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限られた容量・資源で生きる―食・農・環境から地球の未来を考える

ダイワJFS・青少年サステナビリティ・カレッジ 第1期・第2回講義録

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古沢広祐(ふるさわ こうゆう)
国学院大学経済学部経済 ネットワーキング学科教授

目白学園女子短期大学生活科助教授を経て現職。研究テーマは、環境容量と持続可能な生産消費パターン、世界の農業食料問題とグローバリゼーションなど。「環境・持続社会」研究センター代表理事も務める。著書に、『地球文明ビジョン― 環境が語る脱成長社会』(日本放送出版協会)など。


◆講義録

環境について考えるとき、自分という存在と地球全体の問題をどうつなげて理解するかが、今日たいへん重要になっている。そこで今回は、私たちの誰にも身近なテーマである「食と農」を手がかりにして、環境や持続可能性の指標とのつながりを中心に、これからの世界の在り方について話したいと思う。

人類の発展史から見ると・・・

私たちが今、どんな時代を生きているのか、まずはじめに長いタイムスケールで見て現代という時代について、その位置を理解し、その上でこれからの未来について考えてみることが大事だ。そのために、基本的な指標として、人口、エネルギー、交通、情報という4つの評価座標で表したものが配布資料2枚めのスライドである。

例えば人口を見てみると、過去100年ほどの間で約15億人から65億人と4倍以上に増えている。100年前よりもそれ以前で見ると、きわめてゆるやかなカーブを描いて増加してきている。20世紀以降の時代が、いかに急激な変化を引き起こしている時代かが分かる。近年の急激な増加という点では、エネルギー消費についてはそれ以上に伸びている。では、今後の100年ではどのように増えていくのだろうか。

このように、私たちの人類活動について、長いスパンで大きな変化の動向を見ておくことが重要である。例えば、こうした変化はいつごろから始まったのだろうか。環境の視点から人類の歴史を振り返ると、いろいろおもしろいことが見えてくる。実は、環境問題における大きな変化の発端は16世紀ごろ、ちょうどコロンブスが航海に出た1492年ごろの大航海時代から始まっている。

文明発展パターンの特徴と持続可能な発展

これまでの人類の文明発展パターンを大きくとらえると、次のような3つの特徴がある。まず、成長・拡大が幾何級数的に展開していること。次に、その富の拡大は平等に展開したわけではなく、世界の上位20%が80%以上の富を独占しているというような格差の問題が生じている。典型的には、UNDP(国連開発計画)の報告書『人間開発報告(1992年版)』にある、ワイングラスの形をした富の分配図に表される格差の拡大だ。そして、こうした状況を生み出した根底には、単一的な価値基準で効率のみを追求するモノカルチャー的展開があると思う。

つまり、3つの特徴を抱えもったこれまでの発展パターンは、持続可能ではないということだ。より簡潔な言葉に言い換えると、持続可能な発展とは、「環境的適正」と「社会的公正」をふまえた経済的な発展のあり方を目指すこと、といってもよいだろう。

環境的な適正を考える際には、前回の講義でも触れられた、エコロジー経済学者のハーマン・デーリーによる、持続可能な発展のあり方の基本的3条件を思い出してほしい。

  1. 有限で枯渇してしまう資源については、できるだけ再生可能なものに置き換えていく。
  2. 再生可能資源を使う際は、再生量を超えるスピードで消費しないこと。
  3. 環境を汚染する物質は極力使わない。

こうした3つの条件は、「言うは易く、行うは難し」ということではあるが、人間活動がこうした範囲で行われれば持続可能な発展は原理的には可能ということだ。

環境容量をどう測るか?

環境的な適正については、評価尺度の違いなどからさまざまな考え方があり、いまだ統一見解には至っていない状況である。現状で分かる資源制約や環境制約を前提として、どの程度まで資源を利用できるかという環境容量を測る指標としては、例えばエコロジカル・フットプリントという試みがある。ある国の資源消費と環境負荷のライフスタイルを、もし地球上のすべての人が取り入れた場合には、地球が何個分必要かを表すことができるといった指標だ。今の日本人のライフスタイルを世界中の人々が享受するとしたら、地球が2つ半、米国人のライフスタイルなら、5つないし6つの地球が必要だということになる。

詳しくはWWFジャパンの報告書『生きている地球レポート』やエコロジカル・フットプリント・ジャパンのサイトなどを参照してほしい。

また、環境容量としては私もかかわったエコスペースの研究などもあるが、そのほかにも、社会的公正も視野に入れ、持続可能性を広くとらえた指標化の試みとして、本企画の主催団体のジャパン・フォー・サステナビリティの持続可能性指標などがある。

