ニュースレター

2017年02月28日

 

持続可能な社会に向けて ~ 江戸時代からの学び、アジアから世界への貢献

Keywords:  ニュースレター  定常型社会  幸せ  政策・制度  生態系・生物多様性 

 

JFS ニュースレター No.174 (2017年2月号)

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イメージ画像: Photo by EntretenimientoIV.

JFS代表の枝廣淳子は2017年2月21日、シンガポールで開催されたシステムダイナミクス学会(SD学会)のアジア太平洋地域会議に参加して、「持続可能な社会に向けて ~ 江戸時代からの学び、アジアから世界への貢献」と題した講演を行いました。今月号のニュースレターでは、講演の内容をお伝えします。

挨拶

今回はこのような栄えある場にお招きいただき、とても光栄に思っています。大会委員長のジョン・リチャードソンをはじめ、関係者のみなさまに感謝申し上げます。

SD学会のみなさまはよくご存じの、デニス・メドウズ、ドネラ・メドウズが立ち上げたシステムダイナミクスやシステム思考、持続可能性の専門家・実践家のグローバルネットワークである「バラトングループ」というグループがあります。私は2002年9月に、第1回ドネラメドウズフェローシップの1人として、はじめてバラトングループの合宿に参加しました。そのとき、数十年ぶりに2回目の参加をしていたのがジョンです。

私たちはすぐに仲良くなって、以来、バラトングループの合宿のたびに、いろいろな話をしています。今、私は「人生のピークを90代にもっていく!」という本を書いているのですが、ジョンからもいろいろな知見や刺激をもらっています。

おい、ちょっと待てよ? と思われましたか?
そう、私は人をびっくりさせるのが大好きなんです。

今日は、「世界中が追い求めている持続可能で幸せな社会は、ユートピアでも幻想でもなく、東洋にすでに存在していた。東洋には世界に伝えられる大事な知恵や価値観があるのだ」というお話をして、「そんなこと、考えたこともなかった!」という方にびっくりしていただこうと思っています。

なぜ?

私の今日のお話のタイトルは、「Toward a Sustainable Society」です。これ自体、ヘンなタイトルだと思いませんか? 持続可能な社会に向けて、ということは、現在は持続可能な社会ではない、ということですよね。なぜ、気候変動や生物多様性の喪失、そのほかの環境問題が次々と出てきているのでしょうか?

そもそも地球は1コしかなく、基本的に「ほぼ閉鎖系」です。地球に入ってくるのは太陽からの光エネルギーのみ、出て行くのは宇宙への熱放射のみです。雨が降れば、子どもであれば新しい水が宇宙からやってきたように思うでしょうけど、実際には閉鎖系・地球の中を形を変えながらぐるぐると回っているだけです。新しい水や物質が宇宙からやってきたり、または宇宙に出て行ったりということはありません。

私たちの暮らしや経済活動は、地球から何らかの資源やエネルギーを取りだして、モノやサービスを作り出し、消費し、その過程でまたは最終的にCO2や廃棄物を地球に戻す、というプロセスです。私たちの経済や暮らしからみれば、地球は「供給源」であり「吸収源」でもあります。

この地球上で、経済活動や暮らしを持続可能に行うためには何が必要なのでしょうか? 言うまでもなく、 地球が供給できる範囲で資源を取り出し、地球が吸収できる範囲で廃棄物を戻すことです。地球は有限ですから、供給できる量も吸収できる量にも限度があります。この「地球が支えられる量」を環境収容力(carrying capacity)と言います。つまり、環境収容力の範囲内で経済活動や暮らしを営むしか、持続可能な社会を実現する方法はないのです。

成長の限界

ところが人類が誕生して以来ずっと、小さな人間に比べて自然・地球はどこまでも大きく、人間が何をやっても地球に影響が及ぶとは考えられませんでした。そこであたかも限界などないかのように、人間は多くのものを地球から取り出し、多くのものを地球に戻すようになりました。科学技術の力が「人間ができること」を大きく拡大してきました。

その結果、現在では、エコロジカルフットプリントは1.6という数字になっています。つまり、現在の人間活動を支えるために必要な農地や森林などの面積を足し合わせると、実際の地球上の面積ではたりなくて、地球1.6コが必要になってしまっているということです。

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Image by johnhain.

