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オルタナティブ・メディアの可能性

ダイワJFS・青少年サステナビリティ・カレッジ 第4期・第2回講義録

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白石草氏
NPO法人OurPlanet-TV(アワプラネットTV)代表理事

番組制作会社を経て、都内の放送局に入社。ビデオジャーナリストとしてニュース・ ドキュメンタリー制作に携わる。2001年フリーランスに。同年10月、インターネット 放送局「OurPlanet-TV」を設立し、現在代表理事。一橋大学大学院地球社会研究科客 員准教授、および早稲田大学大学院政治学研究科ジャーナリズムコース講師。

◆講義録

オルタナティブ・メディアとは?

私が携わっているOurPlanet-TVは、2001年に設立された非営利のオルタナティブ・メディアだ。「オルタナティブ・メディア」の定義には幅広い解釈があるが、私たちは、さまざまな当事者が個人や地域の視点で情報を発信することで、社会に起きている多様なものを伝える手段だと思っている。

私たちは映像というメディアを使って、地球上の人々が抱える共通の課題を、ほかの人や地域と共有することで解決の糸口を探る、ということをミッションに掲げている。マスメディアからはこぼれてしまうような話題や人、特にNGOやNPOの取り組みなどを中心に映像を配信している。撮影・製作の担い手は、ほとんどの場合、学生や社会人など、映像のプロではない人ばかりだ。

最近発信したコンテンツの例をいくつか紹介しよう。例えば、「そして、どう生きる?」は、障害者の介助を仕事にしている方の作品で、脳性マヒの女性を介助している様子や自分の職場を当事者目線で撮影している。これはとても評判が高く、英訳して海外でも上映している。「Salud(サルー)!ハバナ」という作品では、都市の有機農業がとても盛んなキューバで、無農薬の野菜菜園やファーマーズマーケットが、どのように運営されているかが紹介されている。ほかにも、大阪にある釜ケ崎というドヤ街の人たちと一緒に撮影した映像もあれば、以前に服役していた人が、刑務所内での暴力について話した「刑務所は変わるのか」という作品もある。

日本のオルタナティブ・メディアの活動を振り返ると、90年代半ばから各地で徐々に小さな活動が始まっていたのだが、大きなきっかけとなったのは1995年の阪神大震災だ。

被害の大きかった神戸市長田区は、外国籍の方が多く住む多言語社会でもあった。そこで、被災者の生活に必要な情報を多言語で発信するために生まれたのが「FMわいわい」だ。今でも、世界11言語によるFM放送局として、地域に根ざした活動を続けている。当初はいわゆるゲリラ放送だったのだが、既存のメディアだけでは必要な情報が足りないということで、大震災の1年後、1996年1月に総務省から正式に認可された。以来かれこれ15年、地域での活動を続けながら、全国のメディアの牽引役にもなってきた。

当時はまだNPO法がなかったため、「FMわいわい」は株式会社の形を取っている。その後、「わいわい」に触発されて2002年につくられた「京都三条ラジオカフェ」が、日本初のNPOによるラジオ局となった。京都という土地柄か、お坊さんがつくる「ボンズカフェ」という番組があったり、難民情報を天気予報のように毎週伝えている「難民ナウ!」という番組があったりと、とてもユニークな活動をしている。このラジオカフェを皮切りに、NPOによるラジオ局が今や全国で10以上ある。

ラジオのほかにも、「むさしのみたか市民テレビ局」のようなケーブルテレビも増えている。インターネット・ラジオの活動も活発化しており、例えば、DV被害者や性的マイノリティの当事者の声を届ける「ラジオパープル」や、引きこもりやニートの人たちが発信する「オールニートニッポン」というプログラムもある。映像でユニークなのは「ユニオンチューブ」という媒体で、フリーター労組や管理職ユニオンなど、独立系の労働組合に所属する人たちが中心となり、自分たちの労働問題を動画でアップしている。