現代社会の生産・消費・廃棄システム

次に、人間活動の拡大の様子をシステム的に図示してみると、資源を取り入れて、生産し、消費し、廃棄する(一部がリサイクル)、というパターンとして描ける。この図式は、世界規模でも国別でも、あるいは私たち個人1人ずつという視点でも、同様のパターンで見ることができる。

では、商品・サービスをつくる際の資源利用という「入り口」に注目した場合と、生産や消費の過程で汚染物質や二酸化炭素を排出するなど、「出口」での環境負荷を見た場合とで、果たしてどちらの側での限界がより深刻だろうか。残念ながら、明確な答えを一言では出せないが、個別のデータで見るならば数多くの具体例をあげることができる。

入り口に関する数値をひとつ考えてみよう。例えば、石油資源については、採掘可能な原油埋蔵量が頭打ちとなる「ピークオイル」という問題が最近注目されている。では、富士山を器にした場合に、石油資源の埋蔵量を考えると、何杯分になるだろうか。

つまり資源の限界についてのイメージなのだが、実は1杯にも満たないというのが答えである。これまでに700~800億トンを消費しており、埋蔵量としては未確認のものを含めて最大に見積もっても約3000億トン程度といわれている。最近、中国が日本の石油使用量を超えて猛烈に消費量を伸ばしているが、今後ますます大量の石油が消費されていくことになる。

出口に関するデータとしては、大気中の二酸化炭素濃度の推移がある。ちょうど先日、ナイロビで京都議定書の締約国会議があったが、温暖化ガスの排出をいかに減らすか、今後の見通しや戦略がなかなか決まらないのが現状だ。将来的影響だが、地球温暖化で引き起こされる近未来シナリオを描いた『デイ・アフター・トゥモロー』という映画を見た人も多いかもしれない。あの映画で描かれた大洪水のシーンは、まさにハリケーン「カトリーナ」の災害を予見したものだと話題になった。

実際、「世界防災白書」を見ると、近年になって自然災害が頻発しており被害額が巨額に膨れ上がっている様子が分かる。温暖化要因だけではないが、いまや損害保険業界では、そうした関連災害がどれほどの規模となるのか、いかに予測するかが最大の関心事となっている状況である。

食における環境容量

世界的異変に関して、日本にはどういう影響があるのだろうか。まず思い浮かぶのが、自給率40%の食料のことである。食糧自給率が4割に過ぎない日本は、海外の影響をまともに受けてしまう。食料のみならず、世界中から毎年7~8億トンもの物資が日本に来ているが、世界の船舶による物資の行き来が40~45億トンであることを考えると、なんと約5分の1が日本に来ていることになる。

日本の国土面積は世界の陸地面積のわずか0.2%、人口規模で見ても2%程度である。いかに日本が大量の資源を消費しているかが分かる。日本の豊かさは、いわば「砂上の楼閣」といえるだろう。食べ物の移動量を計る指標に、運ばれる量×距離で測る「フードマイル」がある。輸送には大量のCO2排出を伴うため、配付資料に示したように温暖化への影響も計算できる。「空飛ぶエビ」「空飛ぶマグロ」ともいわれる魚介類を日本は世界中から空輸しているが、こうした食の輸送ひとつを取り上げて見ても莫大なエネルギーを使っている。
(参考ウェブサイト:地球に優しい買い物上手:フードマイルを考えよう!

こうした問題点を目に見える形で考えようと、京都議定書の会議にあわせて1997年と98年に行った「地球にダイエット」というキャンペーンがある。環境や国際協力のNGOが共同で行ったものだが、「環境容量」の試算を適用し、具体的な実践活動へつなげた一例だ。このキャンペーンで紹介したように、40年ほど前は食糧自給率も7割を超えており、食卓にも国産で地場産の食品が多く並んでいたが、今は世界中の食材が食卓を支え、それに伴いフードマイルや食の輸送にかかるエネルギーも大幅に増加している。食と地球環境の問題が、いかに密接に関連し合っているかが分かる。

世界農業の歴史的な視点

今のグローバル市場では、何百ヘクタールという広大な土地を耕す新大陸でのフロンティア型農業と、狭いところでのアジア型の伝統農業が、同一の市場競争下に置かれてしまう。そして、地理的風土条件の違いを完全に無視して、単一の価値基準だけで比較してしまうところに問題がある。日本は土地代も労働単価も高いために、輸入したほうが安くていいという議論になってしまう。
(参考ウェブサイト:自由貿易が食と農を破壊する