地球温暖化も、「地球1個分」を超えたからこそ起きている現象です。地球には森林や海洋など、毎年ある量のCO2を吸収する力があります。その範囲内でCO2を出していればすべて吸収してくれますから、温暖化は起きません。ところが、現在では地球の吸収量を遙かにこえる量のCO2を私たちが排出しているため、吸収しきれない分が大気中に蓄積され、温室効果ガスとなっているのです。

このような事実や知見が出されるようになり、Limits to Growthということが言われるようになりました。ご存じのように、その先鞭をつけたのはSD学会の大先輩であるデニス・メドウズ、ドネラ・メドウズらがローマクラブの委託を受けてシミュレーションを行い、その結果を1972年に発表した「成長の限界」です。

IPATという式を聞いたことがありますか? Impact(環境負荷) = Population(人口) x Affluence(経済的豊かさ) x Technology(技術)です。たとえば、CO2でいえば、CO2排出量 = 人口 × 一人当たりGDP × GDP当たりCO2排出量となります。ちなみに、世界の人口、一人当たりGDP、どちらもものすごい勢いで増えています。

これまでの考え方は、「人口・豊かさが増しても、技術力で、環境負荷を減らせばよい」というものでした。特に豊かさの増大を抑えようとすることは、経済にマイナスの影響が大きいと考えられ、豊かさには手をつけずに、その分、技術力で総量を抑えればよい、という考え方だったのです。さまざまな省エネ技術や再エネ技術などの技術革新が進められ、GDP当たりのCO2排出量を抑えようという技術が開発され、実用化されています。

そして、技術力のおかげで、確かにGDP当たりのCO2排出量は1990年以降、年率0.7%で改善しています。GDP当たりのCO2排出量を計算すると1990年には860グラムだったのが、2007年には760グラムに減っています。しかし、人口と豊かさの伸びを打ち消すほどではないため、CO2排出量は増え続けているのです。

英国サリー大学のティム・ジャクソンが、これまでと同じように人口と一人当たりGDPが増えていくとしたら、その増加分を打ち消すには、どのくらいGDP当たりのCO2排出量を減らすことが必要かを計算しています。その計算によると、2050年には40グラムに、つまり、2007年の20分の1ぐらいにしなくてはならないのです。これは可能なのでしょうか?

そして、2050年で経済成長が止まるわけではないとしたら、その先、さらに減らしていき、どこかでGDP当たりのCO2排出量はゼロからマイナスになる必要があります。つまり、GDPが増えれば増えるほど、大気中からCO2が減っていくということです。いくら技術革新を信じていたとしても、果たして可能なのでしょうか?

そう考えると、技術革新は大いに進めながらも、これまで手をつけずにきた「豊かさ」について再考せざるを得ません。一人当たりGDPはどこまでも増え続ける必要はあるのでしょうか? つまり、経済成長は無限に続くべきものなのでしょうか?

そうではなく、地球の限界とすでにぶつかっている今、「あるところからは経済の大きさを拡大し続けない」定常経済に切り替えていくべきなのではないでしょうか。大事なのは、一人当たりGDPで測られるような豊かさではなく、well-being、happinessではないでしょうか。つまり「限界の範囲内の幸せ(well-being within limits)」を追求すべきなのだと考えるのです。

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定常経済

かつて、経産省の方に定常経済の必要性について話したことがあります。彼は「経済は自転車のようなもので、こぎつづけるから回っていく。漕ぐのを止めたら自転車は倒れてしまう」と言いました。それは正しくありません。前年と同じ規模の経済を回していくこと、つまり、自転車を決まった速度でこぎ続けていくのが定常経済であって、現在の成長経済は、つねに前年よりも成長しようとしていますから、自転車を加速し続けることに等しいのです。どちらが持続可能なのでしょうか?

