2015年08月11日
JFS ニュースレター No.155 (2015年7月号)
イメージ画像: Photo by Okinawa Soba (Rob) Some Rights Reserved.
日本の江戸時代は、化石燃料ではなく、植物などの自然由来の原材料を適切に利用することで、海外からの輸入に頼ることなく、国内の資源で独自の循環型社会を形成してきました。今回のニュースレターでは、植物由来のエネルギー資源として知られるようになったバイオマス利活用推進のため、2004年に開催された関東バイオマスフォーラム「三世代で考える」~日本の伝統文化とこれからのバイオマス~より、演者の石川英輔氏、講演録掲載の関東農政局の快諾を得て、基調講演「バイオマスで生きた江戸時代」をお届けします。
日本では、「リサイクル」や「ボランティア」のように、昔は普通にやっていたことを理屈を付けて止めてしまい、その結果悪い状態になってしまってから、カタカナ英語でやり直していることが多いようです。
ただ、バイオマスの場合は同じカタカナ英語のケースでも少し違い、元々の我々の伝統的な循環型生活の一部として取りあげられているようです。
我々は簡単に「循環型社会に戻ろう」と言いますが、今はそういうことは絶対にできないようになっています。
なぜかと言うと、現在の日本では1人当たり約12万kcal/日という膨大なエネルギーを使って暮らしており、そのうちの10万kcalが化石燃料です。化石燃料は一度燃やしてしまえば絶対に元に戻ることがありません。リサイクルをするのにも化石燃料が必要なので、本当のリサイクルというのはできなくなっています。
私は、今の世界を一方通行を略して「一通文明」と言っています。一方的に資源の利用は進んでおり、元に戻ることはほとんどありません。私たちの言っているリサイクルとは、一方通行のベルトコンベアーの上で、グルグル独楽を回しているような形の循環型社会なのです。
それでは江戸時代はというと、私は「ターンテーブル型」と言っているのですが、世の中全体がレコードを回すターンテーブルのようにグルグル回っている本当の循環型社会です。1年で1回転するようになっている。なぜ1年単位で元に戻るかというと、バイオマスだからです。
私の場合、バイオマスという言葉を「大量にある生物資源、主に植物資源」という意味で使っています。
江戸時代の生活は、日用に使う材料のほとんど全部が植物性です。それも、成長の非常に早い植物を使います。使うのをやめて廃棄しても、燃やしても、最終的には二酸化炭素と水になって、来年生えてくる植物の原料になり、空気中の二酸化炭素が増えることなく、1年経つと大体元に戻ります。
もちろん、金属製品や陶磁器など植物製品でないものもありますが、金属の精錬も陶磁器を焼くのも木炭などのバイオマス資材を使いました。ある範囲内で上手に使っている限り、植物材料は決してなくなることはありません。
それを運営しているのは太陽エネルギーによる光合成です。二酸化炭素と水が光のエネルギーによって植物体に戻ります。
江戸時代のバイオマス利用の一番わかりやすい例が稲作です。1720年頃の人口は約3000万~3100万人で、このうち半分近くの約1400万人が稲作に従事していたらしいのです。水田稲作ほど日本の国土に適した農業はありませんでした。同年代のヨーロッパの小麦農業に比べると、江戸時代後期の水田稲作では同じ面積でヨーロッパの10倍ぐらいの人口を養うことができました。
昔はなるべくわらの沢山取れる稲を作ったそうです。
米は食べた後排せつ物となります。現在では膨大なエネルギーを使って処理していますが、昔は下肥として販売しました。下肥は1年以内に土に戻り、下水に流れることはいっさいありません。ですから江戸でも大阪でも川には飲める水が流れていました。井戸水は雑用水、洗濯や掃除に使って、飲み水は川の水を使う。川に飲める水が流れているというのは、世界中どこにもありません。
農家にしてみれば、農作物を都市に入れると、肥料になって出てくるということで、町というのは食べ物を肥料に変性する装置という考え方もなり立つと思います。
わらについては研究家の記録によると、半分は堆肥あるいは厩肥として農地に戻しました。
それから30%ぐらいを燃料、灰の材料に使う。灰は重要なカリ肥料で、町を回って灰を買い集める「灰買い」という商売がありました。灰の文化は世界中にあるそうですが、灰を商品として商人に売っていたのは、私の調べた限りでは日本以外どこにもない。灰も一種のバイオマスとして、商品として通用している品物なのです。
残りの20%ぐらいがわら製品になります。フォン・シーボルトは、日記の中に「旅行しているとあちらこちらにわら靴の山がある。旅人が決まったところで履き替えている。それを農家の人が持っていって肥料にするのだ」と書いています。今の靴と違い、わら草履は長持ちしないが要らなくなった途端に資源になる。燃やせば燃料になり、その灰は灰買いが買っていきます。
米もわらも1年経つときれいに消えてなくなる。これを循環させているのは太陽エネルギーだけです。江戸時代の動力の99%以上は人力ですが、人間は主に昨年度産の穀物で動いています。昨年度産の穀物はだれがつくったかというと、昨年度の人間と太陽エネルギーがつくるのです。原料について考えれば、私たちは化石燃料製、我々のご先祖はバイオマス製です。
私は今まで「かつての日本は植物国家だ」という言い方をしました。人間が植物を育てて、育てた植物に寄生して生きていたという意味では植物国家です。これは格好よく「バイオマス国家」と言い換えてもまったく同じ意味ですし、「いや、このほうが何となく聞こえがよくて、格好がよさそうなので、これから『江戸時代の日本はバイオマス国家だった』と言い換えようか」と思いました。