メディアにアクセスする権利

OurPlanet-TVの前、私は8年ほどマスコミで働いていた。マスコミの仕事は、とてもシステマティックにつくられていて、すごくスピード感があり、お金もかけてしっかりやっているのだが、働いている立場から見ると、とても縦割りなところもある。

例えば、総理大臣などに同行取材して、国会の様子をビデオ撮影するような仕事があったが、ビデオテープをバイク便で本社に送った瞬間、その仕事は私の手を離れてしまい、最終的にどういう番組になるかは、オンエアされるまで全然わからなかった。

やがて、仕事全体をもっとトータルに見ていきたいという欲求が芽生え、1995年にスタートしたTOKYO MXという会社に転職した。当時その会社は、それまでのテレビ番組と違い、撮影から編集、ナレーションまで、担当者が責任を持ってつくる、ビデオジャーナリストのスタイルをとるという触れ込みで始まった。私はそれをとても面白いと思い、実際に最初の1~2年は、自分でテーマを決めて取材に行き、編集をして番組にすることができた。

ところが、ドキュメンタリーとニュースばかりでは、スポンサーがつかないという問題が出てきて、テレビショッピングやアニメーション、スポーツ中継というような方向に、徐々に変わらざるを得なかった。そんな時、私はたまたまデジタル放送推進室というところに異動することになり、そこで、世界のメディアの状況を概観するうちに、「これからはインターネットの時代になるだろう」と、ネットで動画配信するOurPlanet-TVを始めたのである。

そのころはまだ、世界の動きがまったく見えていなかったのが、最近になって日本がずいぶん特殊だということがわかってきた。日本の私たちは、テレビといえば民放とNHKがスタンダードと思っているが、世界を見渡すと実はそうではない。

アメリカでは1980年代から「パブリック・アクセス・チャンネル」というものがあり、地域住民が番組をつくって放映することが、アクセス権という権利としてすでに定着していた。フランスやイタリアでも、「自由ラジオ放送」という海賊放送が発展して、多くのコミュニティがいろいろなラジオ局を持っている。

ドイツには80年代まで公共放送しかなかったが、民間放送をつくる段になって、「企業が放送できるなら、市民にもできないとおかしい」という声が上がり、誰でも参加できる「オープンチャンネル」というチャンネルがスタートした。公共放送の受信料の2%が、市民が番組づくりをする費用に使われている。

アジアでは韓国が非常に進んでいる。本当に長い間、韓国は言論の自由がない国だったのだが、徐々に民主化運動が広がり、2000年の放送法改正でパブリック・アクセスが制度化された。KBS(韓国放送公社)という、日本でいえばNHKのような公共放送も、一部のチャンネルを市民に開放し、自然保護の番組や障がい者がつくった番組など、いろいろな番組が放映されるようになった。韓国がすごかったのは、それとともに、全国各地にメディアセンターを設けたことだ。これが今、世界的に注目を浴びている。(ただし、2009年11月に新しいメディア法が施行され、やや後退している)


市民の発信拠点としてのメディアセンター

メディアセンターとは、「自分も何か発信したいな」と思っても、何をどうしていいのかわからないときに、いろいろなことを教えてもらえたり、機材を借りたりできる拠点のことで、日本でも近ごろ重視されるようになってきた。OurPlanet-TVも「メディアカフェ」と名づけたメディアセンターを開設しており、ビデオのつくり方や情報発信の仕方を伝える機会を提供している。

メディアセンターが大々的に活用されたのは、2008年に開催されたG8(北海道洞爺湖サミット)だ。OurPlanet-TVをはじめ、さまざまな団体が協力して、「G8メディアネットワーク」をつくり、札幌に市民のためのメディアセンターをつくった。マスメディアとは違う、私たち市民、あるいはNGO/NPOなどの視点で、サミットを伝えようという取り組みだ。

メインストリームのメディア関係者は、とても大きな国際メディアセンターを利用できるのだが、そこには入れない人たちが、こちらのメディアセンターに詰めて、記者会見を行ったり、世界中に生放送したり、インターネットを通じて情報発信したりしていた。