定常経済というのは、経済の規模、より正確に言うと、経済活動に伴うスループットが一定であるということであって、動きのない死んだ経済ではありません。そこでは活発な経済活動が繰り広げられ、新しく誕生する企業もあれば、廃れていく企業もあるでしょう。新商品が生まれ、流行が生まれることも現在と変わりません。ただ、そのスループット自体は地球が支えられる範囲内に保たれる、ということなのです。

経済成長のない経済のあり方は想像ができない、と思われますか? そんな経済では人々は不幸に決まっていると思われますか? 実は日本には過去に、まさしくこの定常経済を250年間にわたって営んでいた時代があります。江戸時代の日本にお連れしましょう。

江戸時代

江戸時代の日本は鎖国をしていましたから、海外からは何も輸入せず、すべてを国内のエネルギーや資源でまかなっていました。国内にあるモノは、何であっても貴重な資源でしたから、その回収としてリユースやリサイクルが行われていました。

JFSニュースレター No.7(2003年3月号)
日本の江戸時代は循環型社会だった
http://www.japanfs.org/ja/news/archives/news_id027225.html

江戸時代の経済

「経済」という言葉は、江戸時代では「経世済民」、つまりこの世を営むことで全ての人々を救済することでした。GDPの数字を上げることではなく、全ての人々が救われることが経済の目的だったのです。そして、有限の範囲の中で物を最大限に生かしながら循環させ、使いきるのが人の能力として評価された時代だと江戸の専門家は言います。

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Image by Utagawa Hiroshige.

近江(現在の滋賀県)に本店を置き、江戸から明治にかけて日本各地で活躍した近江商人は「三方よし」、買い手よし、売り手よし、世間よし、という「三方よし」の精神を大事にしていました。

自らの利益のみを求めることなく、多くの人に喜ばれる商品を提供し続け、利益が貯まると無償で橋や学校を建てたりと、世間の為にも大いに貢献しました。そうして少しずつ信用を獲得していったのです。

今でこそ企業の社会的責任が叫ばれますが、三方よしとは「商いは自らの利益のみならず、買い手である顧客はもちろん、世の中にとっても良いものであるべきだ」という、CSR的な経営哲学です。

また、江戸時代の商家では、主人は40歳なり50歳なりの年齢になると隠居をしたそうです。今日の言葉でいえば、現役を退いて会長職に就くのです。会長職に就くと、仏事に励み仏法を学んで、現役の経営者のときにはわからなかった企業の正しい在り方を見つめ、人生いかに生きるべきか、人間を超えた大いなるものから見た人間の姿はどうあるべきかを学び、問わず語りに現役の社長や社員に、その教えを伝えたといいます。

そして、社長や社員は、会長から仏教の教えを学んで、それを経営に活かしたのです。だから、短期的な利益だけを重視するような経営にはならなかった、持続可能な経営を行える仕組みになっていたとも言えるでしょう。

ところで、世界最古の会社はどこにあるかご存じですか? 日本です。西暦578年に設立された大阪の「金剛組」という建築会社です。寺や神社を建てつづけてきたこの会社は、創業、実に1400年です。ほかにも、創業して1300年になろうかという北陸の旅館、1200年以上の京都の和菓子屋、同じく京都の1100以上の仏具店、千年を優に超える薬局などが日本にはあります。

大学の研究者たちによると、日本に創業100年以上の会社は10万以上と推定されています。ヨーロッパには家業経営歴200年以上の会社のみ加入を許される「エノキァン協会」という組織があります。このエノキアン加盟社中、最古の企業が1369年設立ですが、これよりも古い店や会社が、日本には100社近くもあるのです。短期的な利益拡大に走っては、これだけ持続する経営はおこなえないでしょう。

逝きし世の面影

江戸時代の庶民はどのようなあり方だったのでしょうか。江戸時代の末期から明治時代の初期にかけて日本を訪れ、当時の日本を体験した欧米人の手記や書簡を掲載している本から抜き書きします。

「日本の庶民はなんと楽天的で心優しいのだろうか。なんと満足気に、身ぎれいにこの人たちは見えることだろう」

「これ以上幸せそうな人びとはどこを探しても見つからない。喋り笑いながら彼らは行く。人夫は担いだ荷のバランスをとりながら、鼻歌をうたいつつ進む。遠くでも近くでも、『おはよう』『おはようございます』とか、『さよなら、さよなら』というきれいな挨拶が空気をみたす。夜なら『おやすみなさい』という挨拶が。この小さい人びとが街頭でおたがいに交わす深いお辞儀は、優雅さと明白な善意を示していて魅力的だ。一介の人力車夫でさえ、知り合いと出会ったり、客と取りきめをしたりする時は、一流の行儀作法の先生みたいな様子で身をかがめる」