バイオマスの利用としてはエネルギーがあります。最も直接的なエネルギーは光と熱ですが、江戸時代の都市では行灯という照明器具を使う場合が多かったです。
行灯は非常に暗く60W電球の1/100~1/50ぐらいです。それから、煤が出て家の中が煤けてきます。昔は大掃除のことを「煤掃き」といいました。ですから非常に欠点の多い照明器具です。
しかしながら、行灯の油は菜種油や綿実油を使うことが多いのです。この油は昨年度の太陽エネルギーの一部を油の形で凝縮したものです。燃やすと二酸化炭素と水になり、来年生えてくる植物の原料になり油に戻ります。ですから、行灯の火を燃やすということは、元に戻す循環の一部を人間が担っているわけです。人間が植物の世話をしながら生きていたバイオマス社会です。
それでは、バイオマス社会が快適かと言うと、今の方がはるかに楽です。特に、私たちのように戦争中に子供のころを経てきた者からすると、あんなにつらいものはないです。
でも、私は本当はそうではないと思うのです。猿人の時代から今まで、私たちのゲノム、DNAの設計図はほぼ同じだと思います。ですから、食べ物の足りない状態、寒さに耐える状態に合わせて私たちの体ができていることは間違いありません。
それをわずか50年かそこらの間に、こういう生活をして、私たちは楽なのですが、本当は非常な無理をさせられているのではないかと思っているのです。
なぜこんなに豊かになったのに社会問題が減るどころか次から次へ増えるのか、皆さん方も思い当たられることがずいぶん多いと思います。
ですから、100%バイオマスの生活に戻れるわけなどありませんが、本当はそのほうが私たちにとっては、本当の意味では楽なのかもしれません。
では、これからバイオマスを利用するためにどういう考え方をすればよいのかということについて、江戸時代のエネルギー問題の研究者としての私の考えを申しあげます。
バイオマスの使用量を無理に増やす必要はないと思います。今の世の中で化石燃料を1割でもバイオマスに代替することも難しいと思います。
では、何をやっても無駄なのかというと、むきにならずにできるだけのことをやっていればよいと思います。皆さんがいろいろなやり方を実験して、できる範囲で経験を積んでおかれることが、私は非常に大事だと思うのです。
なぜかと言うと、いつまでも化石燃料を使いたいだけ使える世の中が続くとは限りません。第1の理由は、日本はこのまま経済大国でいられるかどうかわからないこと、もう1つは環境の悪化で、化石燃料が怖くて使えない時代が来るかも知れません。
できるだけ広い範囲で、バイオマス使用を練習だと思ってやるのが一番敗北感なしにやれる。それも、なるべく楽しくやればよいと思います。
1つ例をあげるとすると、日本の食料自給率はカロリーベースで40%です。一方、京都市内の台所のごみを調べた研究家によると40%が食べ残しです。ちょうど国産の農水産物をそっくり捨てていることになります。
それから、1999年当時の科学技術庁によると、国内の農業総生産額が12兆4000億円、残飯に食品価格をかけると11兆1000億円とその約90%となり、国産の食べ物を全部捨ててしまっているのと同じになります。
ということは、我々は100%のうちの60%で生きており、それでも太りすぎて困っている、まだ供給過剰となります。ですから、食料の輸入ができなくなれば、捨てるのさえやめれば実質60%の中の40%は国産となります。60%のうちの40%というのは66.666%ですから、私は日本の食料自給率は現時点において70%近いと思います。それで、残りの分はダイエット分で減らし、10%ぐらい輸入すればやっていけると思います。
エネルギーも同じです。江戸時代のエネルギーの使用量は今の基準によれば0kcalです。今は化石燃料だけで10万kcalも使っています。これが5万kcalだったのは1970年ですが、私はそのころの生活レベルとほとんど変わっていません。
今の半分あれば、我々は十分やっていけるのです。ですからエネルギーの供給が減れば、自動的にいやでもバイオマスは増えてしまうのです。
ですから、皆さまのようにバイオマスを一生懸命やっておられる方がいらっしゃるのは本当に心強いことで、もう我々の身体にはバイオマスの利用は染みついています。まだ炭焼きの名人もたくさん生き残っておられますし、新しいことをやっておられる方がたくさんいます。無理に増やそうなどとしなくても、バイオマスの出番はいやでも出てきます。ですからそのつもりで、はりきらないで、なるべくいろいろなことを続けてやっていただければよいと思っています。
江戸時代はバイオマス以外の生活必需品というのはほとんどありませんし、しかも成長の早い植物ばかりです。薪は成長が遅いと思うでしょうが、森林国にたった3000万人の人間がいて、1日にせいぜい1,000kcal分くらいの薪しか燃やしませんから、木の成長分の数百分の1しか燃やしていません。木が枯渇する心配どころか、林業のうまくいった時代です。
ですから昔の生活というのは非常に大変は大変なのですけれども、一概に「昔の人はばかで我々が偉い」というほど、昔の人もばかなことをしていたのではないということをわかっていただければよいと思います。
イメージ画像: Photo by t.ohashi Some Rights Reserved.
関東農政局ホームページより
http://www.maff.go.jp/kanto/kihon/kikaku/biomass/ktrenraku/foram/ishikawa.html