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ビジネスが提供する「幸せ」を再考する

ダイワJFS・青少年サステナビリティ・カレッジ 第3期・第11回講義録

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森哲郎氏
しあわせ創研代表

投資情報誌・経済雑誌記者経て、ISO 14001の審査、環境・社会報告書審査やCSR関連のコンサルティングに従事。2006年4月に独立。環境主任審査員、中小企業診断士、中央大学大学院兼任講師(環境会計・環境監査を担当)。ゆるやかな菜食料理を実践し、食や心の面からも環境問題解決への糸口を模索。著書に『アメリカの環境スクール』『CSR入門講座―推進組織体制を構築する』など。

◆講義録

「幸せ」とは主観的なもの

いまの社会は経済格差が非常に大きいが、経済力の向上と幸福感は比例するわけではない。例えば、「100倍お金があれば100倍幸せか」というと、そんなことはないだろう。「十分な貯蓄があれば、仕事なんかしないで好きに暮らせる」という人もあるかもしれないが、そうだろうか。

つい先日、「苛立ちを感じやすい若い世代が増えている」という新聞報道があった。仕事や生活が原因で、イライラを感じている20~30歳代の人の割合が60%を超えているそうだ。長く続いている景気低迷の影響という見方もあるだろうが、私は「自己重要感」の不足とも関連があるような気がしてならない。自己重要感とは、「自分は価値ある存在だ」という自分への信頼感、自分を愛するということだ。

競争社会によって現代人は、消費欲、成功願望、あふれる情報、人間関係、何かに対する恐れなど、さまざまな呪縛に強くとらわれている。こうした呪縛が自己重要感を損ない、心にイライラを招いたり、幸せから遠ざけたりしているのではないかと思う。

ところで「幸せ」とは何だろうか。ウィキペディアには「本人の主観的な価値観によって、本人が満ち足りていると感じている心理状態」とある。これは一つの説明に過ぎないが、「主観的な価値観によって」というところは重要だろうと思う。私のイメージする幸せとは、例えば心が何かに満たされている気分、自分の過去と今の瞬間に満足でき、それが続いていくという安心感など、やはり自己重要感につながっている。もっとも、これは理想的な姿であって、現実の自分は、すぐに自分と他人を比較して、ずいぶんと劣等感に苛まれてきたものだ。その反省もこめて、他者と自己との区別をあまり感じなくなること、そこに幸せの鍵があるのではないかと思っている。


さまざまなステークホルダーへの影響を考える

幸せとビジネスについて考えてみよう。幸せそのものをビジネスに冠するのは難しいが、幸せを提供するビジネスという意味でなら、いろいろな可能性がある。実はたいていのビジネスは、消費者が求めるモノやサービスを提供しているという点で、何かしら幸せを提供しているといっていいだろう。だが、その反面で、何かしらの「副作用」という不幸を与えている可能性もある。例えば、自社のモノやサービスを、延々と買い求めてもらうように仕向けることは、お客さんをある種の「中毒」にしているという点で、副作用をもたらしているとも言える。

既存のビジネスが提供しているモノやサービスが、どのステークホルダーに対して、どのような幸せと不幸せをもたらしているか、一つひとつ整理してみると、新しいヒントが見つかるのではないかと思う。例えば、クルマを販売するビジネスについて考えてみよう。ステークホルダーとしては、クルマを買う人、つまりユーザーや、販売する会社の従業員やその家族、さらにはクルマ社会の中で生きる不特定多数の人たち、将来世代、あるいは人間以外の生きものも含まれるだろう。こうしたステークホルダーは、クルマの販売というビジネスからどのような影響を受けているだろうか。

クルマを手に入れたユーザーにとっては、行動範囲がグンと広がることが大きな喜びに違いない。旅行に出かけやすくなるだろう。一方で、車検や保険、ガソリン代など、維持費がかさむことは不幸なことかもしれない。ユーザーではない一般の人にとっては、交通事故に巻き込まれる可能性というリスクがあるだろう。将来世代にとっては、さらに便利で高性能なクルマが開発されるため不可欠な要素として、今の自動車技術は幸せをもたらすものかもしれない。こうした具合に、さまざまな幸せと不幸せの要素を洗い出した上で、自分のビジネスが世の中にどんな影響を与えるのか、トータルに考え、できるだけ副作用を少なくする工夫が求められる。


