ニュースレター

2017年08月11日

 

組合員の意志で社会課題を主題とする事業に取り組む生協、生活クラブ

Keywords:  ニュースレター  エコ・ソーシャルビジネス  食糧 

 

JFS ニュースレター No.179 (2017年7月号)

写真
イメージ画像:Photo by Motohiko Tokuriki Some Rights Reserved.

日本の市民事業は歴史的に、消費者を市民へと育てるとともに、社会の課題を相次いで事業の主題としてきたという共通点を持っています。中でも、21都道府県に跨り33生協、約37万人の組合員を持つ事業連合生協である生活クラブ連合会の取り組みは、世界でも高く評価されています。

今月号のJFSニュースレターでは、生活クラブ生活協同組合・東京で専務理事を務められている村上彰一氏、生活クラブ事業連合生活協同組合連合会会長の加藤好一氏が、それぞれ2017年1月10日、19日に社会事業家100人インタビュー* でお話された内容を編集し、生活クラブ連合会の取り組みについてお届けします。

*社会事業家100人インタビュー:ソーシャルビジネスネットワーク(SBN)が、2012年6月からほぼ毎月1回のペースで開催している、先輩社会事業家からビジネスモデルを学ぶための連続対話型講座。


「意志あるところに生活クラブ」

写真:村上彰一氏
村上彰一氏
Copyright 一般社団法人ソーシャル・ビジネス・
ネットワーク All Rights Reserved.

1965年、生活クラブは牛乳の共同購入活動からスタートし、1968年に生協法人化しました。当初、組織を世田谷区に限定する想定でいましたが、練馬区の自治会生協の組合員からの要請で、同区の組織化にも着手。その後、保谷市(現在の西東京市)や板橋区、町田市、埼玉県新座市などにも広がっていきます。

これは、「安心・安全な商品を購入できるなら、組合員を集めることや配送などの業務を積極的に担います」という地域の組合員の熱意や、創設者・岩根邦雄氏のつながりによるもので、生協本部の方針や戦略ではありませんでした。当時は職員を求人しても集まりにくく、組合員が自律的・自発的に活動せざるを得なかったという事情もあったでしょう。これが「意志あるところに生活クラブ」と言われる所以です。

写真:加藤好一氏
加藤好一氏
Copyright 一般社団法人ソーシャル・ビジネス・
ネットワーク All Rights Reserved.

この「意志ある」は、気持ちだけではなく、出資金をきちんと納め、自ら動くことを意味します。1980年代後半からは、関東地方以外にも広がりをみせますが、地方に引っ越した組合員がその地で生活クラブを立ち上げるケースがほとんどでした。

1971年から各地で配送センター(=支部)がつくられていきますが、職員から組合員に「何のためにどれだけのお金が必要か」を説明し、まず数字を理解してもらうところから始めました。

その建設費用は、主に組合員の出資と組合員債でまかなわれ、支部の経営や運営も、組合員によって自主的に行われていきます。コープかながわやコープこうべなど、大きな組織の先進事例をお手本にはしたものの、現実的には、各支部が置かれたさまざまな条件のもとで事業を進めていくしかありません。このように、「組合員による自治」は、創設の頃にすでに確立していたのです。

組合員と生産者が共同で「消費材」を開発する

生活クラブでは、商品のことを消費材と呼びます。組合員は、設立当初から「私たちが生活していく上で本当に必要なものは、自分たちでつくるしかない」という強い思いを持ち、消費者にとって価値ある消費材の開発に取り組んできました。

1972年の遊佐町農協との米の提携生産を皮切りに、1974年には平田牧場の肉の産直がスタート。当時、センターに冷蔵施設がなく、職員は「無理だ」と反対したのですが、組合員が「何とか購入したい」との一心で実現させた経緯があります。平田牧場が、山形から東京まで豚肉を運んでくれ、組合員はトラックの助手席に乗って道案内したといいます。

実は、平田牧場と生活クラブはこの産直に先駆けて、日本初の無添加ウインナーの開発に取り組んでいました。組合員の強い要望によってソルビン酸(保存料)ゼロとしたのですが、輸送中に腐ってしまったのです。組合員はその事実を受け止めて、その後も平田牧場とのやり取りを重ね、ソルビン酸を可能な限り低減したウインナー、後には添加物を使用しないウインナーの開発に成功しました。実現には困難を極めましたが、生産者と組合員による消費材開発の原点でありモデルケースであると言えるでしょう。このような経験を通して、「添加物を使っていないので、日持ちはしません」というような、生産者と組合員双方がリスクを分担するための情報開示は大切だ、という認識も自然に生まれてきたのです。

班による共同購入と学習の一体化

豚肉は一頭買いで、「自分が好きな部位だけ買う」ことはできませんでした。販売単位も大きく、1990年代に700グラムパックやスライス肉といった少量の購入も可能となるまでは、基本は1キログラムのブロック肉でした。組合員同士の調整を経て、規定を満たす発注が取りまとめられ、週に1回、班に配分されていました。

毎月1回の「班会議」が組合員の自宅で行われ、職員が出向いて学習会をすることもありました。消費材の説明にとどまらず、組合員が知りたいこと・学びたいことを学習する自発的な場です。班購入と学習の一体化は、組合員の結束力を高め、自主的な運営・管理スタイルの構築にも大きく貢献しました。その反面、このような縛りを嫌って退会する人が多かったのも事実です。

