ニュースレター

2006年10月01日

 

全国初のPI(パブリック・インボルブメント)の試み - 横浜市青葉区

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JFS ニュースレター No.49 (2006年9月号)
シリーズ:地方自治体の取り組み 第14回

持続可能な社会づくりが課題となっている今日、公共事業や政策の立案・執行の場面で住民参加が重視され、地域住民の意見を聞きながら事業の計画策定を行う行政手法がとられ始めています。そこで導入されるようになったのが、PI(パブリック・インボルブメント)という仕組みです。PIとは、行政が政策形成や公共事業の構想・計画段階において、住民に対して十分な情報公開をするとともに意見交換の場を提供し、広く住民の意見やニーズを政策や事業計画に反映するための仕組みです。

PIとは具体的にどのようなものなのでしょうか。横浜市青葉区では、1992年より全国初の試みとして、構想段階から住民の意見を聞き、計画に反映させるという「住民参加の道路づくり」が行われてきました。この取組みは、地域の課題を民主的に解決していく方法として、手探りで進められたものでしたが、公共事業における住民参加の方法や合意形成へのプロセスなどについて、意義のある取組みとして評価されています。

住民参加の道路づくり

横浜市北部に位置する青葉区は、1994年に港北区と緑区の再編に伴って誕生した新しい行政区です。現在の人口は約30万人で、面積は35km2。北側と西側は川崎市と東京都町田市に接し、地勢的には多摩丘陵の一部に属しています。区の中心を南北方向に鶴見川が流れ、かつては静かな農村地帯でしたが、1966年の東急田園都市線の開通をきっかけに人口が急増しました。区域の約6割が区画整理によって計画的に開発されたため、宅地・道路・公園などが整備されており、良好な居住環境が特徴です。

「住民参加の道路づくり」の対象として選ばれたのは、青葉区の丘陵地を東西に貫く「恩田元石川線(以下恩元線)」の道路計画です。青葉区には、南北に走る三本の骨格的道路が整備されていましたが、東西には南側に国道246号線あるだけで、北側には区レベルの骨格的道路がなく、交通の利便性や区の一体性が欠如していました。そうしたなかで、恩元線は東西を結ぶ地域の骨格道路として構想されてきました。

横浜市が、恩元線の道路計画を住民参加のモデルケースに選んだ理由は、時間的な余裕と地域の限定性です。恩元線は、明日にでも整備しなければならないという緊急性はなく、住民が計画を議論する時間的な余裕があります。また、恩元線は青葉区内で完結する地域の道路であり、参加対象となる住民の範囲を限定しやすいと考えたからです。

住民参加の方法

1992年11月に開始した「住民参加の道路づくり」の第一歩は、4万世帯を対象に実施したアンケート調査でした。住民の反応は良く、この取組みに期待を寄せていることがわかりました。ところが、初めての意見交換会を行うと、参加者は思いのほか少ないうえに、「形だけの住民参加という感じを受ける」などの意見があがり、職員は厳しい現実を突きつけられました。

その後、ケーブルテレビによるPR活動や現地視察会などを行い、住民の関心は高まりましたが、同時に、住民の範囲を広げると意見がまとまらないのではないか、という懸念が持ち上がりました。確かに、道路計画における住民参加という場合に、対象とする住民の範囲はどうしたらよいのでしょう。地権者、予定地に住んでいる人、予定地に近いので騒音の影響を受ける人、遠くに住んでいて環境保護に関心のある人、遠くに住んでいて道路を利用するだけの人、と考えればきりがありません。

そこで横浜市は、想定ルートの沿道住民を重視し、沿道地区を4つのブロックに分け、ブロック別に住民懇談会を開催することにしました。また、それと並行して、「住民参加の道路づくり委員会」を設置しました。構成メンバーは公募の住民12名、連合自治会の推薦者7名、青葉区在住の学識経験者2名、市職員3名の計24名となりました。ただし、この委員会は、あくまでも一般市民と横浜市をつなぐための機関であり、住民意見の整理・公開、環境データの整理・公開、複数案の検討という3つの役割に徹すること、計画の賛否を決定する場ではないことが約束されました。

「整備しない」案の提案

この取組みの大きな特徴は、「整備しない」案を含めて議論したことです。本来、公共事業は計画の妥当性や必要性について、社会的な合意形成が図られるべきなのですが、日本ではそれがなされないまま、一度計画されれば事業化されるのが常でした。もちろん、環境アセスメントは実施されますが、事業実施段階に行われる事業アセスメントであるため、住民の意見が反映されにくく、事業計画の大幅な変更や中止などを行うことができません。

これに対し、恩元線の場合は、構想段階から住民参加が行われたため、「整備しない」という選択肢があり得たのです。委員会では、「緑地・農地保全」「通過交通の排除」「道路の利便性」「住宅地への影響」という観点から、「整備しない」案を含めた複数案を検討しました。その際横浜市は、現況交通量や騒音・振動の実態、大気汚染の状況など、様々な資料の提示を求められました。このように、事業の構想段階で、行政による情報開示、住民による意思決定への参加が十分に保障されている社会こそ、真の民主主義社会といえるでしょう。

合意形成のプロセス

委員会は、道路計画の代替案を合計7つのルート案と「整備しない」案に絞り込みました。それでは、提示された複数案について、誰が意思決定をするのでしょうか。委員会では、市長が最終的に結論を出すことに異論はありませんでしたが、プロセスをどうするかが問題となりました。これまで、委員会やブロック別懇談会では、様々な意見交換がされましたが、参加者が限られていたことから、発言に参加していないサイレント・マジョリティの意見を把握する必要がありました。

委員会での議論の末、アンケート調査を実施し、その結果について専門家の意見を求めることになりました。アンケート調査は、青葉区内約98,000世帯のうち約1割にあたる1万世帯を無作為に抽出して行われ、その際にパンフレットが配布されました。このパンフレットには、取組みの経緯を始め、道路計画の複数ルート案、環境調査結果、今後の進め方などの情報が盛り込まれました。

アンケートは27%近い回答率が得られ、5割以上の人が整備の必要性を認めました。専門家による研究会は、このアンケート結果を信頼性が高いと評価し、委員会との意見交換会も実施したうえで、望ましい道路計画の報告書を市長に提出しました。そして最終的に、地域の骨格的な道路ネットワーク形成の観点から、恩元線の整備は必要であると結論づけられたのです。

民主的な意思決定の重要性

1999年11月、住民参加の取組み開始から7年もの月日を経て、ようやく恩元線に関する道路計画の方針が決定しました。そして、2003年11月、横浜市は恩元線の建設を都市計画として決定し、現在は事業化に向けて検討中です。

このように、試行錯誤で進められた「住民参加の道路づくり」ですが、恩元線での取組みが、これまでの公共事業における意思決定の方法に一石を投じたことは確かです。例えば、国土交通省は、東京外かく環状道路について、国内で初めて、高速道路の構想段階からPIを活用し、沿線地域の住民や利用者に情報を公開したうえで、意見交換をしながら、計画の検討を進めています。公共事業の実施に際し、たとえ国や地方自治体などの行政が意思決定権を持っているとはいえ、行政の独り善がりであってはなりません。地域住民が情報にアクセスし、意思決定過程に参加する機会が与えられてこそ、持続可能な社会が実現されるのです。

(スタッフライター 角田一恵)

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