ニュースレター

2003年12月01日

 

第2回 食の地元学

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JFS ニュースレター No.15 (2003年11月号)
シリーズ:環境学習の現場から

時を同じくして、東北、宮城県でも、「食」を切り口とした地元学が生まれていました。今月は、地元学の提唱者の一人で、民族研究家の結城登美雄氏のお話をご紹介します。

「コンビニもないダメな村?」

宮城県宮崎町は人口6000人、1500世帯の農業集落です。5年前から、毎年秋にこの町の体育館いっぱいに各家々の家庭料理が一堂に集まる「食の文化祭」が開催されています。毎回、和洋折中様々な1000点を越す家庭料理が集まり、ここに来ればこの町の人々の日々の食卓が見えてきます。

高齢者の多い町ですが、例えば70歳のおばあちゃん。仮に20歳で嫁いだとして、ざっと計算しただけでも、1年365日、日に3度、50年で5万回の食事をわが手で生み出してきたことになります。出品者は12歳から92歳まで。地域に内在する"食の力"が伝わってきます。

"ここは何もない村だ"。5年前この町の人々は、便利なコンビニやファミレス、大型スーパーがないことを口々に嘆き、自分の町を「遅れた町」と卑下していました。住民の目は外にばかり向いていて、足元のわが町には視線は及ばなかったのです。都市にあってわが町にないものばかりを求めて、わが町を否定的に評価してきました。

心理学の概念では、これを遠隔対象性といいます。人間は身近にあるものより遠く隔たっているものを価値の対象に求める、という心性のことで、ここではないどこかに本物があり、ここにあるものは本当ではないと、思ってしまう傾向があるそうです。

しかし、"何もない"ばすのこの町の一軒一軒の家には畑があり、一年を通じて50-60種類の野菜を育てています。近くの山からは、春には山菜、秋にはキノコ、木の実、町を流れる清流からは、カジカ、ヤマメ、イワナ、アユが取れます。これらの旬の新鮮な食材は日々料理され、食卓へ並びます。収穫の余剰は、ジャムや漬物などの加工品となり、保存の知恵や技術とともに貯えられ確実に今に伝えられています。

宮崎町の人々は、食の文化祭を通じてわが町にある資源に気づきました。自然、生産、暮らしがつながっているこの町は、画一的なコンビニや大型スーパーなど、必要としない町だったのです。

「売り物がない町は何もない町?」

宮城県北上町は人口4000人。一般にワカメとシジミをわずかに産する町としてしか知られていません。金銭的ものさしでこの町を見ると、産業らしい産業はなく、大消費者の集まる都市に、売る物はありません。

ところが、この"何もない"はずの北上町の女性13人にアンケートしてみると、彼女たちは一年間に300余りの食材を生産していることがわかりました。自宅の庭先でとれる穀類が90種、里山から山菜40種、きのこ30種、果実と木の実が30種。北上川からはウナギ、シジミなど淡水魚が20種。"田、畑、川、海、山から四季折々にごちそうがやってくる"のだそうです。北上町の住人はこの町を、お金がなくても暮らしていけるところ、と言います。しかし、金銭的ものさしでみると、"何もないところ"になる。恐らく宮崎町同様、コンビニやファミレス、商店街などがないからかもしれません。

「風の人」との交わりを通じて「土の人」は、この町の風土、食の豊かさ、暮らしやすさに気付き始め、これらの継承の場として「食育の里づくり」を始めました。現在日本の食卓のほとんどが、家庭と外食の2つだけになってしまいましたが、地域のみんなで作って食べる第3の食卓、「地域の食卓」を通じて、食の技やコツの交換をはじめ、郷土の味、食の記憶を次世代に伝えています。

「借り物のビジョンから、内からのビジョンへ」

地方には、「強いられた負の意識」があるように感じます。農村は、過疎化も進んでいて、生活は貧しく、文化的施設もなく、生活水準も低い、要するに遅れているところ、早く近代化すべきところ。都会の人たちもそのような意識で地方を見てきたし、地方の人たちも早く近代化しようと、都会ばかりを見て足元を壊してきました。

食の地元学を通じて、生活者の視点で暮らしを見直していくことの重要性を再認識しました。「いい地域」とは、自然環境、産業、生活文化のバランスがとれているところ、環境を守り、伝えようとする価値観や金銭ですべてを判断しない価値観がある、自分の価値観で暮らしを楽しむことができるところ。まずは自分たちが生活を楽しみ、豊かにすることから、同じ地域を生きる人々との「地縁」をもう一度再構築していきたい。

"うちの町には、こんなものがある、あんなものもあっていいところです"と言われれば、訪ねてみたくなるでしょう。人を呼ぶために、まちの資源を壊すようならそれは本末転倒というものです。一度来たら終わりの観光客を呼ぶための大型施設を作るより、その町の文化を気に入って何度も足を運んでくれるリピーターを作っていきたいものです。これからはそういう持続可能な発展が求められていることを、食の地元学からも垣間見ることができました。

参考:新潟地元学フォーラム、「風に聞け、土に聞け」地元学協会事務局

(スタッフライター 高橋彩子)

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