ニュースレター

2005年11月01日

 

歴史を生かしたまちづくり - 埼玉県川越市の取組み

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JFS ニュースレター No.38 (2005年10月号)
シリーズ:地方自治体の取り組み 第11回

私たちが環境問題としてまず思い浮べるのは、地球温暖化や化学物質による汚染、自然保護などではないでしょうか。しかし、「環境」という概念には、その人を取り囲む空間の「質」、「快適性」をも含むと考えられています。高度経済成長を遂げ、安定、成熟社会へと向かう我が国においても、生活空間の快適性に対する関心が高まっています。とりわけ、歴史的建造物や美しい街並み、良好な自然景観は、快適な居住空間を構成する重要な要素であることから、景観保全は地域社会の最も重要な課題となっています。

地域社会における歴史・文化・自然・環境などの面から景観保全を図るため、景観条例を制定している地方自治体は多数ありますが、今回は特に、歴史を生かしたまちづくりを行っている埼玉県川越市の取り組みをご紹介したいと思います。

埼玉県の南西部に位置する川越市は、人口が約33万人、面積が109.16km2の中核市です。都心から約30 kmの首都圏に位置するベッドタウンでありながら、蔵造りの町並みをはじめとした数多くの歴史的遺産が点在し、休日には多くの観光客で賑わいます。

戦国時代から約400年の歴史をもつ城下町川越は、江戸、鎌倉、上州を結ぶ交通の要塞として栄え、江戸時代には、町を流れる新河岸川に農作物を乗せた船が行き交い、「小江戸」と呼ばれるほどの隆盛を極めました。明治26年(1893年)には、町の3分の1を焼失する大火に見舞われましたが、耐火性を重視した蔵造りの店舗が次々と建設され、現在も残る蔵造りの景観が形成されました。

川越の観光
http://www.city.kawagoe.saitama.jp/icity/browser?
ActionCode=genlist&GenreID=1000000000102

まちづくりの歴史

今や川越の顔ともいえる、重厚な蔵造り商家が軒を連ねる「一番街商店街」の町並みですが、川越の美しい景観が保存されるに至った、住民・行政・専門家の長年にわたる活動の歴史を振り返りましょう。

1960 年代半ば以降、商業の中心が利便性の高い駅周辺へ移動したことで、一番街商店街は衰退傾向にありました。一方で、1971年に大沢家住宅が国の重要文化財に指定され、住民の間に蔵造りの文化的価値に対する認識が生まれます。取り壊しの危機にあった蔵造り町家を「蔵造り資料館」として整備するなど、町並み保存運動が芽生え始めました。

川越市蔵造り資料館
http://www.kawagoe.com/kzs/

1975年になると、文化財保護法が改正され、伝統的建造物群保存地区(伝建地区)の制度が始まりました。城下町、宿場町、門前町など全国各地に残る歴史的な集落・町並みの保存が図られるようになります。

川越市でも伝建地区指定に向けての調査を行いますが、商店街の同意を得られず、指定には至りませんでした。伝建地区の指定によって、建物に規制がかけられると、店内の改装も自由にできないのでは、という不安が商店街にはあったからです。当時の商店街は、蔵造りで観光客を呼ぶことについてまだまだ消極的でした。

1983年、市民団体「川越蔵の会」が設立されると、町並み保存運動は大きく転換していきました。「蔵の会」は、地域の青年会議所OBや若手商店主を中心に、川越ファンの研究者や市民から構成され、「商業の活性化による町並み景観保全」を訴える活動を展開しました。

「蔵の会」の提言を受けた一番街商店街は、ついに歴史を生かしたまちづくりに乗り出すことになります。1987年には、商店街・研究者・専門家・行政からなる「町並み委員会」を組織し、その翌年、まちづくりのルールである「町づくり規範」を商店街の自主協定として制定しました。

「町づくり規範」は、川越の都市のあり方に始まり、建物の建て方から看板に至るまで全67項目にわたり、わかりやすい言葉で表したルールブックです。「高さは周囲を見てきめる」、「主要な棟や建物が目立つように」、「材料は自然的素材、地場産を優先」など、規制ではなく、望むべき姿として表していることが特徴です。一番街商店街の店舗を改修する際には、「町並み委員会」が「町づくり規範」に基づいて建築計画の助言・指導を行うしくみが確立されました。

NPO法人 川越蔵の会
http://www.kuranokai.org/home.html

1993年には、旧城下町地区の11自治会(現在12自治会)がまちづくりの勉強会「十カ町会(じっかちょうかい)」を組織し、数年にわたるワークショップを行いました。マンション建設問題など重要な課題を検討した結果、一番街周辺の町並みを守っていくためには、文化財保護法に基づいて伝統的建造物群保存地区指定を受けるべきであるという結論に達しました。

こうして、1999年、川越市の一番街商店街を中心とした7.8haが、20年以上の年月を経て、伝建地区として指定されることになったのです。現在では、「一番街商店街」に加え、「大正浪漫夢通り」、昭和初期に菓子の製造・卸売があったという「菓子屋横丁」などが整備され、1980年代には年間約260万人であった観光客が約460万人となっています。

住民の動きと並行するように、川越市も都市景観条例の制定(1989年)、商店街の改築に対する補助(1989年-1993年までは埼玉県と川越市が、1994年-1998年は川越市単独で)、電線の地中化(1992年)などを行い、まちづくりを支援してきました。

しかしながら、まちづくりのルールを定めるのは、あくまでもそこで生活する住民である、と川越市は考えています。行政による一方的な規制では、住民は納得して受け入れません。住民が専門家や行政の意見を聞き、長い時間をかけて議論を続けることで、自分たちにとって本当に必要なルールが形成されていくのです。そして、住民はまちづくりのルールを考える過程において、自分たちの町への愛着や誇りを醸成させていくのです。

川越まつり

毎年10月第3土・日曜日には、「川越まつり」が開催されます。およそ350年にわたって受け継がれてきた「川越まつり」は、かつての江戸天下祭を再現したものといわれ、豪華絢爛な山車が蔵造りの町並みを練り歩き、粋なお囃子が響き渡ります。

「川越まつり」は、旧住民と新住民とが交流を図る絶好の機会でもあります。参加する町内会は今なお増え続け、現在市内には29台もの山車があるそうです。山車の管理・修復には多額の費用を要しますが、「川越まつり」に参加するために、町内会の人々は互いに協力し合い、ますます結束を深めているといいます。

川越まつり
http://www.city.kawagoe.saitama.jp/icity/browser?
ActionCode=genlist&GenreID=1000000000120

今回お話を伺った、川越市まちづくり部都市景観係長の荒牧澄多(あらまきすみかず)さんはこう言います。「私は川越に住んで二代目ですが、子どもは三代目になります。江戸っ子と同じく三代続けば『川越っ子』だと思っています」

自分の子や孫がいつまでも同じ町に住み続けたいと思うためには、魅力のあるまちづくりが不可欠です。川越の人々は、蔵造りの町並みを故郷の景観として後世へ受け継いでいくために、地域で一体となって経済や文化を活性化させる知恵を生み出しています。こうした歴史的な景観を将来世代に継承していくための知恵は、持続可能な社会の実現へ向けての有効な道しるべとなるのではないでしょうか。


(スタッフライター 角田一恵)

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