ニュースレター

2006年01月01日

 

持続可能な漁業の取り組み

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JFS ニュースレター No.40 (2005年12月号)

日本は、昔からタンパク質の多くを魚介類から得ており、年間に1,000万トン近くもの水産物を消費しています。日本の水産物の自給率は、かつては100%を超えていましたが、近年は5割近くにまで低下しており、世界で取り引きされる水産物のうち、日本の輸入金額(世界の取引額の約4分の1)と輸入量(同1割以上)は世界一です。

日本の漁業は、資源をさまざまな制限等によって管理する漁業にシフトしつつあります。2003年農林水産省『第十一次漁業センサス』によると、日本国内で漁業管理に取り組んでいる組織は全国に1,608組織あります。そのうち、99.0%が漁期や漁具の規制等を行う「漁獲の管理」を、91.5%が漁場利用の取り決めや漁場の監視等を行う「漁場の管理」を、84.6%が漁業資源の増殖や資源量の把握等を行う「漁業資源の管理」をおこなっています。

日本の持続可能な漁業の代表的な取り組みを3つ、ご紹介しましょう。

秋田では、昔から「ハタハタ」という魚が人々の貴重なタンパク質源となっていました。200年前に江戸の将軍に献上された、という文献も残っているそうです。かつて秋田の海産物の半分を占めたハタハタ漁ですが、1969年に200万トンに達した後、減少を続け、1991年には70トンまで落ち込み、地元の人々の口に入らないぐらい価格が跳ね上がりました。

このため、秋田県は1992年から3年間を全面禁漁としました。以来、さまざまな調査によって魚の数を推定し、その半分を「漁獲可能量」と定めることにしました。1995年には、魚は360トンと推定され、170トンが漁獲可能量とされました。また、全長15センチ未満の小型のハタハタの漁獲は禁止されました。

ところが、ハタハタは回遊魚なので、秋田県単独での規制には限界があることがわかりました。そこで、1993年から、ハタハタを漁獲している秋田、青森、山形、新潟の4県が共同ではハタハタの資源管理を行うことになりました。禁漁区域や禁漁期間の設定、漁船数や使用できる漁獲用機器の制限などをおこなっています。

さらに4県は、「全長15センチ未満の未成魚は取らず、取れた場合には放流する」という協定を結んで、資源の回復を図っています。水産資源管理において、利害が対立しやすい近県どうしが協定を結ぶのは、日本でも初めての取り組みです。

加えて、ハタハタの産卵場所として、人工的に藻場をつくるなど、さまざまな努力を行っています。このような努力の結果、2000年には漁獲高は15年ぶりに1,000トンを超えるまでに回復したのです。

富士山を抱く駿河湾の奥深くでは、由比・蒲原・大井町の三つの漁業組合がサクラエビ漁を行っています。年間40億円の水揚げを誇る静岡県有数の沿岸漁業です。このサクラエビ漁業は、40年近くも前から資源を守るために資源管理型漁業を行っています。

サクラエビは、体長4-5センチの一年生の植物プランクトンで、最も産卵の盛んな時期は6月-8月です。昔は一年中漁を行っていたようですが、現在は、静岡県漁業調整規則と漁業者の自主的な申し合わせによって、3月下旬-6月上旬までの春漁と、10月下旬-12月下旬までの秋漁の二漁期です。

1964年-65年にかけて、サクラエビの漁獲量が数百トン減少したことがあります。また、当時は製紙会社からの汚水や田子の浦港にたまった大量のヘドロが海を汚していました。資源問題と公害問題に直面した漁業者たちは、このままの操業を続けると、遠からずサクラエビ漁業は崩壊すると不安になったそうです。

そこで、漁業共同組合の幹部たちは漁業資源の研究者を交えて対策を論じ、その中から、「際限のない漁獲競争を規制し、経営の合理化と資源保護のための生産調整を実施するには、所得面から平等化する以外に手はない」という考えが出てきました。

1966年、三つの漁協のうち由比地区で、水揚げ代金の均等分配制度(プール計算制)を試験的に採り入れました。1968年には大豊漁による魚価格の暴落により、漁業者が約50トンものサクラエビを海に投棄するという事件がありました。魚価が大きく変動する中で、プール制は、資源保護だけではなく、価格の安定化にも有効であることがわかったのです。