農業発展の展開軸を見ても、単一・極大化が世界的に急速に進んでいる。しかし21世紀は、フロンティアを求めて拡大するモノカルチャー的展開と、限られた資源を有効に活用する多面的で内向的な展開を重視する方向と、大きなせめぎ合いが起きており、いわば転換点にさしかかっているように思われる。流通や消費における展開状況を見ても、ファストフード対スローフードの考え方の対立が顕在化している。
(参考ウェブサイト:スローフード論の現代的意義(序論)

食と地域が切り離されたことで、さまざまな問題が生じ始めており、早さと安さだけを追求する食のあり方に批判が出ている。ファストフード発祥の地、米国では、3人に1人が過剰体重(肥満)に陥っており、そうした事態を生んだ食品産業のあり方への批判が強まっている。また近年、大量生産と科学万能主義の延長線上で、遺伝子組み換え食品が、なし崩し的に普及する事態が進行し、健康や環境への将来的な影響が不明確なまま進んでいる。

新たな取り組みのひろがり

こうしたことを背景に、ローカルなつながりを求める有機農業への取り組みが世界的に広がりを見せている。日本も江戸時代は、里山といった暮らしの周りの自然を保全する知恵が豊富に展開しており、それなりに環境調和・リサイクル型の社会を形成していた。例えば、ワラの多面的な利用は大変に興味深いもので、燃やした灰までも染物や焼き物に使うなど完全な循環を実現していた。また、物質的なモノの大切さだけでなく、正月のしめ縄や相撲の土俵などに見られるように、神の世界とのつながりといった宗教的・精神的な領域までもが組み込まれていたことも注目したい点だ。
(参考ウェブサイト:「ワラ文化」のエコロジー

国連大学が提唱した「ゼロ・エミッション構想」は、いわばこうした循環型社会の智恵の現代的な再生といってもよいだろう。経済産業省と環境省が進める、環境まちづくり計画や「エコタウン事業」も、昔の知恵をよみがえらせる試みだ。さらに広い循環でいえば、森・川・海・里を結ぶ日本版のバイオリージョナリズム(生命地域主義)や、あるいは伝統的な知恵と現代的な科学を組み合わせ、自然の持つさまざまな力を組み合わせて複合的に活用しようというパーマカルチャー(永続的・立体的な農と暮らし)、農と林との融合を目指すアグロフォレストリーなどの思想や実践がさまざまに展開されている。

社会的な視点を加えた動きとしては、近年盛んになってきたフェアトレードの動きなどがある。私たちは、とかく安価なものを求めがちだが、「消費」という行為に環境や社会の価値を組み込むと、世界はどのように見えてくるだろうか。身近な商品で、例えばコーヒー、バナナ、ジーンズなどは、ほとんどの原材料が途上国で生産されている。ところが実際にお金の流れを見ると、支払金額の大半は、生産者ではなく、広告、流通、加工など、先進国が担う部分ばかりが占めている。生産の現場で重労働する貧しい人々に、正当な代価が払われていない状況がある。
(参考ウェブサイト:持続可能なコミュニティ、農業・農村開発の新視点

また批判だけでなく、従来の企業や産業においては、いかに時代を先取りした新しい価値を生み出すかというビジネス革命も広がり出している。例えば、「ロハス」(LOHAS)ビジネスが典型で、多少ファッショナブルな面が強調され過ぎている面があるが、自分の健康を考えることが地球環境への負荷も減らすことになるという発想と思想が基本にある。

これからの社会経済システム

冒頭では、時間的スケールについて強調したが、最後は、空間的スケールでミクロからマクロまでの全体的な捉え方について、まとめてみることにしよう。

エコ・プロダクツといわれる環境配慮した製品や商品レベル、1人ひとりのライフスタイルのレベル、エコタウンなど地域レベル、そして国際レベル、さまざまなレベルで持続可能性を目指す取り組みが始まっている。今後は、そうした取り組みに関する政策形成が、どのように総合的かつ統合された形で進んでいくかが鍵を握ると思う。

こうしたイノベーションを進めるには、産業界の「技術的な革新」、環境の法律など「法的な規制手段」、さらに経済面でのインセンティブなど「経済的手法」が必要となる。そして、より基本的には「市民の意識形成」が環境重視にならなければイノベーションは起きない。大きくは、こうした4つの要素があいまって、持続可能な社会への転換が進むのである。うまく進まないとしたら、このうちのどこかに問題があると考えられる。

