ニュースレター

2004年04月01日

 

「資源循環型社会をデザインする」 - アミタ

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JFS ニュースレター No.19 (2004年3月号)
シリーズ:持続可能な社会を目指して - 日本企業の挑戦 第10回
http://www.amita-net.co.jp/

今日本では、年間約4億トン(一人あたりに計算すると3トン)の産業廃棄物が排出されています。約半分は再生利用されますが、不法投棄もやむことはなく、一方で最終処分場の残存期間は3.9年(2001年4月時点)という厳しい状態です。処分場の逼迫に伴って、産業廃棄物の処理コストも高騰しつつあり、多くの企業にとって頭の痛い状況となっています。このような状況下で今、市場が必要とする量だけを生産し資源を循環させる、大量生産・大量廃棄に代わる「適正生産」システム構築を提唱する企業があります。日本における資源リサイクル事業を25年にわたり開拓してきた環境ソリューション企業のアミタ株式会社です。同社は公害問題が大きな社会問題だった70年代、循環型社会の構築をめざし設立されました。資源リサイクル事業を中核に事業展開し、2002年の売上げは、スタッフ64名で46億円です。

2001年には、再生資源を循環させ生産プロセスに組み入れる「リサイクル・サプライチェーン」の構築が認められ、同社の事業領域がグッドデザイン賞を受賞しています。この賞は、「形の美しさ」だけでなく「品質の良さ」、「安全性」、「機能性」、「使用環境への配慮」などを審査基準した日本唯一の総合的デザイン評価・推奨制度です。今月号は、いわば本業そのもので持続可能な社会づくりに取組むこのアミタ株式会社の事業活動をご紹介します。


廃棄物を発生品として循環させる「環境プラットフォーム」

アミタが最初に取組んだのは廃棄物の再資源化事業です。産業廃棄物を資源と捉え、独自プラントで再資源化し販売する事業を開始。技術開発と再資源化ルートを開発し、当時は埋め立てや焼却しか処理方法がなかった「廃油」や「含油汚泥」などの液体廃棄物を代替燃料に、また、「含油汚泥」や「汚泥」「ばいじん」などの固形廃棄物をセメント原料に再資源化することに成功しました。

同社は個々の産業廃棄物の再資源化活動を続けるうちに、リサイクルに二つのニーズがあることを見出します。一つは、最適な処理を適正な価格で実現できるリサイクルルートを確保したいという供給側のニーズ。もうひとつは、リサイクル原料を、安全性を確保しつつも安価で安定購入したいという需要側のニーズです。同社はこの二つのニーズに同時に応えるべく、需要側、供給側との幅広い提携を推進し、工場とニーズ情報網を統合した「環境プラットフォーム」の構築を進めます。今ではこのプラットフォームを通じて、廃プラスチックや廃アルカリ、ガラスを含む約4,000種類の発生品の再資源化に対応。企業や行政のリサイクル全体をトータルで支援するリサイクル・オペレーション事業により、アミタは今年間で約60万トンの産業廃棄物を再資源化しつつ、1,000企業以上のリサイクル業務の効率化と経費削減を実現しています。

廃棄物市場から、環境市場、そして循環型社会市場へ

こうして同社は1970年代から「廃棄物市場」を開拓していきました。一方、2000年前後からは法規制強化やISO環境マネジメントシステムを導入する企業の急増に伴って「環境市場」とも言うべき市場が登場してきます。同社はこの市場の成長を予期し、企業の環境リスクを低減する環境リスクオペレーション事業を提供。企業の環境リスク顕在化に伴う補償コストや企業ブランド失墜を未然に防ぐために、廃棄物処理委託業者による不法投棄や不適正処理といったリスクを防止する『調査代行サービス』や、製品の販売段階でリサイクルルートを確保する『再資源化保証商品サービス』を提供してきました。同社の創業社長である熊野氏は今、さらに2010年以降には「循環型社会市場」が成立するだろうと考えており、その市場をにらんだ「循環型社会マネージメント」事業を展開し始めています。

