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極限状態にある人は何を求めるのか~国際支援の現場から

ダイワJFS・青少年サステナビリティ・カレッジ 第4期・第5回講義録

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木山啓子氏
NPO法人ジェン(JEN) 理事・事務局長

大学卒業後、電機メーカーなどに5年間勤務。その後ニューヨーク州立大学大学院(社会学)修士課程修了。1994年JEN創設に参加し、旧ユーゴスラビア現地統括責任者として6年間駐在。2000年から現職。以後、スーダン、アフガニスタン、ミャンマー、イラク、スリランカ、新潟、パキスタンなどで支援活動に従事。日経ウーマン誌ウーマン・オブ・ザ・イヤー2006大賞受賞。2002年、総合3位。2005年エイボン女性功績賞受賞。

◆講義録

第一報から支援を決めるまで

地震があったということを知ったのは、13日の朝(現地時間では12日)だった。ニュースで「大きな地震があった」と報じられてから、しばらく現地の状況が入ってこなかった。通信事情のいいところで大きな災害があった場合は、新しい情報が次々と送られてくる。被災状況があまりに激しいときは、報道機関も影響を受けているため、ニュースが入ってこない。第一報から次のニュースまでの時間が長ければ長いほど、被災状況が激しいに違いないと推測することが多い。

今回は「きっと出動することになるだろう」と思いながら、どんどんと調査を始めていった。なぜかと言うと、ハイチは最貧国の一つだからだ。最貧国を支援するのは、貧しくて気の毒だからではない。最貧国の場合は、そもそも建物なども粗末な材料でつくられているため、災害に非常に弱く、大統領府でさえ壊れたほどだ。お金持ちの家は、いい材料を使ってしっかり造ってあることが多い。ハイチでも、富裕層が住んでいるあたりの被災状況は非常に軽かった。

震災翌日、つまり日本時間の14日には支援を決定したが、ここで大事なことは、「私たちが現地に行って、意味のある活動ができるかどうか」をしっかり検討することだ。JENは26人の国際スタッフで、ハイチを含めて現在9カ国で活動している。私たちの人事は、冗談でHIJ(引きはがし人事システム)と呼んでいるのだが、緊急事態が発生したときは、ほかの場所で活動していた人に持ち場を離れてもらい、いわば引きはがして新たな被災地に出動してもらうという方法を取らざるを得ない状況なのだ。

緊急でわずかな支援をするだけでは、与えるだけの支援になりかねない。長期にわたって従事できる人を見つけられて、今出動して意味のある活動ができそうだと分かった段階で、出動を決定している。

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人も支援も有名なところに集まる

現地に入って私たちがまずすることは調査だ。どんなときにも、JENの活動の場合は調査から始まる。この段階で分かるのは、有名な場所に人が集まるということだ。

私は以前旧ユーゴスラビアで活動していたのだが、たいてい「コソボにいたんですね」と言われる。1999年にNATOの空爆があって、コソボという地名が非常に有名になったためだ。もちろんコソボだけが旧ユーゴなのではない。

中越震災のときも、「山越にいるんですね」とよく言われたが、私たちは山越には行っていない。有名になった場所には人もメディアも集まり、結果的にそこには支援が集まるからだ。集まっている支援物資が十分に活かされない場合もあるほどだ。

あまるということは、足りない場所もあるということだ。有名になったところと同じように災害が大きくても、少し離れているだけで、支援団体も物資もまったく何も来ていないところがたくさんある。私たちがいつも選ぶのはそうした場所だ。

ハイチでは、首都、ポルトープランスには、450もの団体が集まって毎日活動している。確かにポルトープランスの被害は大きいが、すぐそばのほかの地域も被災状況は似たようなものだ。私たちは、首都から約50キロ離れたグラン・ゴアーブという、人口が約11万5,000人の町で活動を始めている。この地域でも約6割の人々が住む家を失っているが、震災直後、支援団体は皆無だった。


コミュニティの再建がカギ

被災地では、とにかく寝る場所の確保が必要だ。壊れた建物のがれきを撤去する道具や、シェルターを建てるために、トタン板、ノコギリ、クギ、カナヅチ、木材、軍手などを提供することになった。受け取った人には名簿にサインをしてもらうのだが、この名簿を地域の人につくってもらうのが大事な点だ。