将来的な世界の展望としては、3つの社会経済セクターの混合体制が重要となる(配布資料、最終スライド参照)。公的セクターにおける「政府の失敗」、私(企業)的セクターにける市場万能主義の限界が見えてきた中で、行政や企業の役割に対抗・補完・代替する共的セクターの役割が期待される。すなわち、これからの社会経済システムとして、経済的利潤原理、統制原理だけでなく、協働・共同原理でつくられる社会や事業活動が、持続可能な社会の体制をつくる大きな柱の1つとなると考えている。つまり3セクター混合社会において、どういったバランス形成を築いていくかということが、現在の私の展望であり課題である。
(参考ウェブサイト:共・公益圏とNPO・協同組合 環境共生社会の創造:住み分けか融合か

◆配布資料(PDFファイル 約3,605KB)

◆参考文献

  • 『有機農業が国を変えた―小さなキューバの大きな実験』(吉田太郎著、コモンズ)
  • 『200万都市が有機農業で自給できるわけ―都市農業大国キューバ・リポート』(吉田太郎著、コモンズ)
  • 『エコロジカル・フットプリント―地球環境持続のための実践プランニング・ツール』(マティース・ワケナゲル、ウィリアム・リース著、合同出版)
  • 『エコロジカル・フットプリントの活用─地球1コ分の暮らしへ』(ニッキー・チェンバース、クレイグ・シモンズ、マティース・ワケナゲル著、合同出版)
  • 『ピーク・オイル―石油争乱と21世紀経済の行方』(リンダ・マクウェイグ著、作品社)
  • 『ファストフードが世界を食いつくす』(エリック・シュローサー著、草思社)
  • 『ここが問題遺伝子組み替え食品』(天笠啓祐著、日本消費者連盟)
  • 『遺伝子組み換え企業の脅威―モンサント・ファイル』(『エコロジスト』誌編集部編、緑風出版)
  • 『東亜4千年の農民』(F・H・キング著、栗田書店<絶版>)
  • 『農業聖典』(アルバート・ハワード、コモンズ)
  • 『パーマカルチャー―農的暮らしの永久デザイン』(ビル・モリソン、レニー・ミア・スレイ著、農山漁村文化協会)
  • 『安ければ、それでいいのか!?』(山下惣一編著、コモンズ)
  • 『儲かれば、それでいいのか―グローバリズムの本質と地域の力』(本山美彦・三浦展・山下惣一・古田睦美・佐久間智子著、コモンズ)
  • 『地球買いモノ白書』(どこからどこへ研究会著、コモンズ)
  • 『スローフード宣言!イタリア編』(ニッポン東京スローフード協会編、木楽舎)
  • 『幕末のスローフード―浜浅葉日記の食の風景』(辻井善弥著、夢工房)
  • 『エコ・クッキングでおいしい!おもてなし』(東京ガス株式会社社会文化センター編、近代映画社)
  • 『今日からできる!エコ・クッキング―地球がよろこぶおいしいレシピ』(東京ガス株式会社社会文化センター、東京ガス株式会社「食」情報センター編、近代映画社)

◆参考ウェブサイト

◆次の講義とのつながり

長いタイムスケールから現代という時代を考える際、基本的な指標のひとつにエネルギーがあると紹介しました。今後100年でどのような消費カーブを描くのか、次回の講義で持続可能なエネルギーをめぐる現状と課題を通して考えてみてください。

◆私が考える「サステナブルな社会」

これからの社会経済システムとして、経済的利潤原理、統制原理だけでなく、協働・共同原理でつくられる社会や事業活動が、持続可能な社会の体制をつくる大きな柱の1つとなると考えています。行政や企業だけでなく、それに対抗・補完・代替する共的セクターを交えた3セクター混合社会において、どういったバランス形成を築いていくかということが、現在の私の展望であり課題です。

◆次世代へのメッセージ

私たちの社会や生活様式が、トータルに転換していくビジョンが求められていると思います。より少ない資源消費と環境負荷で、豊かさを実現する価値観・文化・社会システムの形成こそが鍵ではないでしょうか。新しい持続可能な社会と文明形成に向けて、若い人々の活躍に期待したい。

◆受講生の講義レポートから

「食卓からの国際協力・環境問題への取り組みということで、とても身近なことから具体的に考えられ、これからの生活に役立ちそうです。『机上の論理』ではなく、『食卓の論理』は有用なものだと思いました」

「キューバの乳幼児死亡率がアメリカより低いことに驚きました。経済的に豊かな国が社会的にも豊かだと思っていたのですが。社会の充実のために何が必要なのか、もう一度考えるきっかけになりました」

「これからは『見えない部分の価値』が重要になってくると思います。この価値をいかに浸透させるかが、今後の社会形成の鍵になるのではないでしょうか」


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