ニュースレター

2017年07月31日

 

被災地での新しいコミュニティづくりをめざして~石巻じちれんの取り組み

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JFS ニュースレター No.179 (2017年7月号)

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東日本大震災から6年が経ちました。昨年熊本県でも大きな地震があったこともあり、2011年3月11日の東日本大震災で大きな被害を受けた東北地方の被災地への関心や支援も薄れつつあると言われています。しかし、東北地方の被災地の復興はまだ終わっていません。

7月はじめに、震災後6年経った現在の状況や取り組みについて、この目で見、この耳でお聞きしようと、宮城県石巻市を訪れました。石巻市は、面積555平方キロメートル、仙台市に次ぐ宮城県下第二の都市です。東洋屈指の漁港である石巻港を有し、農業も盛んで、観光名所も多い、活気ある都市でした。

2011年3月11日、この石巻市を、震度6の大地震と、地点によっては高さ10メートルを超える津波が襲いました。直接の死者数は3,200人を超え、関連死を含めると3,550人を超えます。未だに420人を超える人々が行方不明となっています。2万を超える建物が全壊、1万3千超が半壊、2万3千超が一部損壊となりました。市内の広範な地域が津波によって浸水しました。以下の石巻市の記録には、被災の様子を伝える写真も多く掲載されています。
http://www.city.ishinomaki.lg.jp/cont/10151000/1501/24-31.pdf

被災した方々は、当初は小中学校やお寺などに設けられた避難所で生活し、その後、自宅を失った方々などは、市内の各地につくられた仮設住宅に移動しました。かつていくつかの仮設住宅を訪問したことがありますが、その多くは平屋のプレハブ建築で、住民が顔を合わせる機会も多く、ボランティアの出入りもあって、"コミュニティ感"が醸成されていたところも多かったように思います。

しかし、震災から年月が経ち、仮設住宅から出て行く人も増え、仮設住宅の集約化をすすめるとともに、長期的に住むことができる「復興住宅(災害公営住宅)」が市内のあちこちに建設されています。復興住宅とは、災害により住宅を滅失し、自力での住宅再建が難しい方のための公的な賃貸住宅です。

仮設住宅は平屋で住民間の距離感も近かったのに対して、復興住宅は鉄筋コンクリートの2階建て、3階建て、4階建てといった団地形式で、高層マンションのような10階建ての団地もあります。団地には集会場なども設けられていますが、玄関の鉄の扉を閉めてしまえば、近所とのつながりやつきあいは希薄になります。また、復興住宅には、さまざまな地区で被災した方々が引っ越してくるため、「これまでのつながり」や「地域の歴史」も共有されていません。

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そうした背景の中、復興住宅での住民のコミュニティ形成に取り組んでいる一般社団法人石巻じちれんを訪問し、会長の増田敬さんと事務局長の内海徹さんにお話をお聞きしました。おふたりのお話をお届けします。


団体紹介

「石巻じちれん」の前身は、2011年12月9日に誕生した「石巻仮設住宅自治連合推進会」です。当時、石巻には仮設住宅団地が134ありました。そのうち自治会ができていた5つの仮設住宅団地の自治会役員が集まり、「孤独死を無くそう」を合言葉に、連合組織として立ち上げました。

当初は住民だけが集まって話し合っていたのですが、翌年2月には市役所、社会福祉協議会などにも声をかけ、市立病院の医師、警察署の生活安全課と地域課、消防署の予防課にも参画いただき、現在に至っています。

最盛期には42団地3,338世帯と、市内の仮設住宅の全住民の54.2%が加盟する団体となりました。被災住民の意見のとりまとめなどを行うようになり、被災住民と行政のWIN-WINの関係ができたと考えています。

4~5年活動を行ってきて、「仮設住宅が終わったら、ミッション完了ということで活動をやめるか」という意見も出たのですが、一方で、復興住宅に移った人々からは「復興住宅に移った時は嬉しかったが、今は寂しい」とのヘルプの声が多く寄せられるようになりました。

復興住宅はあまりにも建物がしっかりしていて、個人情報はしっかり守られているのですが、なかなかコミュニティづくりができないのです。「続けるのなら法人にしよう」と、2016年1月19日に一般社団法人石巻じちれんが発足しました。活動資金はすべて、県や市、企業財団などからの助成金でまかなっています。