「住民が鍵もかけず、なんらの防犯策も講じずに、一日中家を空けて心配しないのは、彼らの正直さを如実に物語っている」

「私は全ての持ち物を、ささやかなお金を含めて、鍵も掛けずにおいていたが、一度たりとなくなったことはなかった」

英国公使ヒュー・フレイザーの妻メアリは、1890年の鎌倉の海浜で見た網漁の様子をこう書いています。

「美しい眺めです。――青色の綿布をよじって腰にまきつけた褐色の男たちが海中に立ち、銀色の魚がいっぱい踊る綱をのばしている。その後ろに夕日の海が、前には暮れなずむビロードの砂浜があるのです。さてこれからが、子供たちの収穫の時です。そして子供ばかりでなく、漁に出る男のいないあわれな後家も、息子をなくした老人たちも、漁師たちのまわりに集まり、彼らがくれるものを入れる小さな鉢や籠をさし出すのです。そして食用にふさわしくとも市場に出すほど良くない魚はすべて、この人たちの手に渡るのです。......物乞いの人に対してけっしてひどい言葉が言われないことは、見ていて良いものです。そしてその物乞いたちも、砂丘の灰色の雑草のごとく貧しいとはいえ、絶望や汚穢や不幸の様相はないのです」。

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Image by Katsushika Hokusa.

今の日本での取り組み

日本は国全体としてはまだ「成長経済が必要だ」と信じている人が多く、実際、成長経済を前提に組み立てられている現在の経済や社会の仕組みを急に変えることは混乱を引き起こすでしょうし、難しいと考えられています。他方、ローカルでは、定常経済の必要性を自分たちで感じ、自分たちで定常経済へ切り替えていった例もあります。

漁業は、基本的に自然の恵みをいただく産業であり、現場で定常経済の必要性が強く実感される領域です。その漁場の環境収容力(わかりやすくいえば、毎年生まれて増える魚の数)を超えてとり続けていれば、いずれ枯渇してしまうからです。富士山の麓の駿河湾でのサクラエビ漁の話をしましょう。

サクラエビ漁

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Copyright 由比漁協 All Rights Reserved.

富士山を抱く駿河湾の奥深くでは、由比・蒲原・大井町の三つの漁業組合がサクラエビ漁を行っています。年間40億円の水揚げを誇る静岡県有数の沿岸漁業です。サクラエビは、体長4~5センチの一年生のプランクトンです。

最も産卵の盛んな時期は6月~8月です。昔は一年中漁を行っていたようですが、現在は、静岡県漁業調整規則と漁業者の自主的な申し合わせによって、3月下旬~6月上旬までの春漁と、10月下旬~12月下旬までの秋漁の二漁期です。

1964年~65年にかけて、サクラエビの漁獲量が数百トン減少したことがあります。また、当時は製紙会社からの汚水や田子の浦港にたまった大量のヘドロが海を汚していました。資源問題と公害問題に直面した漁業者たちは、このままの操業を続けると、遠からずサクラエビ漁業は崩壊すると不安になったそうです。

1966年、三つの漁協のうち由比地区で、水揚げ代金の均等分配制度(プール計算制)を試験的に採り入れました。蒲原・大井川でもプール制が始まりました。ところが三つの漁協は同じ海域で漁をするため、今度は三つの地区間での漁獲集団競争が起こりました。対抗意識が激化して、資源管理の効果もおぼつかなくなったのです。

ところがそのころ、田子の浦のヘドロ公害が大きな社会問題となったため、漁民たちは一体となって反対闘争に立ち上がりました。このことから、地区意識を超えた強固な連帯感が生まれ、共通の問題には共同で対処するという気運が高まっていったそうです。そして、1977年から三地区の全船120隻を統合した総プール制度が採用されました。三漁協の全船が操業に当たり、水揚げ金額も全船平等に配分される制度ができたのです。

3つの漁協の委員からなる出漁対策委員会が、漁期中の毎日正午ごろ、当日の出漁の可否、水揚げ目標、操業場所、出漁時刻等について協議します。出漁時には、司令塔役の漁船を決め、全船が漁場に到着すると、司令船からの無線指示で一斉に操業を開始します。網を上げた船は、それぞれの漁獲量を司令船に無線で報告し、司令船は全船の漁獲量を合計し、出漁対策委員会で定めたその日の水揚げ目標に達すると、操業は終了となります。

