ニュースレター

2009年05月12日

 

人と雁が共生する米作りの里 - 宮城県大崎市

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JFS ニュースレター No.77 (2009年1月号)
シリーズ:地方自治体の取り組み 第24回


ラムサール条約会議で「水田決議」が採択

地球上には、湿原、河川、湖沼、貯水池、水田、海岸、干潟、サンゴ礁など、さまざまな湿地が存在し、多様な動植物の生息地となっています。しかし近年、土地利用の改変や開発など人間活動の影響を受け、湿地生態系は急速に失われつつあります。湿地は特に、国境を越えて移動する渡り鳥の休息地としても重要な場所であるため、湿地保全に向けた国家間の連携が欠かせません。

湿地生態系の保全に関する国際的な枠組みとしては、1971年に制定されたラムサール条約があります。正式名称を、「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」といい、締約国は、湿地の保全と「賢明な利用(ワイズユース)」に努めなければなりません。湿地は、生物多様性を保護するだけでなく、農業、漁業、観光業など人間生活においても貴重な資源であるため、この条約では、湿地の生態系を維持しつつ、そこから得られる恵みを持続的に活用するという、「賢明な利用」を基本原則としています。

昨年、韓国の昌原(チャンウォン)市で開催された、ラムサール条約第10回締約国会議において、日本と韓国が共同で提出した「湿地システムとしての水田の生物多様性の向上に関する決議文(水田決議)」が採択され、アジアを代表する人工湿地である水田の重要性が再認識されました。これにより、湿地生態系の保全と「賢明な利用」を目指す水田農業のあり方が、世界的にクローズアップされてきました。

農林水産省「ラムサール条約第10回締約国会議における水田決議の採択について」
http://www.maff.go.jp/j/press/kanbo/kankyo/081105.html


日本最大級のマガンの越冬地、蕪栗沼

水田の価値が本格的に注目されるようになったのは、2005年、宮城県大崎市の「蕪栗沼・周辺水田」が、ラムサール条約湿地に登録されたことがきっかけです。ラムサール条約登録湿地は、世界1,828カ所(2008年12月現在)に及びますが、「水田」という名の登録地は、「蕪栗沼・周辺水田」ただ1カ所しかありません。登録された湿地面積423haのうち、3分の2近い259haが水田という非常に稀な条約湿地です。

宮城県大崎市の蕪栗沼は、東北地方を流れる大河、北上川の氾濫原にできた自然遊水池で、その多くがヨシやマコモなどの水生植物で覆われています。もともとは400haにも及ぶ大きな沼でしたが、100年ほど前から水田干拓が進み、面積は100haまで減少しました。1997年に、沼の東側に隣接する白鳥地区の水田50haが、関係者の合意のもとに自然の湿地へと復元され、現在は1.5倍の150haとなっています。

蕪栗沼のある宮城県北部の仙北平野は、日本有数の稲作地帯です。「ササニシキ」や「ひとめぼれ」など良質米の産地で、見渡す限りの水田が広がっています。また、渡り鳥の楽園としても知られ、毎年冬になると、マガンやヒシクイなど数万羽の水鳥がロシアから渡ってきます。蕪栗沼とその北にある伊豆沼・内沼は、日本最大級のマガンの越冬地で、1999年に東アジア地域ガン・カモ類重要生息地になりました。

この地域へやってくるマガンは、主に沼をねぐらにして、日中は収穫後の田んぼで落ちモミや雑草を食べて過ごしています。非常に警戒心が強く、マガンの生息には、安全なねぐらとなる水面と、餌場となる水田が不可欠と言われています。マガンはかつて、日本各地に飛来していましたが、安全なねぐらと餌場が消滅したため、現在では9割以上が宮城県北部に集中するようになりました。


マガンの保護から始まった「ふゆみずたんぼ」の取り組み

しかし、水鳥が過度に集中すると、伝染病の蔓延による大量死や、沼の水質悪化につながる危険性があります。このため、田尻町(現在の大崎市)では、地元の農家や学識経験者、NPO関係者などと連携し、蕪栗沼の周辺水田を「ふゆみずたんぼ(冬期湛水水田)」にすることで、沼に集中するマガンのねぐらを分散させることにしました。

「ふゆみずたんぼ」は、稲刈り終了後、田んぼを耕さずにそのままにし、春にかけて水を貯めておく水田のことです。また、栽培期間中は、農薬・化学肥料を一切使いません。田尻町では、2003年12月より農林水産省の「田園自然環境保全・再生支援事業」を導入し、蕪栗沼の南側に位置する伸萠(しんぽう)地区の水田20haで、「ふゆみずたんぼ」の取り組みを開始しました。

