ニュースレター

2006年03月01日

 

コウノトリ翔る郷づくりを - 兵庫県豊岡市での保護活動

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JFS ニュースレター No.42 (2006年2月号)

絶滅の危機にある生き物を保全し、野生に復帰させようという試みが世界各地で進められています。通常は、人里離れた地で野生復帰が試みられることが多いのですが、人里をかつての自然豊かな地域に戻し、コウノトリとともに暮らしていこうという世界的にも例をみない取り組みが、兵庫県豊岡市を中心に進められています。

「コウノトリが棲める環境が、私たち人間にとっても安全で安心な、真に豊かな持続可能な社会である」とのビジョンのもと、失われた自然や環境を見つめ直し、環境創造型農業の推進や水田・河川の自然再生、里山の整備等の取り組みが進められ、着実に成果を挙げています。この半世紀以上にわたる取り組みをご紹介しましょう。

日本の国の特別天然記念物に指定されているコウノトリは、体重は5キロ前後、両翼を広げると2mにもなる大型の白い鳥です。ロシアと中国の極東地域(主にアムール川流域)の大湿地帯で生活・繁殖し、中国の揚子江周辺やポーヤン湖に移動して、また戻ってくる渡り鳥ですが、個体数は約2,000羽と推定され、絶滅が危惧されている世界的にも希少な鳥です。

かつては日本各地でこの美しい白い鳥を見ることができました。兵庫県北部の但馬地域で、豊岡盆地を中心に数十羽のコウノトリが大空を舞い、また川辺や田んぼでドジョウなどの餌をついばみ、松の木の上に巣をかけヒナを育てるという光景が間近で見られました。

兵庫県豊岡市は大きな豊岡盆地にあります。市の真ん中に円山川が流れており、コウノトリが餌をとるのに非常に条件のよい大湿地帯が広がっています。明治時代以降から昭和にかけて、安定して繁殖集団がいたことは確かで、一時期は100羽近くに達したとも言われています。しかし、様々な社会の変化に伴い自然環境が損なわれたことにより、第2次大戦以後、その数が激減しました。

大きな原因は、コウノトリの生息環境の破壊や改変です。コウノトリは高い木に営巣しますが、第2次世界大戦時に多くの松の木が切られてしまいました。また、コウノトリの餌場となっていた田んぼも圃場整備されて、水田と水路に大きな段差ができ、田んぼの中に魚がいなくなってしまいました。また、当時はホリドール(パラチオン)、マラトン(マラチオン)、あるいはBHCを主体にした薬剤など、毒性が強く、残留性も高い農薬が使われていたため、コウノトリの繁殖能力がかなり低下したと考えられています。

コウノトリの種の保存について危惧した山階鳥類研究所創設者の山階芳麿氏が1955年、当時の兵庫県知事・阪本勝氏にコウノトリの保護を進言し、知事はそれを受けて、コウノトリの保護を提唱します。豊岡市も参加し、官民一体の「コウノトリ保護協賛会」が作られました。官が自覚を持ってリードし、民が一緒に進めていくというシステムの下で、人工ふ化・増殖に向けての飼育下での懸命な取り組みが進められました。1956年には、コウノトリは国の特別天然記念物にも指定されます。

1985年にハバロフスクから6羽の幼鳥を譲り受け、1989年に飼育下で初めてのヒナが4羽誕生しました。1999年には「兵庫県立コウノトリの郷公園」が開園し、同園において順調に飼育羽数も増加、2002年にはかつて豊岡盆地を中心に生息していた頃の100羽を越えるまでになったのです。

2003年3月には、人工飼育から野生へ戻そうという「コウノトリ野生復帰推進計画」が策定されました。人と自然が共生していける地域づくりという壮大なビジョンへの挑戦がスタートしたのです。

活動当初からの「官民一体で、誰もが当事者」という方針は、今も脈々と引き継がれています。コウノトリの野生復帰は「コウノトリの郷公園」の専門家だけがやる仕事ではなく、また行政だけの仕事でもありません。コウノトリとともに生活する地域社会を作るためには、地域に住むすべての人びとが関わる必要があります。そのためには、さまざまなセクターから参画できるシステムが必要です。