漁船は三漁協に戻って水揚げし、全体の水揚げ金額の合計から販売手数料等を差し引いた金額を、船主53%、乗組員47%の一定比率で配分し、それぞれを船主、乗組員総数で均等に割った金額が各人の取り分となります。

由比漁協の望月理事は、「サクラエビは一年ものだから、親を獲ると子もいなくなってしまう。銀行に預けた元金に手をつけずに利子だけで暮らせばずっと生活できるのと同じ」と言います。一時的に魚価が安いから、もっと儲けたいからと元金に手をつけてしまうと、それこそ、元も子もなくなってしまいます。

海の中の資源は、目に見えないために、そもそも"元金"がどのくらいあるのか、いま増えているのか減っているのかもわからないため、資源管理はとても難しいと言われます。サクラエビ漁業では、夏の休漁期には二日に一度、産卵調査を行い、水温や産卵状況、卵の発育状況を調べています。1立方メートル当たりの卵の数を計算することによって、大まかではあっても海の中の資源量の動向を把握した上で、その年の水揚げ量を計画し、漁期には計画に従って漁をし、その利益を平等に配分する仕組みなのです。

望月理事は「プール制がなかったら、今の漁業はなかった。二、三年で獲り尽くしてしまっただろう」と断言しています。このように、総プール制を設けて資源管理型漁業を行っている例は、日本にも世界にもほとんどありません。40年も前からこのような仕組みをつくり、守り続けている駿河湾のサクラエビ漁は、これからの持続可能な社会での生産活動に大きな指針と希望を与えてくれます。

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イメージ画像:Photo by 4510waza Some Rights Reserved.

「ないものはない」

もう1つ、最近の興味深い動きをご紹介しましょう。島根県海士町は、本土からフェリーで3時間、人口は2,370人、島の大きさは、車で一周1時間半くらいの大きさです。財政規模は、40~50億円ぐらいです。保育園が1つ、小学校が2つ、中学校が1つ、高校も1つです。

海士町はどこにも負けない過疎地です。高齢化率で言うと、日本平均の50年先を行く、課題先進地です。このままでは財政破綻するかという危機に瀕した海士町は、2005年度には大幅な給与カットを行い、町長は50%カット、職員も30~16%カットし、日本一安い公務員としてスタートを切りました。

そして、2つの攻めの戦略、「島まるごとブランド化」で商品を作っていくことと、小さな島だからこそできる「日本一の教育」で成功を収め、今では若者が多く移住する島となっています。海士町を含む周辺3つの島で唯一の隠岐島前高校も、2008年に1学年28人まで減少し、2014年くらいには廃校になるのではと危惧されました。しかし、「高校魅力化」のさまざまな取り組みをした結果、海外を含む島外からの入学者数が増え、生徒数もV字回復しました。

JFSニュースレター No.140(2014年4月号)
海士町における地域経済と幸せ
http://www.japanfs.org/ja/news/archives/news_id034868.html

この海士町では、今後の海士町のあり方を考えた若手の役場職員グループが『ないものはない』というコンセプトを打ち出し、いまでは町のシンボル的な概念になっています。この言葉は、1)無くてもよい、2)大事なことはすべてここにある、という2重の意味をもちます。

離島である海士町は都会のように便利ではないし、モノも豊富ではありません。しかしその一方で、自然や郷土の恵みは潤沢。暮らすために必要なものは充分あり、今あるものの良さを上手に活かしています。『ないものはない』は、このような海士町を象徴する言葉、島らしい生き方や魅力、個性を堂々と表現する言葉として選ばれました。

地域の人どうしの繋がりを大切に、無駄なものを求めず、シンプルでも満ち足りた暮らしを営むことが真の幸せではないか? 何が本当の豊かさなのだろうか? 東日本大震災後、日本人の価値観が大きく変わりつつある今、素直に『ないものはない』と言えてしまう幸せが、海士町にはあります。

いま、私も協力して、「ないものはない指標」をつくる取り組みを進めています。「ないものはない」には、「必要なものはすべてある」という知足の価値観、実際に自分たちに必要なモノは自分たちでまかなっているという自信(水や食べ物など)、日々の暮らしや幸せを支えるソーシャル・キャピタルがしっかりしていることがその背景にあります。同時に、「ないものはなしですます」という日々の暮らしや、「ないものは自分たちでつくる」という挑戦スピリット、挑戦を支え合う仲間がいることも大きなポイントです。

ないものねだりをするのではなく、「ないものはない」と言い切れる島になりたいという海士町の取り組みは、「どこまでも物質的に成長しなくてはならない」という現在の主流の価値観とは異なる、持続可能な社会につながるものだと考えています。

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イメージ画像:Photo by GanMed64 Some Rights Reserved.

