のNGOの活動には、一般的な環境意識を推進すること、国民の参加や支持が少ないこと、自然保護中心の取り組みであること、という特徴があります。

日本など先進国のNGOは、ほとんどが産業汚染の対策から取り組みが始まっていますが、中国の環境NGOは、野生動物の保護や水保全、その他の環境保護から活動を始めています。たとえば、「自然之友」は、設立当初、中国西部の野生の絶滅危惧種を救うことに重点をおきました。

中国の環境NGOが、産業汚染対策よりも自然保護から活動を始めたのはなぜでしょうか? それには、社会経済的な影響と文化的な影響という二つの大きな理由があります。

一つは、1994年から2000年までの間、中国政府が産業に対する大規模な投資戦略を採用したことです。産業発展がもたらした驚異的な生活水準の向上に比べると、産業汚染は大きな問題ではなく、しかも、ほとんどの廃棄物は田舎や未開発地域に運ばれていたため、社会の大半は公害問題の影響を直接受けることはありませんでした。

もう一つは、中国環境NGOの先駆者たちのほとんどが自然やアウトドアスポーツの愛好家たちだったことです。多くのアウトドア活動やエコツアーの現場が、農村部の工業化や汚染によって深刻な痛手を受けました。彼らにとって、環境NGOを始めることは、自然だけでなく、自分自身の興味や情熱を守ることでもあったのです。

第2期間(2000年-2005年)は、「国がかりの期間」です。国民の環境活動を推し進めたのは、中国のユニークな政治力でした。中国の政治家たちには、市民のビジョンや発展を国全体の将来に結びつける強力な力があったのです。

国の成長に積極的に取り組むことは、中国の国民一人ひとりにとって喜ばしいものです。中国国民の強い愛国心は、彼らの公的な環境貢献と密接に関わっていました。1999年の「西部大開発」という政府活動と、2001年の「北京オリンピック組織委員会」の2つは、国家の環境ビジョンが個人の環境への関わりを強めた良い例です。

第3期間(2005年-現在)は、「本格的なNGO時代」です。中国経済の上昇と国内環境の悪化にともない、環境問題について真剣に考える国民が増えています。2005年から2008年までの期間に、環境NGOの数は2,758から3,559にまで増えました。

国際化の進展や、メディアを通じて世界に中国の大きな可能性が伝わったため、中国の環境NGOは、外国の団体との協力でその専門レベルを向上させたり、資金を集めたりし始めています。米国などの先進国に住んだ経験のある中国人の若者や親中派の外国人が設立するNGOもたくさんあり、外国に本拠地を置く環境NGOの活動も活発です。


中央政府の政策

1999年、中華人民共和国第五代国家主席、江沢民によって「西部大開発」運動が始まりました。中国西部を発展させ、住民の生活水準を沿岸地域に近づけようという取り組みです。政府はこの運動の5つの指針の一つとして、生態系の維持と環境保護を掲げ、多くの新しいNGOが中国西部、特に雲南省において設立されました。NGOは中国政府と協力して大規模な建設によって起こる環境破壊から中国西部を守り、生態系を守る努力をしました。

また2001年、2008年夏季オリンピックの招致に成功した北京オリンピック委員会は「グリーン・オリンピック」運動を宣言し、この目標達成のために、環境NGOが急激に増えました。現在も継続している「26度運動」は、省エネのために北京市内のホテルやレストラン、公共施設のエアコンの設定温度を26度に保つことを呼びかける運動です。「ノーカーデー」とともに環境NGOが始めた運動の一つです。

2005年初頭に新政府が発足すると、中国中央政府は環境問題に関して「持続可能な開発」のメッセージを発信したり、多くの識者に対し温暖化を食い止める取り組みに参加を促したりなど、これまで以上に積極的な施策を行うようになりました。北京オリンピックが近づき、中央政府はクリーンエネルギーやその他の環境保全計画を推進するために莫大な投資をし、政府の施策に応えるために、新しい環境NGOがあらゆる分野で設立されました。


社会とメディアの役割

中国の環境NGOの成長において、もっとも大きな影響を及ぼす要因がインターネットです。2000年の初め、中国各地でインターネットが急増すると、環境NGOは次々とウェブサイトを開設してボランティアや各環境NGOの関係者とコミュニケーションを取ったり、ボランティア向けのオンラインの寄付システムを構築したりし始めました。

中国国内の大企業や多くの多国籍企業も、環境保護活動を行う中国の若者のためにコンテストや基金を設立しました。中国Googleは2007年に若者たちが新しく始める組織や計画を支援するプロジェクトを開始しましたが、このプロジェクトは中国の若者にとても人気があります。

環境NGOが設立される前から、中国人、特に若い世代は互いに助け合い、お互いを家族のように扱うのを好みますが、そのような文化の中で、環境ボランティアの人気が高まっていきました。中国の大学では、夏季の課題として学生に一定時間ボランティア活動をさせ、その報告書を書かせることがよくありますが、環境分野は夏のボランティア活動の中でも最も人気があるものの一つです。

また、大学の環境系のサークルも非常に人気があり、特にこの3年間は中国Googleのプロジェクトにより、活動が盛んになっています。大学間のプログラムも数多く立ち上げられており、その一つに「中国青年気候変動アクションネットワーク(CYCAN)」などがあります。
http://www.cycan.org/Category_33/index.aspx (English)


課題と展望

中国が気候変動問題について一段と重い責任を担うにつれ、中国の環境NGOは自国のみならず世界全体にとってなくてはならない存在になりつつあります。この15年間に中国の環境NGOの数はゼロから3,000以上にまで増え、質量ともに進展を見せましたが、これから中国が担う環境責任の重さを考えると、まだ不十分です。本報告では、これらの問題を解決するべく、以下の3点を提案したいと思います。

国際社会から学ぶ:中国の環境NGOは会員も100名程度の小規模なものが多く、専門的な経験があまりありません。中国の環境NGOのリーダーは、もっと世界各地の環境NGOから学ぶべきです。専門的なプロジェクト管理能力、資金調達方法、組織管理能力などを若い人々に教え、訓練する必要があります。

組織間の意思疎通を深める:中国では国の内外を問わず、組織間の協力体制がほとんどありません。NGO相互の効率的なコミュニケーションの仕組みがあれば、NGO同士が素早く連携し、必要な資源をより効率的に割り当てられるようになります。NGO間の競合を減らし、協同作業を促進すべきです。

政府を変える:現行の法体制の下では環境NGOが十分に成長できません。大学、企業、NGOが力を合わせて、NGO規制と登録制度の変更を政府に迫るべきです。

15年間の中国における環境NGOの歩みは、中国の環境活動家たちが、このような厳しい政治状況の下でも確固たる決意を持って突き進んできたことを示していますが、人類が気候変動や他の環境問題の危機に直面している今、新たな変化が必要です。

中央政府がこれらの課題解決に重要な役割を担うことは間違いありませんが、政府だけでは問題は解決できません。中国政府はさらにNGOを認め、協力する必要性を理解すべきです。また、環境NGOはいっそう活動を強化しつつ、地球環境のために主導権を握る心構えが求められているのです。


(JFSインターン ゴン・ジェン/和訳協力:JFS和訳チーム)

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