約900~950万ぐらいといわれているハイチの人口のうち、今回の地震で優に100万人以上が被害を受けている。たくさんの方が亡くなって、もともとあったコミュニティも機能しなくなっている。

コミュニティというものは、いろいろな人がいて、それぞれがさまざまな役割を果たして成り立っている。被災後、そうした人たちが残念ながら亡くなったり、新たにいろいろな人が集まってきている状況で、コミュニティをもう一度つくり直す必要がある。名簿リストはその一環だ。名簿をつくる過程で、意見が合わなかったり、なだめたりすかしたり、さまざまなことが起こるが、作業を通して、結果的には協力体制の第一歩が踏み出されるということが、非常に大事だと考えている。

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自立を促す井戸、依存を高める井戸

ハイチ以外の例からも、私たちの活動を紹介しよう。JENは常に自立支援を目指している。教育支援や職業訓練、あるいは学校を直したり井戸を掘ったりもするが、それ自体が事業の目的ではない。井戸掘りなら井戸掘りという機会を通じて、自立を支える支援をするというのがJENの活動だ。

例えば、私たちのようなNGOが井戸を掘り終わったとき、地元の人は「ありがとう」と言うだろうか。もし、人に依存する気持ちが高い地域の場合、お礼を言われることはない。「やってもらって当たり前」と思っていることがあるのだ。

私もあるとき、井戸の引き渡し式で「もっと私の家に近いところにも掘ってくれなくては困る」と言われたことがある。それまでだったら、片道2時間の川に行かないと水を得られなかった人々が、片道15分の場所にできた井戸について文句を言っている。あまった時間を利用してお金をためて、自分たちで近所に井戸を掘ることもできるかもしれないのに、そういうことを考えられないのが、依存という状態だと思う。この依存という状態は、彼らが自分たちでつくり出すのではない。不用意に与えられてしまうことから依存が生まれるのだから、依存は与える側の責任だ。

そうならないように、私たちの井戸掘り事業では、井戸の管理委員会をつくることにしている。管理委員会の人には、ただ井戸がうまく使われるように見届けるだけではなく、壊れたときに井戸を直せる技術を学んでもらっている。

井戸は大きなチェーンのような部品が使われているが、それが一つ壊れただけでも井戸全体が使えなくなる。そこで、管理委員会が中心となり、その部品を買えるように、井戸を使う人たちからほんの少しずつお金を集めて貯金している。帳簿をつけたり、預かっているお金をほかの用途に使わないなど、お金の管理能力も身につけてもらう。

そうすれば、実際に井戸が壊れたときも、少しの出費で部品を買い換えるだけで、また使えるようになる。こうして、「自分にもできることがあるんだ」という実感が持てると、大きな誇りになるようだ。そうなると、自分たちの井戸をメンテナンスしているだけでは飽き足らず、私たちの管理委員会は、周りのコミュニティで壊れた井戸を、「直してあげるよ」と言って、頼まれもしないのに7カ所も直して回ったそうだ。そのように、自分たちの頭で考えて、自分たちで行動して、自分たちで生活を改善できるようにすることが、自立支援だと思っている。

これは特別難しいことではない。少しずつ小さな成功体験を積み重ねてもらうこと。そういうお膳立てをすることが、自立を支えることだと考えている。


大切な心のケア

人々の自立のためには、前向きな気持になることが非常に重要だ。紛争地や被災地では、すべてを失って、とても落ち込んでいる人が大勢いる。辛いときに、「自立しよう」とか「依存するな」と言われても、そうそう頑張れるものではないのが人間というものだ。

ある紛争で出会ったおばあさんは、第二次大戦で夫と次男を、そして旧ユーゴの戦争で長男と三男を亡くしたという。「もう私は天涯孤独です」と言うその人に、「いまの望みは何ですか?」と聞いたら、「1日も早く死ぬこと」と言われた。そんな状況の人が頑張れるはずがない。それでも、悲しみと一緒に生きていける程度まで、精神的なエネルギーレベルを高めてもらうために、私たちは「心のケアのプロジェクト」を行っている。

