ニュースレター

2014年09月30日

 

徳島県神山町グリーンバレー発、日本の田舎をステキに変える実験

Keywords:  ニュースレター  レジリエンス  市民社会・地域 

 

JFS ニュースレター No.145 (2014年9月号)

写真:焼山寺山山頂からの眺め
イメージ画像:Photo by Reggaeman Some Rights Reserved.

「2040年に20~39歳の女性の数が49.8%の市区町村で5割以上減り、推計対象の全国約1800市町村のうち523市町村では人口が1万人未満となって消滅するおそれがある」――2014年5月、民間のシンクタンク「日本創成会議」が発表した日本の消滅可能性都市の将来予測は、多くの自治体に危機感をもたらしました。

日本では明治時代以降中央集権化が進み、人口は大都市に、産業は特定地域へと集積されてきました。1960年代より国はさまざまな過疎対策に取り組んできましたが十分な効果は上がらず、2011年以降は、高齢化と人口減少化が同時進行する社会が到来しています。

同予測が目指すのは、日本が直面している深刻な人口減少をストップさせ、地方を元気にしていくこと。そのためには、まず、1)国民が事態の深刻さを共有すること、2)結婚をし、子どもを産み育てたい人の希望を阻害する要因を取り除くこと、3)地方から大都市へ若者が流出する『人の流れ』を変えることだと提言しています。
http://www.policycouncil.jp/

この提言のモデルともいうべき町が、四国の典型的な農山村に位置する徳島県神山町です。都市の若者やクリエイターの移住、ITベンチャー企業のサテライトオフィスの設置が加速し、日本が人口減少社会に転じた2011年、転出者139名に対し転入者151名と、わずか12名ながらも社会増を達成しました。

人口減少という現実を受け入れつつ、人口構造を地域の持続可能な形へと積極的に変えていく「創造的過疎」を標榜し、他地区からの視察やメディアの取材も絶えない神山町について、地元に拠点を置くNPO法人グリーンバレーの取り組みを中心にご紹介しましょう。
http://www.in-kamiyama.jp/

はじまりは小さな国際交流

徳島空港から車で約50分の距離にある神山町は、森林率83%、人口約6,000人、高齢化率46%に達する典型的な過疎の町です。町には県立高校の分校しかないため、ほとんどの子どもたちは中学を卒業すると、進学のために町を離れて徳島市内に下宿をします。NPO法人グリーンバレーの理事長の大南信也さんもそのような一人でした。

1979年に留学先の米国スタンフォード大大学院を修了した大南さんは、家業の建設業を継ぐために神山町に戻りました。そして、1992年3月、グリーンバレーの前身の「神山町国際交流協会」を設立し、会長に就任しました。

設立のきっかけとなったのは、母校の小学校のPTA役員を務めていたときに、学校の廊下で古びた木箱に収められていた「青い目の人形」を目にしたことでした。それは1920年代後半、対日感情が悪化した米国で日本人移民の排斥運動が起きたときに、親日家の宣教師の呼びかけで、日本の小学校や幼稚園に贈られた1万2739体の人形のひとつ。戦後の日本にわずか300体しか残っていないものでした。

人形の送り主はアリス・ジョンストンさん。約60年前の送り主をたどり、神山町の仲間たちとペンシルベニア州ウィルキンスバーグ市へ人形の里帰りを実行した大南さんは、ウィルキンスバーグ市で熱烈な歓迎を受けます。これを機に、神山町で積極的な国際交流を進めるために「神山町国際交流協会」を設立したのです。

神山町のイメージを変える

その後に転機となったのは、1997年の徳島県新長期計画の一環として神山町に国際文化村を創るという「とくしま国際文化村構想」でした。

この時に、「これからの時代は国や県が作る施設であっても、住民自身が管理、運営することになるだろう」という予見を持ち、より多くの地元住民を巻き込んだソフト事業を確立するために、環境(アドプト・プログラム)と芸術(神山アーティスト・イン・レジデンス)の2つを軸とした活動を始めました。これまでの神山町のイメージを変えるために、10年後、20年後の地域の姿を見据えた未来からのアプローチへと転換を図ったのです。

アドプト・プログラムとは沿道の住民が区間を決めて道路の清掃に取り組むことです。1985年に米テキサスで始まった取り組みで、日本では1998年に神山町が日本で最初に導入し、全国に広がりました。大南さんが1989年に米サンフランシスコ郊外のフリーウェイを走行中に知り、記憶に留めていたことが活かされたのです。

神山アーティスト・イン・レジデンス(KAIR)は、国内外のアーティストを一定期間招聘し、滞在中に地域の人たちとの交流を通じて、新しい発想やアイデアを得て、作品を生み出していく取り組みです。

1999年に始まった神山アーティスト・イン・レジデンスの特徴は、招聘するアーティストの募集や選考を、外部の専門家に任せるのではなく自分たちで決めるというスタンスの徹底です。決め手となるのは、作品だけでなく、アーティストと住民の交流を通じた新たな価値観の創造。