自然保護NPOや区長会などの住民団体、商工会議所などの企業団体や、農協営農組合、漁協などの団体、動物生態学、有機農法、河川工学の分野の学識者、そして国や県、市などの行政、あわせて24団体が「コウノトリ野生復帰推進連絡協議会」を組織しています。協議・連携を図り、田園や河川の自然再生などの環境整備や野生への馴化、普及啓発などの野生復帰実現に向けた取り組みを展開しています。

同協議会の特徴は、意思決定機関ではなく、話し合いの場であることです。各セクターがコウノトリの野生復帰に絡めて、自分たちのやっていること、これからやりたいことを発表する、それに対してさらに新たな活動の提案や協議があり、連携が生まれる場となっています。

農業の分野では、2001年、コウノトリの郷公園前の転作田がビオトープ化され、トンボやカエル、ドジョウ、水生昆虫など、豊かな生物の棲息空間が確保されました。以降、サギやカルガモなどの水鳥がたびたび観察されるようになりました。この取り組みは2003年度に「コウノトリと共生する水田づくり事業」として引き継がれ、地元農家の協力で、転作田ビオトープとなり、コウノトリの餌場として、また地域の人たちの環境学習の場としても活用されています。

行政が中心となっている事業には、水田と排水路を連結する魚道の整備や、林間歩道や松林などの里山の整備があります。そのほか、円山川水系の自然再生整備や営巣木となるマツ林の育成なども行われ、野生復帰のための環境づくりは地域をあげての取り組みとなっています。

国土交通省では、治水のために河積を確保する場合に、コウノトリやサギ類の餌場になる湿地ができるように、河川敷を浅く広く掘削しています。また円山川漁協は肉食性の外来種であるバスの駆除を行い、鮎など地元の魚を守りながら、コウノトリの餌も確保しています。このように、みんながそれぞれ、コウノトリの野生復帰事業を「わが事」として自分たちの日常の中で取り組む、地に足の付いた活動が展開されています。

この活動で、もうひとつ特徴的なのは、行政のビジョンと組織の柔軟性です。兵庫県は「コウノトリ翔る郷作りを目指して」というビジョン計画を作り、その実現のために担当参事を置いています。コウノトリの野生復帰は県レベルで一つのプロジェクトとして確立しているため、政策の立案から予算獲得まで、一貫して行えるシステムができているのです。

また、従来の組織編成にとらわれることなく、「何をすべきか、何をしたいのか」を最優先しようとしています。兵庫県はこの事業に関して、さまざまな権限を地元の県民局に下ろし、必要な場合には、組織横断型での対応をしています。それによって、例えば土地改良事務所の水田魚道計画と、農林事務所の減農薬推進政策を一体として進めることができます。

コウノトリの野生復帰を進めていく上で、農地はとても重要な役割を担っています。農業従事者たちは「鳥と農業との共存」をテーマに農法を変えてきました。水田では、冬期も水を張り続けて米ぬかのペレットを撒き、アイガモ農法を取り入れ、除草剤も殺虫剤も使わないなどの有機農法が、ほぼ確立してきています。

他方、農産物の安全・安心ブランド化が推進され、有機栽培や減農薬栽培が地域に広がってきています。現在、豊岡市が商標登録し、認証制度に合格した農産物に与えられる低農薬ブランド「コウノトリの舞」は地元スーパーの店頭に並び、買い物客の関心を集めています。コウノトリを守るために清浄な土地をつくろうとする農業は、人間にとっても安全、安心な食を提供してくれている、というコンセンサスが確立しつつあります。

2005年9月24日、5羽の試験放鳥がスタートし、野生復帰の実現へ向けての第一歩が踏み出されました。兵庫県立コウノトリの郷公園のウェブサイトでは、毎日のように追跡観察記録が更新され、コウノトリが町のいたるところにたたずんでいるようすが報告されています。コウノトリは幸せを運ぶ、赤ちゃんを運んでくる鳥として昔から愛されていますが、豊岡では環境について考えさせてくれる大使のように、この地域に住む人々の思いをつなぎ、その活動を見守っているのです。

参照URL
環境を考える経済人の会21 2005年度第4回朝食会
http://www.zeroemission.co.jp/B-LIFE/MORNING/index05.html
兵庫県立コウノトリの郷公園
http://www.stork.u-hyogo.ac.jp/
コウノトリファンクラブ
http://www.tajima-portal.com/kounotori/yaseifukki/index.html


(スタッフライター 二口芳彗子)

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