ニュースレター

2003年11月01日

 

環境、産業、生活の調和 - 地元に学ぶ「地元学」

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JFS ニュースレター No.14 (2003年10月号)
シリーズ:環境学習の現場から 第2回

足元を見直すことで地域づくりに役立てようという「地元再発見」の動きが、ここ数年全国的に広がりをみせています。地元の人が主体となって、自分たちの住む地域について調べて学ぶ「地元学」を通じて、地域独自の生活文化を自覚することにより、地域外からの変化に対応しながら、住み良い地域づくりにつなげようという試みです。

「地元学」発祥の地の熊本県水俣市では、この再発見の成果を環境モデル都市づくりの施策に活かしてきました。水俣市は、世界に例のない産業公害である水俣病という負の遺産を、どのようにして新しいまちづくりのエネルギーへと変えていったのでしょうか。そのひとつの糸口が「地元学」です。

「地元学」とは?

地元の人が主体となって、暮らしの中の知恵や経験、資源を調べ、学び、認識することです。「地元学」では地元の人を「土の人」、外部の人を「風の人」と呼んでいます。「土の人」の独りよがりにならないように、「風の人」の視点や助言を得ながら協働で進めます。「土」に「風」が吹いてはじめて気づく地元の良さや個性があるのです。地域の風通しがよくなることで、世代で分断されていた住民の間にコミュニケーションの芽が生まれます。地元でのお年寄りと、若者やこどもとの対話が生まれ、智恵を教わる方だけでなく、教える方も教えることで「地元」を再発見するというように、双方が生き生きしてきます。

「地元学」では、市町村という行政区域や、風土や歴史、生活領域を一つにする地域を「地元」としています。また、川の流域、山に囲まれた盆地、島など、地形的にまとまりのある地域を意味する場合もあります。

「地元学」の基本は、「あるもの探し」です。地域の自然、風土、伝統、歴史、民族、文化などの暮らしとその移り変わりを調べ、地域の個性を把握します。地域固有の風土には、地域固有の暮らしがあります。身土不二という思想です。地域の風土と暮らしの固有性を理解することにより、外からの様々な変化が入ってきた場合に、地元としてどう変化を受け止めるかを決める判断材料となるのです。

「公害」から「環境」のまちへ -水俣市の取り組み

水俣市は、長年水俣病に苦しんできた土地です。それは1954年ころから猫が狂い死にするなどの奇病が漁村に発生したことから始まりました。1968年に厚生省が「チッソの廃水が原因」と断定するまでは、国は漁獲禁止措置をとらず、企業も汚染源の生産を中止しなかったため被害が拡大し、直接被害を受けた住民だけでも1万人を越える大惨事となりました。発生から40年近くたった現在でも、治療法は見つかっておらず、胎児性水俣病患者は未だに苦しみを抱えながら生活しています。

世界的にもよく知られた公害病でありながら、水俣市の漁村以外の住民は、水俣病や被害者のことをよく知りませんでした。行政と被害者たちの対立はもちろんのこと、様々な利害関係により被害者たちと一般市民との間にも長年対立が続きました。市民はこの問題に正面から取り組むことを避けてきたのです。

当時水俣市役所で水俣振興推進室に勤務していた吉本哲郎さんは、水俣病の犠牲を無駄にしないため、市民が水俣市で起きたことをきちんと把握して、地域を知ることが問題解決の糸口になると考えました。それを地域発展のために活かして、住民が愛着と誇りを持って住めるようなまちづくりを提案しました。こうして「地元学」が誕生しました。

吉本さんはまず、市内26地区の20-40代の人たちを10人づつ集め、「寄ろ会」という地区活動の世話人会を組織します。「寄ろ会」では、役所に陳情することをやめ、自分たちでできることをやる、をモットーに「あるもの探し」を始めました。公害を引き起こした企業、被害者、当時の地域の姿を調べ、水俣病の実態を知ることで被害者とそれ以外の市民との対話が増え、次第に交流が進んでいきました。

長年続いた住民同士の対立が、何か新しいものを生み出すエネルギーに変わってきました。対話により互いの違いを認め合い、距離を近づけあって、新しいまちを自分たちの手で創りたい、という思いが住民の間に生まれたのです。

地元住民が最初に取り組んだテーマは水でした。自分たちの飲み水はどこから来るのかを調査して、分かったことはすべて地図に書き込みました。山芋、ワラビ、鮎、神社、大木など、地域にあるものなら何でもいいのです。「そんなのでいいなら、いっぱいあるよ」ということで、地域の「資源マップ」が出来上がっていきました。

「地元学」の実践で地域の姿が明らかになってきました。地域が時代の変化をどう受け入れてきたかが分かり、未来に何を残したいか、そしてそのためには何を変えるかがみえてきました。行き着いたのは、自然環境、産業、生活文化のバランスのとれたまちでした。

1992年に同市は、「環境モデル都市づくり」を宣言します。水俣病の経験と教訓から、「環境水俣賞」を創設しました。環境に配慮したモノづくりをする生産者を「環境マイスター」として認定する制度も作りました。現在、無農薬野菜やお茶、米、ミカンの生産者や無添加の煮干しを生産する漁師、化学薬品を使わない和紙生産者ら23人が認定されています。

他にも、環境マネジメントシステムの国際規格「ISO14001」の家庭版や学校版、事業所版という「環境ISO」のしくみも立ち上げています。また、水俣市はゴミ処理にも力を入れていて、分類は、資源ごみ、埋め立てゴミ、有害ゴミ、粗大ゴミ、燃やすゴミの5種類21分別に及びます。約3万人の全市民が参加しています。これは世界でも画期的な取り組みです。水俣市の環境基本計画は平成17年までの10年計画で、世界一の環境都市になることを最終目標としています。

広がる「地元学」

現在、この「地元再発見」の動きは、全国100以上の自治体に広がっています。早くから取り組みを始めた愛知県美浜町では、町全体が竹炭を焼く里となり、炭の加工品が特産品になりました。岩手県湯田町では、風車やバイオマスによる自然エネルギー導入が本格的に進められています。また、県レベルでは、岩手県が1999年に総合発展計画の中で「いわて地元学」の推進を掲げて、10年間かけて地域資源の再発見に取り組んでいます。同様の取り組みは、群馬、岐阜、高知、宮崎の各県にも広がっています。

日本には「縁」という素晴らしい言葉があります。山や川といった豊かな自然との「縁」、伝統や歴史を通じての先人との「縁」、未来を共有する地域の人同士の「縁」。「地元学」とは、近年薄れてしまった地域の「縁」をつむぎ直す作業です。

将来からの大切な預かりものである地域資源を、自分たちの責任範囲である「地元」で着実に管理していく。それは、地域で暮らす人々がそれぞれの自信を取り戻す一つの方策でもあります。そして、地域規模で考えて、行動することは、どこかで地球全体につながっています。一つ一つのコミュニティは山を超え、海を超えて、目には見えない絆で結ばれているのです。
(スタッフライター 高橋彩子)

参考文献:「風に聞け 土に着け 風と土の地元学」(2000)
水俣市役所HP(日本語) http://www.minamatacity.jp/
水俣市役所HP(英語) http://www.minamatacity.jp/eng/index.htm

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