そして、蒲原・大井川でもプール制が始まりました。ところが三つの漁協は同じ海域で漁をするため、今度は三つの地区間での漁獲集団競争が起こりました。対抗意識が激化して、資源管理の効果もおぼつかなくなったのです。

ところがそのころ、田子の浦のヘドロ公害が大きな社会問題となったため、漁民たちは一体となって反対闘争に立ち上がりました。このことから、地区意識を超えた強固な連帯感が生まれ、共通の問題には共同で対処するという気運が高まっていったそうです。

そして、1977年から三地区の全船120隻を統合した総プール制度が採用されました。三漁協の全船が操業に当たり、水揚げ金額も全船平等に配分される制度ができたのです。

3つの漁協の委員からなる出漁対策委員会が、漁期中の毎日正午ごろ、当日の出漁の可否、水揚げ目標、操業場所、出漁時刻等について協議します。出漁時には、司令塔役の漁船を決め、全船が漁場に到着すると、司令船からの無線指示で一斉に操業を開始します。網を上げた船は、それぞれの漁獲量を司令船に無線で報告し、司令船は全船の漁獲量を合計し、出漁対策委員会で定めたその日の水揚げ目標に達すると、操業は終了となります。

漁船は三漁協に戻って水揚げし、全体の水揚げ金額の合計から販売手数料等を差し引いた金額を、船主53%、乗組員47%の一定比率で配分し、それぞれを船主、乗組員総数で均等に割った金額が各人の取り分となります。

由比漁協の望月理事は、「サクラエビは一年ものだから、親を獲ると子もいなくなってしまう。銀行に預けた元金に手をつけずに利子だけで暮らせばずっと生活できるのと同じ」と言います。一時的に魚価が安いから、もっと儲けたいからと元金に手をつけてしまうと、それこそ、元も子もなくなってしまいます。

海の中の資源は、目に見えないために、そもそも"元金"がどのくらいあるのか、いま増えているのか減っているのかもわからないため、資源管理はとても難しいと言われます。サクラエビ漁業では、夏の休漁期には二日に一度、産卵調査を行い、水温や産卵状況、卵の発育状況を調べています。1立方メートル当たりの卵の数を計算することによって、大まかではあっても海の中の資源量の動向を把握した上で、その年の水揚げ量を計画し、漁期には計画に従って漁をし、その利益を平等に配分する仕組みなのです。

望月理事は「プール制がなかったら、今の漁業はなかった。二、三年で獲り尽くしてしまっただろう」と断言しています。

このように、総プール制を設けて資源管理型漁業を行っている例は、日本にも世界にもほとんどありません。40年近く前からこのような仕組みをつくり、守り続けている駿河湾のサクラエビ漁は、これからの持続可能な社会での生産活動に大きな指針と希望を与えてくれます。

最後に、まえにもご紹介したことがありますが、「森は海の恋人」というキャッチフレーズで、漁師が毎年植林をしている活動があります。宮城県の気仙沼では、豊かに育った森から流れ出る水が豊富な海の生物を育むようにと、漁民と山の地区の住民が手を携えて植樹する「森は海の恋人植樹祭」が10年以上も続いています。

そのなかで、流域の人の意識が変わってきて、ウナギやタツノオトシゴも取れるようになり、海の生き物が戻ってきているそうです。いま日本の各地に、そして世界にも「海は森の恋人」の植林運動が広がっています。第十一次漁業センサスによると、「過去1年間に植樹活動を行った」漁業地区数は、全漁業地区数の26.6%を占めています。

世界では主要な漁場19のうち、17が乱獲によって崩壊したか、崩壊しつつあると言われています。日本でもかつては、獲りたい放題の漁業が主でしたが、減っていく漁業資源に直面し、各地でいろいろな取り組みが進められるようになりました。

県を超えての協力も、経済的な平等が必須と収益を平等に分けるしくみも、海だけではなく、森も含めて考えようという取り組みも、「目の前」だけではなく、時空を超えて広い視点で考え、取り組むことこそが、住み続けることのできる地球を次世代に渡すための解決策であることを説得力を持って伝えてくれています。いつまでも世界の海にいろいろな魚が豊かに泳いでいますように!


(枝廣淳子)

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