その一つの試みが、かつての公害の象徴であった川崎の京浜臨海部工業地帯を「エコ産業コミュニティ」として甦らせる事業です。これは、アミタや神奈川県が、JFE、オリックス、野村総研、コクヨ、荏原製作所など民間企業16社に呼びかけ、加工・生産など臨海部に集積する地元製造業の技術を活用しようとするもので、すでに二つの資源循環型プロジェクトが事業化に向け動き始めています。一つは、再生資源を使い、デザイン性が高く使用済みになっても部品が再利用できる家具やオフィス製品を開発・販売するエコデザイン事業。もう一つは、PCなど中古工業品を磨き直し(リファービッシュ)、環境負荷を低減する一方でデザインなどで付加価値を高めて販売し、またその製品普及のための修理・再利用を担う人材(マイスター)の養成も進める「リファービッシュ&マイスター養成事業」です。例えば中古自動車を、国内であれば最新の、海外であれば輸出先の排ガス基準に適合させて環境負荷を下げ、さらに購入者の好みに応じて車体デザインなどを改良し、付加価値を高めて販売するというものです。

また、京都府を舞台とする新エネルギーによる分散型エネルギー供給システムの実証研究にも参加しています。これは、独立行政法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の委託事業で、京都府、弥栄町(2004年4月より京丹後市)、民間企業5社が参加。風力発電や太陽光などの自然エネルギーにバイオガス発電(ガスエンジン、燃料電池)や二次電池などの新エネルギー等を組み合わせ、需要に応じて安定的に電力を供給できるシステムの研究・開発を行うものです。2003-2007年度までの5年間で合計電気容量850キロワットの発電設備を設置し、地元役場や病院等の需要量に合わせて過不足なく供給する体制づくりを目指します。その中でアミタは、バイオガス発電の原料調達、運用・管理等を担うことになっています。

当事者意識の連鎖をつくりだす

同社は一見次々と異なる事業を展開しているようですが、一貫しているのは、専門知識を持ち寄り市場のニーズを形にし、その過程で「当事者意識の連鎖」を構築して、真の環境ビジネスを構築する、という視点です。熊野氏は「昔は当事者意識の連鎖があった」と言います。「昔の日本では、仕事を『稼ぎ』と『普請などの地域のための相互扶助(結い)』とに分け、『稼ぎ』がいくらできても、相互扶助ができていなければ、半人前扱いされていた。そして一人前の人間は、普請などの相互扶助ができれば『稼ぎ』も上がることを知っていたのだ。」「また、昔の人々は、生活圏の中で経済を営んでいた。冬が来ればおじいさんが孫に『山で薪を取ってきなさい』と言い、必ず『取りすぎると山の神が怒るぞ』と添えた。それは、生活圏が崩壊すれば経済圏も崩壊することを知っていたからだ。」

熊野氏は続けます。「工業化とは、おじいさん自らがたくさんの薪を集めて孫に自慢するようなもの。生活圏と経済圏がばらばらだと、自分の生活圏と無関係の山が荒廃しても意に介さなくなる。つまり、行き過ぎた工業社会が当事者意識をなくさせ、相互扶助も行われなくなり、社会の信頼は崩壊していった。当事者意識、信頼に基づいた社会が、何故昔はできて今は難しいというのか?」「当事者意識を回復し、信頼の社会を構築するために、生活圏と経済圏を調和するシステムを築けないか。例えば、生活圏がもつ再生可能なエネルギー(風力・太陽光・バイオマス)をベストミックスし、そのエネルギーの使用できる範囲の生活や経済を構築すれば、自然に対してもっと当事者意識をもてるのではないか。同時に、「資源の自立」のために循環資源のシステム構築が必要だ。だが今までの大量生産、大量消費、大量リサイクル型の工業社会モデルでは当事者意識は生まれない。これまでのように不要なものをリサイクルするのではなく、最初からリサイクルできるものを作るように価値観を転換する必要がある。」

工業化は、所有することで満足を得る物質文明を築いてきました。しかし21世紀には、使用する満足を重視する精神文明を築く必要があり、そこで東洋的価値観が大きな役割を果たすと熊野氏は考えています。「日本には、諸行無常(物事は常に変化であり、何一つ同じ状態のものはないという考え方)、あらゆる物に執着してはいけないという教え、侘び・寂びといった物の哀れ、儚さなど、これらを精神性の満足として価値付けてきた歴史がある。」アミタはそうした精神性をも一つのソフトウェアと捉え、そこにハードウエアを融合させ、自立可能な産業形態をデザインする挑戦を続けていきます。

(スタッフライター 小林一紀)

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