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地球資源としての水問題

ダイワJFS・青少年サステナビリティ・カレッジ 第1期・第7回講義録

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沖大幹氏(おき たいかん)
東京大学生産技術研究所教授

東京大学工学部土木工学科卒業、博士(工学)。専門は地球水循環システムで、気候変動がグローバルな水循環に及ぼす影響の評価やバーチャルウォーターを考慮した世界水資源アセスメント、水被害軽減のための実時間水循環予測、水を軸とした千年持続学に関する研究などに取り組んでいる。監訳に『水の世界地図』(丸善出版、2006年)、共著に『水をめぐる人と自然─日本と世界の現場から─』(嘉田由紀子編著、有斐閣選書、2003年)など。

◆講義録

地球は「水の惑星」といわれるが、地球上の水の97.5%は塩水で、残りの淡水もかなりの部分を雪氷が占め、人間が使える量はごくわずかだ。ただし、総量が不足していると思うのは誤解である。地球全体の水の量と比べるのではなく、人間が必要な量と比べるべきである。さらに、経済用語でいうと、水資源はストックではなくてフローだととらえるべきある。フローとして循環している資源の一部を、人間社会に引き込み、また自然の中に戻していくのが、水を使うということだ。

「水が足りない」というのは、物質としての水が足りないわけではない。お金と同じように、水もあるところにはある。それにもかかわらず、必要な水を得られない人がおり、それをどうすべきかというのが水問題の本質である。なぜ、現実に「水不足」が起き、その解決のために何が必要なのかを考えてみたい。

水不足を測る2つの指標

水不足を測る指標は2つある。1つは、1人当たり年間にどれくらいの水を使えるかという「水資源賦存量」だ。降雨のうち蒸発せず河川に流れていく、あるいは地下に染み込んで地下水になる水量に対する、この水資源賦存量が年間1人あたり1000m3に満たないと、水がふんだんに使えない水ストレス状態にあると判断される。

もう一つの指標は、水資源賦存量に対して、実際に人間が使っている量の割合であり、その値が0.4を超えると水ストレスの高い状態にあるとされる。

1人当たりの使用量は、途上国だと年間1人500m3ぐらい、先進国になると500~1,000m3ぐらい、なかでもアメリカは突出しており、1人当たり1,700~2,000m3といわれている。1日あたりで見ると、世界平均が約170Lという中、日本は1人320~330Lぐらい使っている。オーストラリア、アメリカといった国は、1日1人当たり500Lにも及ぶ。

水は減らない―フロー資源としての水

日本の1日1人320~330Lの生活用水使用量のうち、250Lぐらいは家庭で使われており、その約1/4ずつを風呂、トイレ、炊事、洗濯が占める。これに対し、飲み水は1人当たり1日2~3Lで足りるといわれる。つまり飲み水に必要な量の100倍もの量を、「洗う」という目的に使っていることになる。生活用水に関していえば、「水を使うこと=汚れを運ぶこと」だといってよい。

水を使ったからといって、石油のように分解して別の物質になってしまうわけではなく、物質としての水はなくならない。別の言い方をすると、汚れた水をきれいにする技術とエネルギー、もしくはコストをかけられれば、再利用できるということだ。

水は偏在する

水資源は、循環資源で失われることがなく、私たち人間が使おうとしているフローに対して十分な量があるにもかかわらず、「水不足」という事態が起こるのは、時間的、空間的に偏在しているためだ。

ひとつには季節的に多いとか少ないという時間的な偏在、もうひとつは、ある地域には豊富にあり、別の地域では少ないという空間的な偏在がある。国境や流域を超えて運ぶのは難しいため、空間的な偏在はなかなか解消されない。信濃川の水を東京に持ってくるという話が以前からあるが実現していない。経済的な理由だけでは人間社会は動かないものだ。

人口増加、つまり都市化に伴って、それまで足りていたのに足りなくなるという事態も起こる。都市に人口が集まるのは、水・エネルギー・食料の供給可能性を考えてのことではない。ある平均的な年には足りても、渇水の年には足りなくなるような人口が、ある地域にいつのまにか住んでいる可能性がある。こうしたことで「水不足」が起こる。

バーチャルウォーター―世界の水資源と日本の関係

食料の生産には大量の水が必要となる。穀物栽培のみならず、肉類の場合には家畜の飲み水や畜舎の洗浄用水よりも、飼料として大量に与えられる穀物の生育に必要な水が圧倒的に多い。食料を輸入するとその生産に必要な大量の水を使わずに済むので、水資源が定常的に不足する国にとって、食料の輸入は実質的に水の輸入と同じである、といった水資源的な観点から、食料の貿易は仮想水(ヴァーチャルウォーター)貿易である、と呼ばれている。最近では食料などの生産に必要な水のことを仮想水と呼ぶようになっているが、食料自給率が40%を切る日本は、いわば仮想水の輸入大国、というわけである。

穀物の生産に必要な水は、蒸発する分も含めて、収穫までの時間、単位面積当たりの収量から求められ、コメでは可食部のおよそ3600倍の重さの水が必要と推計されている。畜産物については、食用になるまでの生育期間、どのような餌をどれぐらい食べるか、1頭からどれぐらいの肉が取れるかという計算をし、鶏の場合で4500倍、豚は6000倍、牛になると2万倍もの量の水を必要とする。