アジア、アフリカ、北米、中南米など、海外から100人弱ぐらい、日本人も札幌周辺だけでなく東京やほかの地域からの参加もあり、200~300人ぐらいの利用があった。とてもたくさんのニュースがここから発信され、特に海外からのアクセスが多かったため、この期間中にGoogleで「G8サミット」を検索すると、政府のサイトよりもG8メディアネットワークのほうが多くヒットしていた時期もあったほどである。

それぞれが独自の取材をしながらメディアセンターで出会い、そこでの交流も楽しみながら報道するというスタイルは、日本ではこれが初めてではなかっただろうか。このような活動が日本でもできたということは、日本の中にも少しずつ、オルタナティブ・メディアの活動が根付いてきた証拠でもあると思う。


メディア・リテラシーを身につけよう

オルタナティブ・メディアが増え、情報を出す人が増えれば増えるほど、多様な価値観が社会にあふれる。メインストリーム・メディアの情報だけでも、新聞やテレビなど各報道機関によって、どのニュースをトップで取り上げるか、まったく違うこともあり、それによって、その会社が何を重視しているかがわかる。その分、見る人の姿勢も問われるということになる。いわゆるメディア・リテラシーが求められるのだ。

メディア・リテラシーを高めるためには、新聞やテレビの情報に加えて、インターネットや口コミ情報も全部ひっくるめて、自分の中で「今日の情報の中では何がいちばん重要か」というランクづけを、普段から考えてみるといいと思う。ニュースを見ていても、「これはもっと大きく扱ってもいいはずだ」とか、「こんな話は1面じゃなくてもいいのに」などと思いながらメディアに接する。情報を批判的に読み解こうとすると、いろいろなウソも見抜けるし、自分が大切にしている価値観もわかってくる。

また、友だちから聞いた話やNGOなどのメルマガで得た情報を人に知らせることも、とても重要な情報発信だ。マスメディアでは扱ってなくても、重要だと思う情報を誰かに伝えれば、その人はメディアの重要な役割を十分に果たしていることになる。そうやって、自分の中で「これは重要なトピックスだ」という思いを常に育てていくことが、メディア・リテラシーを育む方法の一つだと思う。そうすることで、情報の発信者として、自分の中の「柱」が育つのだ。ぜひ明日から試してみてほしい。


「私が考えるサステナブルな社会」

オルタナティブ・メディアが増え、情報を出す人が増えれば増えるほど、多様な価値観が社会にあふれます。さまざまな当事者が、個人や地域の視点で情報を発信することで、社会に起きている多様なものが伝わってくるのです。私たちのOurPlanet-TVでも、地球上のさまざまな課題を、ほかの人や地域と共有することで解決の糸口を探れればと思っています。

「次世代へのメッセージ」

メディア・リテラシーを高めるためには、新聞やテレビ、ネットや口コミ情報も含めて、「今日の情報の中では何がいちばん重要か」と普段から考えてみると、いろいろなウソも見抜けるし、自分が大切にしている価値観もわかってきます。そして、大切だと思ったことは人に伝えてください。そうすれば、メディアの役割を果たすことにもなります。


◆受講生の講義レポートから

「講義前はオルタナティブ・メディアのイメージさえ分からなかったのですが、個人とメディアの壁を取り去ったものかな、と思いました。これまではマスメディアの情報を受け取る一方でしたが、市民からの情報にも目を向けられるようになりたいと思います」

「自分が重要だと思うニュースを選び取ることが、自分の価値観を知ることになるという点が印象的でした。一人ひとりの力は決して小さくないというお話も心に残りました」

「新しい『歴史』が始まっているんだなと感じました。日本のメディアの特殊性と世界の様子をしっかりと知ることがきたことがよかったです」

「自分の価値観の醸成には、日々の情報のインプットと、その工程の工夫が大きく影響するのだと改めて感じました」


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