ニュースレター

2003年05月01日

 

市民主導で環境基本条例策定、そしてゴミを半減 - 東京都日野市

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JFS ニュースレター No.8 (2003年4月号)
シリーズ:地方自治体の取り組み 第3回 

東京都日野市は東京都心部からは電車で40分ほど西に位置し、南北6キロ弱、東西7.6キロの小さな市で、人口は約17万人。昔から東京の米倉といわれた農業や日野自動車をはじめとする工業が盛んで、東京のベッドタウンでもあります。

日野市の環境基本条例は、1994年に条例案を市民がつくり、直接請求。翌1995年に可決された「市民による市民のための条例」です。この条例に基づき、市としても初めての市民参画方式=公募市民に行政計画を白紙の段階から案文の作成までお願いするという方式で、日野市環境基本計画を策定しました。応募した109人が自主運営で5つの分科会を作り、10ヵ月で計画を作り上げました。

この背景には、緑地の減少がありました。景気が悪化し、デベロッパーは保有していた土地の換金に狂奔していた時期です。とても宅地になりそうにない斜面地までも緑が切り払われ、宅地造成が行われるようになりました。緑が消えていくことへの市民の危機感がつのり、市民が行政への参加を表明したのです。

自ら作った計画には当然責任も伴うため、作成から8年が経つ今も、大勢の市民が集まって、計画の進行状況を見守り、市民としての役割を果たすために行動しています。

具体的にはたとえば、日野市内を流れる程久保川は河川勾配が非常に急なため、コンクリートで固められてしまっていますが、その護岸に穴をあけ、"わんど"を作りました。これはそこに住む魚、昆虫、小動物にも配慮する第一歩となり、今では子どもたちが自然と触れ合う絶好の遊び場となっています。

日野市では、2000年10月にごみ改革に着手した結果、ゴミ収集量は約48%減少し、資源物回収量は約3倍に増加しました。この結果、日野市に与えられた最終処分場での配分量を下回り、市の分担金は還付され、処分場の延命にも大きく貢献しています。

しかし、3年前、日野市は周辺26市のなかでリサイクル率や不燃ごみ量が"ワースト1"だったのです。

市では、ワースト1という恥ずべき状態を市民にも訴え、その解決策を提案しました。増え続けるごみの原因はダストボックス収集方式にある、として収集方式を改めることにしました。

ダストボックス収集方式とは、スチールのごみ箱を使うもので、クレーンでトラックに積み込むのでとても合理的に見えます。ごみ改革は、いつでもどこでも捨てられるダストボックスの便利さを捨て、指定有料袋による戸別収集方式によって、ごみの発生の責任を明確にしようとした改革です。

ごみ有料化(指定袋制)で3億円の手数料収入がありましたが、収集方式の変更のコスト増で差し引きゼロとなりました。しかし、ごみの量が減少したため、想定したよりずっと低いコストでごみ改革を行うことができました。

ごみは半減したのですが、生ごみの減少率が少ないため、現在は可燃ごみの5割が生ごみです。環境基本計画では、生ごみさえ有効利用の方法が見つかれば可燃ごみは3年前にくらべ10%にできると提案しており、生ごみの堆肥化、バイオマスガス化等色々な方法を研究、検討しています。

市民には、ごみ改革直後から半年までは毎月、以降は年1回、ごみの減少を報告し、次に取り組むべき課題や具体的な方法などを提示しています。報告では、市長の自宅の実排出量も合わせて掲載。トップのリーダーシップ、改革後の成果の評価などを市民へ報告することが重要なのです。

ごみ改革前は、ダストボックス廃止反対が80%近くありましたが、ごみ改革後の評価では、56%が好ましいと答え、中立とあわせると80%近くの支持を得ています。また、これをきっかけに関心を持つようになった56%を含め、市民の90%がゴミ・環境問題に関心を持っています。ごみの分別に参加し、ごみの減量の一翼を担うところから、関心が生まれ、また行動につながっていることがわかります。

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