活動

毎月自治会の役員が集まり、問題を持ち寄って話し合う支部会を開催しています。支部会で解決できなかった問題は理事会に上げられ、警察署や消防なども交えた意見交換会などで問題の解決のためのアイデアをもらったりします。理事会の終了後、自治連だよりを年4回ほど発行して、復興住宅団地の掲示板に掲示しています。

外部との窓口業務も行っています。個人や行政、学術団体、企業等からの支援の申し入れや取材依頼に対する連携や調整が年間40件ほどあります。今後地震が起こると言われている首都圏や静岡県の自治体、昨年の地震からの復興途上にある熊本県のほか、海外からも防災について学びに来られます。また、全国各地から届く食べ物などの支援を住民に配布したりもしています。

ボランティアの方もたくさん来てくださいます。それぞれの仮設住宅ではイベントなどをやっていますが、仮設住宅や復興住宅をつなぐ機会を創ろうと、こちらから声掛けをして、カラオケ大会やスポーツ大会、日帰り温泉バスツアーなどを行っています。

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復興住宅のコミュニティづくりは非常に難しいです。仮設住宅ならまだ平面的で窓越しにアイコンタクトも取れますし、自分がその気になって外を歩けば、必ず誰かに会えます。でも、復興住宅のようなマンションタイプになると、廊下に出て、行ったり来たりしてもなかなか人に会えません。以前のアンケートに、「毎日玄関の通路越しに外を眺めているお年寄りがいます。そういう人にも目を向けてもらえませんか」という声もあり、いろいろ工夫しています。

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復興住宅では、毎朝8時半に中庭に集まってラジオ体操をしたり、集会所で様々なサークルを作り始めています。私たちは誘い水となるだけで、サークルのお世話役は必ず住民の中から出すようお願いしています。絵手紙や民謡、ボランティアクラブ、健康麻雀教室などいろいろなサークルが生まれています。

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健康麻雀教室は、認知症予防などにも効果があり、普段あまりイベントに参加したことのない引きこもりがちな男性も参加してくれるようになりました。また、高齢社会において認知症も問題の1つであることから、認知症の勉強会も行っています。そこから、見守りやサポートなどをする「つながりサポーターパル」が発足し、毎月活動を行っています。

私たちの団体で「つながりカード」を作りました。二つ折りにすると名刺大の大きさで、携行できます。何かあった時に備えて、裏に連絡先を記入しておくのですが、「家族欄」のほかに、「ご近所さん」という欄も作り、近所の人々がお互いに名前を書き合って、日頃からコミュニケーションを図れるようにしています。

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石巻市では2016年6月に「石巻市被災者自立再建促進プログラム」を発表し、132ある仮設住宅を1~1.5年かけて22に集約していくことになりました。そこで、今まで住んでいた人と新しく移ってきた人との交流の場を作らなければならないと考え、10カ所の団地で、毎週同じ時間・同じ場所で「お茶っこ」(お茶会)を開いています。新しく越して来た人も、その時間に行けば誰かと話ができます。県の助成金が得られたので、10団地での開催から17団地に増やしていこうと考えています。

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こういった活動が評価され、平成28年度の復興庁「新しい東北」復興功績で顕彰されました。

国の復興予算はあと4年は続くと聞いていますが、続いたとしても私たちの活動への補助金が採択されるとは限りません。またいつまでも続くわけではありません。私たちの活動は息長く続けることが求められていますが、活動を支える資金源をどうしたらよいのか。厳しい課題ですが、考えていかなければなりません。


新たな場所での生活は、多くの人にとって不安なことでしょう。まして、被災された方々の中には、さまざまな意味でのストレスや不安感の強い状況に置かれている方も少なくないでしょう。そうした時に、住民同士のコミュニケーションのための場を創り、支えてくれている石巻じちれんの存在は非常に大きいと思います。

石巻じちれんの方々をはじめ、石巻でお会いした被災者のみなさんは、ボランティアや支援に対する感謝の気持ちを何度も何度も口にされていました。フィリピン台風の被害を聞いて、石巻じちれんが呼びかけた義援金には50万円ほどが集まり、熊本の被災地にも28万円ほどの義援金を送られたそうです。

日本は地震国です。温暖化の影響の顕在化もあって、豪雨などの災害も増えています。だれもが「明日は被災者」になる可能性があること、被災という大変な状況の中でも、自主的に粘り強く、コミュニティづくりの取り組みが行われていること、そして、その重要性を強く感じた石巻訪問でした。月日が経過しても、決して忘れてはならないことがある――石巻から世界の皆さんへお伝えしたいメッセージです。

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スタッフライター 久米由佳、枝廣淳子

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