これからの新しい「幸せ」ビジネスとは

売上や利益、経済成長を求めてさまざまなビジネスが創出されてきているが、その結果、いろいろなことが過剰になっていないだろうか。便利すぎる生活で私たちの身体は体脂肪やストレスが過剰になり、その一方で、自然環境の破壊や天然資源の枯渇も深刻化している。地球の資源や、廃棄物を捨てるスペースが無限でないことには誰もが気づいているし、食品添加物や農薬といった、工業化された生産物に隠れた副作用への知識も広がっている。こうした中、これまでのビジネスが提供してきた「幸せ」は、これから大きく問い直されていくだろう。従来の延長上のビジネスを、「環境にやさしく」改善するだけでは、生き残れないものが多くなってくるかもしれない。

抜本的な発想の転換から、新しいビジネスの芽が生まれつつある。例えば、ファストフードに代表される効率志向に疑問を投げかけ、スローフードやスローライフが唱えられるようになってきた。「スロービジネススクール」を展開している人もいる。グローバリズムに対抗して地産地消に取り組んだり、西洋医学や現代栄養学ではない代替医療やマクロビオティックという食のあり方が生まれている。電気に頼る生活を見直そうと、「非電化製品」を製作・販売している人もある。近ごろ、社会起業家と呼ばれる人が増えているのは、まさに利益至上主義という従来のビジネスのあり方へのアンチテーゼと言えるだろう。

これからは、企業のCSRマネジメントにも「幸せ」「不幸せ」という概念を持ち込み、幸せを提供する反面、多くの不幸を生み出していないかどうか、徹底的に課題を洗い出すことで、そのビジネスの持続可能性が大いに高められる可能性があると思う。

もちろん大前提として、幸・不幸の判断に「絶対的に正しい」ものはなく、ある程度は主観的な判断にならざるを得ない。また、どんなに社会的意義が大きいモノやサービスも、大量生産すれば資源・エネルギーの大量過剰消費につながる場合もある。人間以外の生き物を含めた、さまざまなステークホルダーの幸せや、これからの文明にとってのプラスマイナスを、広く高い視野から考え、可能なときは数値化して比較考量した上で、できるだけプラスの程度が大きくなるようなビジネス、それが持続可能性のある「幸せ」なビジネスとなると言えるのではないか。


「私が考えるサステナブルな社会」

私が考えるサステナブルな社会では、「忙しいこと」に由来する「ビジネス」以上に「レジャリネス(leisureliness)」、いわば「ヒマ(暇)ネス」が重視され、現代よりも一人当たりのお金や資源の消費ははるかに少ないにもかかわらず、人々の幸福感は逆に大きくなっています。また、ヒマネス、健康や環境改善の実現を助けるような「省ビジネス」は市場を拡大しています。


「次世代へのメッセージ」

若い世代の方々ほど、サステナブルな社会へ通じる考えを持っている人が多いようです。膨大な公的債務と劣化した自然環境や、資源の枯渇が皆さんに残される可能性が大きく、申し訳ないかぎりですが、皆さんは、われわれに対して、主張すべきは主張しながら、自ら、そして、より多くの人々が幸せになれる共生社会への進歩を加速していくことを期待します。


◆受講生の講義レポートから

「私は自分の状況を他人と比較して、後悔したり不満を感じることがよくありました。でも今日の講義を聞いて、自分に正直になって行動することが、自分や他人の幸せにつながることを知り、まずは自分をもっと認めてみようと思うようになりました」

「他人と比べることで幸せを強く感じていた私にとって、今日の話は新鮮でした。自分の意識・考え方次第で、いくらでも幸せを高めることができるのだと感じました」

「幸せという抽象的なものを数値化するのは、少し微妙な感覚ですが、初めてなので新鮮でした。幸せか否か、という二者択一のほうが、私にはしっくりきます」


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