1970年代に入ると、加工品開発への要望が高まります。ただ、オリジナルの消費材の開発は、組合員にとって購入の責任がともないますから、安易な開発には反対する声も多く、生活クラブの加工品とはどうあるべきかの議論の結果「一次産品の延長として、素材を無駄なく有効利用する」という観点で開発がすすめられ、消費材の幅は少しずつ広がっていきました。

1980年代には、生活クラブで取り扱う食材が購入できる組合員専用の店舗であるデポーや、ワーカーズ・コレクティブ事業がスタートします。ワーカーズ・コレクティブとは『働く人の協同組合』で、暮らしやすい地域社会づくりを目的に、一人ひとりが経営者かつ労働者として、まちに必要な機能を自分たちで事業化し、仕事の目的や働き方、報酬などを話し合い、みんなで責任を持ちます。パン・お弁当販売やレストラン運営、子育て・家事・介護のたすけあいの他、組合員への個別配達、デポーのフロア業務など多様なワーカーズがあります。地域でくらす人の生活全体にアプローチする画期的な取り組みと言えるでしょう。

組合員自治の発展形としての地域自治の可能性

一般の消費者が利便性を求めた1990年代、生活クラブ以外の生協は、組合員にできるだけ負担をかけない「手軽さ」をアピールすることで拡大を図り、結果として、生協間で顧客を奪い合うことになります。

生活クラブにとっても、組合員の増減は死活問題ですが、社会の変化に対応するきっかけをなかなかつかめませんでした。2000年代に入ってからようやく、「組織のあり方、組合員の参加のあり方、消費材の開発のあり方などを大胆に改革しないと終わりだ」という意識が共有され、個別宅配中心とすること、班を組織の単位から外して個人が決定権を持つことなどが5か年計画に明記されました。組合員の同質性を高めてここまでの力が持てたことの限界を認め、多様性と向き合うための決断です。ただし、生活クラブとしての方向性や譲れないことについては、変わらずきちんと筋を通し、差別化を図っています。

近年、複数の保育園を運営するほか、子育て施設への消費材の配達といった子育て世代を応援する取り組みを進めた結果、30~40代の組合員が増加して世代交代が進み、育休時にリーダーを経験したり、ワーカーズで働いたりする人も出てきました。シェア・エコノミーや人とのつながりが注目されている今こそ、生活クラブの強みが発揮できる時代なのかもしれません。

食だけでなく、生活コスト全体で生活クラブが占める割合を上げるために、特に東京では、住まいの支援にも力を入れていきたいと考えています。町田センターの跡地には、サービス付き高齢者住宅や組合員活動室、子育てひろば、カフェ、地域で活動連携するNPOやワーカーズ・コレクティブの事務所などで構成される福祉複合施設を建設予定です。

また、あきるの市に60アールの土地を借り、体験農園「生活クラブ農場」を運営しています。組合員に大人気で、そこで収穫された野菜はデポーにも供給されています。耕作放棄地が活用されるので市も地元の人も喜んでいます。農業は多様な人が関われるので、たとえ東京でも、地域自治を推進するための重要な要素だと考えています。

組織の拡大と社会への対応をリンクさせる

事業と組織の規模が大きくなってきたため、11都道県で活動する11生協の事業連合組織としての「生活クラブ連合会」が1990年に結成され、現在では21都道府県の33生協で構成されています。連合会は、消費材の開発・仕入、管理・検査、物流・システム開発、カタログなど情報紙や広報物の制作を担っています。さらに、生活クラブ総体として、びん再使用や、遺伝子組み換え食品反対など、他組織と連帯してでも取り組むべき運動にも対応します。全国の組合員の購買力や意志を結集することで、社会に対して大きなインパクトを与え、よい方向に変えていけるからです。

2015年からは、経済評論家の内橋克人氏が提唱する「FEC自給圏」の創出を方針に掲げました。これは、域内での「Food+Energy+Care」の取り組みこそがわれわれの使命であるという考え方で、正確には「+Work」です。つまり、個別にではなく、地域でこの4つを一体として、連帯して進めていかないと、日本の将来はないという危機意識からです。

東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故によって、日本はエネルギー問題に向き合わざるを得なくなりましたが、もともと北海道の生活クラブではチェルノブイリ原発事故の直後から脱原発運動が進められ、連合会の中期計画に「脱原発」の言葉を初めて入れたのが2010年、首都圏の生活クラブが協力して秋田県にかほ市に風車を建設したのが2012年、電気の共同購入を始めたのは2016年です。この運動は地域とのつながりを生み、新たな消費材開発にもつながりました。また、「『六ヶ所再処理工場』に反対し、放射能汚染を阻止する全国ネットワーク」では、ワカメの生産者としてお付き合いがあった重茂漁協と協力体制をとりました。運動を維持するための事業だからこそ、いったん付き合ったら、一緒に解決していくのが原則です。


安心・安全な商品を購入するという課題への対応から始まった生活クラブの取り組みは、暮らしやすい地域社会づくりや、エネルギー問題などの課題にも対応する事業へと広がっています。今後も、組合員が自律的・自発的に活動を広げ、さまざまな課題を解決していくことが期待されます。

社会事業家100人インタビュー特別企画
先輩社会事業家のビジネスモデルを学ぶ より
http://socialbusiness-net.com/contents/news5308

English  

 


 

このページの先頭へ