心のケアにはいろいろな方法があるが、2004年12月に津波の被害にあったスリランカでは、男性向けに漁網をつくるプロジェクトを行っている。単に漁網を与えたいだけなら、高価なものでもないので、買って配ることもできる。だが、心のケアをするために、あえて自分でつくってもらうようにしている。地域の人同士が毎週顔を合わせるうちに、はじめは挨拶だけでも、作業しながら少しずつ身の上話もするようになる。家族を亡くすなどして、「こんなにつらい気持、誰もわかってもらえない」と思っていた人も、「ほかにも自分と同じような状況の人がいるんだ」ということがわかり、少しは前向きになれる。あるいは互いに支え合えるようになる。このプロジェクトに参加している人の中には、「おれは男だから、家族につらい顔を見せられない」と言う人もいた。「男同士で、こういうふうに話させてもらってよかったよ」と。女性向けなら編み物のプロジェクトなど、ほかにもさまざまな方法で心のケアに取り組んでいる。

スリランカで出会ったある男性の例から、ひとつ大事なことをお伝えしたい。津波の被害に合う直前まで、彼はイラクに出稼ぎに行っていた。「1年間、我慢すれば、家族みんなが裕福に暮らせるから」と言って、治安の悪いイラクで懸命に働いて帰ってきた。「よかった。これでみんなで楽に暮らせる」と思った矢先、1週間後に津波に襲われ、家族が全員行方不明になってしまったという。

そんな人が、明日からどうやって元気に生きていけるだろうか。彼は生きる意欲も気力もなくし、お酒を飲んでは悲しみにくれる毎日を過ごしていた。漁網プロジェクトに参加しても、そんなに簡単に気持ちが回復できるものではなかった。そんなとき、彼はたまたま、自分と同じように家族全員を亡くした男の子に出会った。そこで彼は、「この子は自分と同じで天涯孤独だ。自分はこの子のために生きていったらどうだろう?」と思い、少しずつ活動するようになり、やがてその子を養いながら元気に暮らすようにまでなった。今では、JENの漁網のプロジェクトの優秀なリーダーの1人になってくれている。


人は利他的にしか生きられない

私たちは、いろいろな地域の極限的な状況の中で活動してきたが、旧ユーゴでも、アフガニスタンでも、イラクでも、どこに行ってもこうした例を目の当たりにしてきた。極限的な状況にあって、自分のためには頑張れなくても、誰か人のためにだったら頑張れるということが、人間のDNAに入っているとしか思いようがない。人間とは利他的な生きものなのだろうと思う。私たちは、誰かのためにだったら頑張れる。そしてその人のために頑張っていると、自分も元気でいられる。それが人を幸せにするのではないだろうか。

自分が幸せになりたいと思ったら、誰かのために頑張ることだ。「でも自分はどうなるんだろう?」と思うかもしれないが心配はいらない。きっと誰かが、あなたのために何かをしてくれる。皆さんには、安心して人のために尽くして、人から感謝されて、幸せに、より良い人生を歩んでいただきたいと思う。そして、世界がより良い場所になるよう、一緒に変えていっていただければうれしい。こうしたことを、私は被災地の人たちに教えていただいた。


配布資料

極限状態にある人は何を求めるのか~国際支援の現場から(PDFファイル 約2.5MB)


「私が考えるサステナブルな社会」

被災地の支援で大切なことは、自分たちで行動して、生活を改善できるよう自立を促す支援をすることです。そして自立のためには、心のケアをして、前向きな気持ちになってもらうことが必要です。そして一度壊れてしまったコミュニティをつくり直して、互いに支え合えるようにすること。これがその地域のサステナビリティにもつながります。


「次世代へのメッセージ」

私が被災地の人たちに教えられたのは、人は利他的にしか生きられない、ということです。幸せになりたいなら、まず誰かの力になってください。誰かに感謝される経験は、何よりもあなた自身を輝かせます。そうしたあなたの姿は、ほかの人も幸せにして、その人を動かすのです。あなたから始めることで、人から感謝されて、幸せに、より良い人生を歩んでほしい。そして、世界をより良い場所に変えていきましょう。


◆受講生の講義レポートから

「実際のプロジェクトのきめ細かさや、配慮すべき点の多さに驚きました。緊急性と支援の質の両立という困難な状況に取り組まれている様子に、非常に刺激を受けました」

「『人のためになら頑張れる。それが幸せにつながる』という言葉がたいへん胸に響きました」

「私にもできることがたくさんあることを学びました。特に『伝える』ことを私もしていかなくてはと思います」

「『できることを、できるときにしてほしい』という言葉が印象的でした。世界で支援が必要な現場があるのに、何もしないことはリスクだと。お金も技術もない学生にも、ほんの少しでもできることがあるのだと改めて感じました」


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