アジアの知恵を世界へ

こうした「限界の範囲内の幸せ」の考え方や取り組みは、日本だけではなく、東洋・アジアの各地にあります。

ブータンでは1972年、ブータンの第4代ワンチュク国王が「GNHはGNPよりも大切である」との提唱を始めました。持続可能な開発はホリスティックなアプローチをとるべきであり、幸せ(well-being = good life)の経済的観点以外の観点も同様に重視すべき、という考えで、2008年公布の憲法第9条では、「国家は、国民総幸福を追求できる条件を進展させるよう努力しなければならない」と定めています。

タイでは「足るを知る経済」という考え方が提唱され、実践されています。

こういった取り組みや考え方は少しずつ世界にも知られるようになってきましたが、持続可能な社会を模索する世界に対して、アジアから提供できる大きな貢献ではないかと思います。もっともっと積極的に発信していきたいと思います。

こうしたアジアや東洋の考え方の根っこの1つは、言うまでもなく仏教だと思います。「人生は苦なり」とブッダはいいました。

インドの古い言語・サンスクリットでは、「苦」=「思うようにならない」という意味で、「思うようにしたい心に従って思いがかなっても、さらにもっと大きな、より強い欲望を抱くようになり、ますます思うようにならない状態になってしまう。思うようにしたい心に執着していれば、やがて自分がその心に占領されてしまう」と考えるのです。

思うようにならない状況に対して仏教では、「思うようにしたい心」にとらわれないようにすればいい、と考えます。とらわれなければ、なにものからも「自由な境地」が開かれるとし、これこそが「涅槃」という仏教の理想とする境地です。

『幸せ = 持っているもの ÷ 欲望』と表すことがあります。幸せを増やしたいとき、西洋型の考え方だと「持っているもの」をいかに増やすか、と考えることが多いでしょう。もっと働く、もっと収入を増やす、そうして持っているモノを増やすのです。

他方、東洋型、仏教的な考え方では、持っているものを増やすのではなく、「欲望」を小さくすることで幸せを大きくしようと考えます。「少欲知足」と言われる価値観です。日本の京都にある有名な竜安寺にあるつくばいには、口という字を中心にして「吾・唯・足・知」(ワレ、タダ、タルコトヲ、シル)と書いてあり、多くの日本人が訪れます。

写真:つくばい
つくばい

まとめ

気候変動をはじめ、持続可能性の問題は、私たちの時代の大きな課題です。それにどのように取り組むのか? その解決に資することができるのか? システムダイナミクスという専門領域にしても、そのほかの学問領域にしても、それが問われています。

これはハーマン・デイリーのピラミッドモデルですが、今日お話ししてきたように、私たちは地球から原材料を得て、モノやサービスを作り出し消費しています。しかし、究極の目的はスマホやクルマといったモノではなく、それが作り出すであろう幸せです。

しかし、現在の経済や社会では、「どれだけの原材料からどれだけの製品を作ったか」という狭い効率化だけに目を向けています。そうではなく、見えにくいつながりをたどって全体像をとらえること、根底の持続可能性と、地球から取り出す原材料から究極の目的である幸せまでの一気通貫の効率を考えること、そして、みんなが幸せであるためにはどうしたらよいか、を考えていく必要があります。

つながりを見える化し、シミュレーションモデルをつくることで本当に取り組むべきはどこかを示すことのできる可能性がシステムダイナミクスにはあります。高い期待を持っています。

また、ドネラ・メドウズが整理した、システムを変えるための12のレバレッジポイントも非常に役に立ちます。先ほど話したような価値観を変えることは、難しいけれどレバレッジの大きな介入点となります。

そういう意味でも、アジアから足るを知る、「限界の範囲内の幸せ」という考え方、それこそが持続可能な幸せにつながるのだと言うことを、私たちアジア人もしっかり考えつつ、世界にも伝えていかなくてはと思うのです。

ありがとうございました。

枝廣淳子

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