日本が輸入している主要品目をもし日本国内で作るとしたら、年間約600億トンの水が必要になる。国内の年間の灌漑使用水量(570億トン)に匹敵するぐらいの水を使わずに済んでいるというわけだ。飲料水は、年間せいぜい1トン、家庭用水と工業用水は約130トンずつ必要だ。農業用水は約500~600トンだが、ほぼ同量を海外の水資源に頼っている。つまり合計、年間1,250トンぐらいのうちの4割以上を海外に依存していることになる。日本の水資源問題を考えるには、世界全体の水資源を視野に入れないとならないことがわかるだろう。

主要穀物のみに関連したバーチャルウォーターの2国間貿易を見ると、圧倒的に中近東や北アフリカへの輸出が集中している。自然環境的に水資源の少ない地域だ。こうした地域では、バーチャルウォーターを考慮しないと深刻な水ストレスにあるが、石油を売って食糧を買うという構造で水不足を補っている。

2000年時点で、23カ国が「深刻な水ストレス」に分類されているが、経済的に豊かな国はバーチャルウォーターによって水不足を解決し、経済的に適応策が取れない貧しい国は水不足のままというのが現状だ。バーチャルウォーターは、本来はこういうことを吟味し、本当に不足している地域はどこかを分析するためのツールである。

将来どうなるか

水資源をめぐる状況がこの先どうなるかを考える際には、需要と供給の両方の変化を考慮に入れないといけない。需要の変化には、人口増加や経済発展がある。経済が豊かになれば、食生活が穀物重視から肉を食べるようになり、より多くの水を必要とするようになるなど、水需要が増加する。

供給側の変化としては、気候変動などにより、水資源賦存量が若干増えると見られている。とはいえ、やはり懸念されることもある。たとえば、おそらくフランスとかスペインなど、現在の穀倉地帯の欧州で水資源賦存量が減るという推計があり、食料需給に影響を及ぼす由々しき問題だ。

しかし、将来は悪くなる一方ではない。かつて、黄河の一部に水が流れない断流が起こったことはよく知られているだろう。1997年には、200日以上にわたって700キロも流れが途絶えるほど深刻だった。ところが2000年以降、断流は起きていない。小川のようなごくわずかな流れに過ぎない場所があるとしても、以前よりは格段に改善している。以前は、流域全体での取水のマネージメントという発想がなかったが、取水量をきっちり管理し、安すぎた水の値段を2倍にすることで、2000年以降は断流が起こらなくなった。

また、工業用水取水量とGDPの関係について見ると、他国と比べて日本だけが、工業生産の割に取水量がずば抜けて低い。全産業を含めた水の再利用率が8割近くと非常に高い。海外の水資源の専門家と話をすると、「なぜもっとアピールしないのか」と言われるほどだ。中国の水利用はこの先もっと伸びるだろうが、この日本の再利用の技術を導入すれば必要な工業用水量はまだまだ下げられるだろう。このように明るい材料もある。

持続可能な社会の鍵を握る、水、エネルギー、食料

私は水の専門家なので水の話しかしないが、持続可能な社会について、水という側面だけで考えるのでは不十分だ。エネルギーの専門家、食料の専門家もそれぞれの領域だけで考えるが、現在この3つは一体化しており、一緒に考えていかないといけない。食料がエネルギーになるバイオ燃料がはやる一方、食料生産のためには多くのエネルギーが必要だということも忘れてはならない。

水があれば水力発電でエネルギーができ、逆にエネルギーがふんだんに使える国では、淡水をつくることができる。食料生産にはたくさんの灌漑用水が必要だし、水が足りない地域はバーチャルウォーターの発想で、ほかの地域から食料を運んでくることで水不足を補うこともできる。

水、エネルギー、食料が、どの地域に十分あるのか、または足りないのか、3つの要素をあわせて考える必要がある。その配分をどうすればいいのか、3つのうちどの要素が持続可能性のボトルネックになっているのか、という考え方が、今後は当たり前になっていくだろう。

「飲水思源(いんすいしげん)」という言葉がある。水を飲むときには、その流れの源に思いをはせなさいという意味が転じて、お世話になった人のことは忘れないようにという中国のことわざだ。私からは、飲んだり食べたりする際には、いつも水に思いをはせようという意味で、「飲食思水」という言葉をお伝えして締めくくりたい。

◆私が考える「サステナブルな社会」

水、エネルギー、食糧が、どの地域に十分あるのか、または足りないのか。常にこの3つの要素をあわせて考える必要があります。その配分をどうすればいいのか、3つのうちどの要素が持続可能性のボトルネックになっているのか、という考え方が当たり前になってこそ、サステナブルな社会が生まれるのだと思います。

◆次世代へのメッセージ

「飲水思源(いんすいしげん)」という言葉があります。水を飲むときには、その流れの源に思いをはせなさいという意味が転じて、お世話になった人のことは忘れないようにという中国のことわざです。私からは、飲んだり食べたりする際には、いつも水に思いをはせようという意味で、「飲食思水」という言葉をお伝えします。

◆受講生の講義レポートから

「身近にある水というものを全く別の視点で見ることができて、非常に面白かった。これまでイメージしていた『水不足』とは違う水問題について、詳しいデータを知ることができました」

「水問題を考える際にも、エネルギーや食糧問題など、ほかの要素もともに考え、全体としての持続可能性を高める必要を改めて実感しました」

「水資源は境界を越えて運用することが難しいとのこと。実際、国内でも水のある地域とそうでないところがあり、この差も地域間格差につながるのではないかという懸念を持ちました。それが都市への人口集中につながるという連鎖反応を起こすのではないかという点も気になります」

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