慣行農法とは大きく異なる「ふゆみずたんぼ」には、いくつかの難点があります。特に問題となるのが、冬場の水の確保です。この問題を解決するため、伸萠地区には、既存の用水路から「ふゆみずたんぼ」用に取水するためのパイプラインを設置しました。また、無農薬・無化学肥料による栽培は、農家にとって大きなリスクとなるため、「ふゆみずたんぼ」に取り組む農家には交付金を支払うことにしました。


「ふゆみずたんぼ」が生み出す恩恵

「ふゆみずたんぼ」を始めてみると、さまざまな恩恵をもたらす、優れた農法であることが分かってきました。まず一つは、抑草効果です。冬の田んぼに水を張ると、稲の切り株やワラなどの有機物が水中で分解され、菌類やイトミミズが住むようになります。やがて、イトミミズが排出する大量の糞と菌類が混ざり合い、肥沃なトロトロ層が形成されます。このトロトロ層は、1年で10cm近く堆積するため、雑草の種を埋没させ、発芽を抑制する効果があるのです。

もう一つは、施肥効果です。「ふゆみずたんぼ」は、冬でも水温が2~3度高いため、雪が降ってもそこだけ早く融けます。すると、その水面に水鳥が集まり、たくさんの糞を落としていきます。水鳥の糞は、リンを多く含み、養分が豊富で肥沃な土を作り出すことから、有機栽培をする上で貴重な肥料となります。農家の人々は、これを「マガンの贈り物」と呼んでいるそうです。

また、「ふゆみずたんぼ」では、殺虫剤を使う必要がありません。2月から3月頃の田んぼに水があると、カエルの産卵が行われ、オタマジャクシが生まれます。オタマジャクシが増えると、それを餌にするヤゴ(トンボの幼虫)の数も増えます。こうして夏が来る頃には、田んぼでは、カエルやトンボ、クモが大活躍し、農薬の代わりに稲の害虫を次々と退治してくれるのです。

「ふゆみずたんぼ」に集まってくるのは、カエルやトンボだけではありません。イトミミズやユスリカを餌にするメダカ、ドジョウ、ザリガニ。魚や昆虫を餌にする、ツバメやサギなどの夏鳥たち。マガンのねぐら作りのために始めた「ふゆみずたんぼ」の取り組みによって、水田生態系における複雑な食物連鎖がよみがえり、かつて日本の農村で当たり前のように見られた、さまざまな生き物たちが戻ってきました。

宮城県地域振興課「田尻町・雁と作るふゆみずたんぼ米」
http://www.pref.miyagi.jp/tisin/hustle/hustle_19/feature/feature001.html


「賢明な利用」を通じた持続可能な発展

二千年以上の歴史を持つ日本の水田農業は、人と自然との共生を図りながら、豊かな生物多様性を育んできました。しかし、経済性や効率性を優先する近代農業は、乾田化や農薬の使用を推し進め、水田に生息していた多種多様な生物を絶滅の危機に追いやりました。生物多様性の重要性が認識され始めた今、「ふゆみずたんぼ」の農法は、環境保全と経済活動を両立させる「賢明な利用」のお手本として、世界中から注目を集めています。

実際、「ふゆみずたんぼ」で収穫された米は、生き物の力で作られた米として、環境に配慮する消費者から評価され、高値で取り引きされています。さらには、この米を利用した地酒の共同開発などの取り組みも始まっています。蕪栗沼と周辺水田では、マガンの観察会や田んぼの生き物調査などのエコツアーが実施され、仙台や東京などの都市部からも多くの参加者が訪れるようになりました。

私もマガンのねぐら入り観察会に参加してみました。空が赤く染まり始めた頃、蕪栗沼の冷たく澄み切った空気の中で佇んでいると、遠くから甲高い鳴き声が聞こえてきます。見上げると、数え切れないほどのマガンが、空一面を覆っていました。マガンの群はどこまでも、どこまでも、果てしないほどに続いています。その壮大で幻想的な光景を見ていると、この地球が、あらゆる生き物にとって大切なすみかであることを、感じずにはいられませんでした。


(参考)
NPO法人「蕪栗ぬまっこくらぶ」
http://www5.famille.ne.jp/~kabukuri/index.html
NPO法人「田んぼ」
http://www.npotambo.jp/


(スタッフライター 角田一恵)

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