住民はアーティスト1人につき2~3人のサポート体制で、制作面を手伝う父親役と、生活面の支援をする母親役に分かれて滞在中の世話をします。世間的な評価の定まったアーティストの作品を観光資源にするというモデルではなく、両者が共に作品を作り上げていく過程を通じて、関係性を育み成長することを大切にしているのです。

2014年で16年目を迎えるKAIRのアーティストの今年の滞在期間は、8月21日から11月6日までです。これまでに50名、17カ国のアーティストが町のいたるところで作品を展示し、住民とともに伝統とアートが融合した空間を演出しています。

さらに毎年100人を超える落選者たちの声を反映して、「アート・イン・神山」という宿舎とアトリエを無料提供するプログラムも生まれました。「アート・イン・神山」はその後、幅広くクリエイティブな人材を対象とした移住支援プログラム、「in 神山」へとつながっています。

創造的過疎による持続可能な地域づくりへ

2004年「神山町国際交流協会」は、「日本の田舎をステキに変える」というミッションと、以下の3つのビジョンを掲げ、NPO法人グリーンバレーに改組しました。
(1)人をコンテンツとしたクリエイティブな田舎づくり
(2)多様な人の知恵が融合する「せかいのかみやま」づくり
(3)「創造的過疎」による持続可能な地域づくり

グリーンバレーという名称は、20代の頃にシリコンバレーの自由な空気に触れた大南さんが、神山にはシリコンはないがグリーン(自然)があり、どちらも変化を生み出す空気は変わらない、とつけた名前です。

事業も多様化しています。たとえば、古民家にIターンを希望するアーティストの移住交渉等、これまでに蓄積したノウハウが認められて、2008年からはグリーンバレーが神山町の移住交流支援センター事業の一翼を請け負うことになりました。

これらから新たに生まれたのが「ワーク・イン・レジデンス」というプログラムです。若者が空いている古民家に滞在して働くことで定住人口の増加を図る取り組みですが、ポイントは、ターゲットをすでに仕事を持っている働き手や起業者とし、空き家ごとに移住希望者を住民が選別するという逆指名制度をとったことです。

この第1号となったのは、田舎暮らしに憧れ、家族3人で神山町に移住して、自家製の石窯で焼くパン屋を開店した大阪の夫婦です。その後、染物工房、歯科医、ビストロ、シェア食堂など、2012年11月までに70世帯、128人ものさまざまな人材が、センター経由で神山町に定住するようになりました。

神山町での働き方を後押ししたのは、2000年代半ばから徳島県が県内全域に整備を始めた光ファイバー網です。2005年に神山町は全戸に光ファイバーが敷設され、劇的にブロードバンド環境が向上しました。

2010年10月、クラウド名刺管理サービスを提供する東京のITベンチャー企業が古民家を借りて「神山ラボ」というサテライトオフィスを開設しました。創業者の寺田さんは、2001年にシリコンバレーに赴任後に帰国し、日本で新しい働き方を実践する場を探していました。縁あってIT環境が整う神山町を訪問して、ここでの開設を即断したのです。

2011年に発生した東日本大震災を機に、サテライトオフィスを開設した企業もあります。2013年7月、テレビ局などのメタデータの配信をてがけるプラットイーズは、事業継続計画(Business Continuity Plan)作成の必要性に迫られ、東京オフィスが被災してもリスクを分散できるように拠点探しに全国を回ったのちに、神山町にたどり着きました。

同社が開設した「えんがわオフィス」は、築90年の古民家を近代的に改装し、昼夜を問わず誰もが集まる場として開放しています。また、雇用面では、20人の社員のうち17人が徳島県出身者で、6人が神山町出身者です。2014年8月末現在、11社のサテライトオフィスが神山町に開設されています。

「創造的過疎」とは大南さんの造語で、避けることができない過疎地の人口減少という現実を受け入れつつ、人口構成や人口構造を地域の持続可能な形へと健全化させることをいいます。

5年前に研究者の協力を得て、2035年の人口を試算したところ、推計人口は3,065人、年少人口は、1クラス20人を維持しようと思えば、親2人子2人の家族を毎年5世帯受け入れる必要があるという結果になりました。以来、理想的な人口ピラミッドを維持するために、毎年5世帯を受け入れることはグリーンバレーの目標となりました。

『神山プロジェクト』の著者篠原匡さんは、神山町は人間再生の場であると述べています。さまざまな傷を負った若者が集まり、地域のあたたかさに触れて癒されて、自分を取り戻していく、そんな包容力がこの町には宿っているのでしょう。それは、都市から地方へ人の流れを変えるためにも、今後の消滅可能性都市への大きなヒントなのかもしれません。

〈参考情報〉
イン神山 - 神山アートでまちづくり
神山町役場
日本創成会議 人口再生産力に着目した市区町村別将来推計人口について
『神山プロジェクト 未来の働き方を実験する』 篠原匡 (日経BP社、2014年)

(スタッフライター 八木和美)

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