ニュースレター

2011年10月11日

 

自然に学ぶ技術が地球を救う Part.1

Keywords:  ニュースレター 

 

JFS ニュースレター No.109 (2011年9月号)
シリーズ:JFS「自然に学ぼう」プロジェクト 第1回  インタビュー
東北大学大学院環境科学研究科教授 石田秀輝先生

JFS/Technologies to Save the Earth -- Learning from Nature (Part 1)
Copyright 石田秀輝教授

自然に学ぼうプロジェクト:シリーズ第1回では、自然に学ぶ技術の研究と普及における日本国内の第一人者として、東北大学大学院環境科学研究科教授の石田秀輝先生へのインタビューをお届けします。自然に学ぶ技術の研究・普及のこれまでの歩みとこれからの可能性、歴史観や自然観についても広い視点からお話し下さいました。
(インタビュアー 枝廣淳子)

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――自然に学ぶ技術の研究は、いつ頃始まったのですか?

1930年代にイカの神経系を利用したシュミット・トリガーと言われる現在の電子機器の原点になる回路の研究がなされたのが最初で、自然に学ぶという概念ができたのが1950年代です。けっこう古いですね。

――自然に学ぶという着想自体はどういうところから出てきたのでしょう?

石田 生物学と工学があまり分断されていなかった時代には、割と当たり前のようにやられていたことです。もともとは地上のものだけでテクノロジーを作っていたわけだから。ダビンチが描いた絵なんて、みんなバイオミメティックスですよね。だから決して目新しいことではない。

それが、地下資源型のテクノロジーに移行し、化石燃料を使って力任せに作れるようになってしまったので、小難しい自然なんて考えなくてもよくなっちゃったわけです。そして、生物学と工学が学問領域として完全に分かれてしまった。

――地下資源型テクノロジーについてもう少し教えてください。

石田 イギリスでの産業革命以来のテクノロジーが僕たちの今のテクノロジーの原点とも言えますね。産業革命が成功したのは、自然と決別したからです。自然を奴隷のように使うことができるという、ベーコンやデカルトが書いているような概念で成立しているわけです。「自然はわれわれ人間がコントロールできるんだ」という概念が今のテクノロジーの原点です。

ところがそれをやり続けた結果、地球環境の劣化が加速して、とんでもないことになってしまいました。僕は、今のままでは2030年ぐらいで文明崩壊の引き金を自分たちの手で引くのではないかと思っていますが、そういう時代に、予兆として地下資源型でないテクノロジーを本能的に探し求めるようになっているとも感じています。

一方で、自然と決別をしない産業革命を行ったのは、世界で日本だけなんです。江戸時代に。そういう意味では、日本は世界にそれを示す義務があると思っています。

イギリスでは産業革命が起こりましたが、日本の産業革命は勤勉革命を基盤としたのです。イギリスは自然との決別を原理に、資本を集約して産業革命に成功した。一方、日本は鎖国をしました。第一次鎖国令が出たのは1633年でしたが、完全に鎖国が成功したのは1800年頃です。それまでは、いろんなものを海外に頼らなくてはいけなかった。3000万人以上の人がこの国の糧だけで食べられるようになったのは1800年頃からなのです。1630年代から1800年までかかって、必死でやったわけです。とてつもない努力です。

食べるためにどうするかというと、労働集約です、資本集約ではなく。究極的には、牛や馬の数を減らして、その分を人間がやっています。そうすることで3000万人以上を食べさせることができた。これが勤勉革命です。1800年頃の日本の単位当たりの農地からの収穫量は、1970年代のアジアの平均値を超えていたんですよ。

モノを大事にするとか、モノを長く使うとかという文化は、そこから始まったものです。日本人がもともと持っていたものではないのです。そのころから日本のものの考え方はどんどん変わっていって、モノを大事にする、長く使う、心を込めて使うようになった。無論そこには日本人が持ち続けてきた自然観があり、それと融合して、我慢ではなく、ものを大事に長く使い、また、そんなものを心を込めてつくり、楽しむという形が生まれたのです。

江戸の後期から明治初期に、日本に多くの外国人が来ましたが、こぞって「日本人はどんなに貧しくても日用品に芸術品を使っている」と感動しています。モノを長く大事に使うという使い方もそうだし、作るほうも、長く使えるように精魂込めて作った。そこに美が生まれ、柳宗悦が言う「用の美」はそこから始まるわけです。そこが日本人のテクノロジーの原点ではないかと思うのです。

――深いですね。

JFS/Technologies to Save the Earth -- Learning from Nature (Part 1)
Copyright 石田秀輝教授

石田 長くモノを大事に使うという概念が、まさに今の地球環境に必要ですよね。だから僕は、「バイオミメティックス」でなく、「ネイチャー・テクノロジー」という言葉を使っています。ライフスタイルとテクノロジーを一つのシステムで考えるというあたらしいテクノロジー創出システムです。まず、地球に負荷を掛けずに心豊かに生きるというライフスタイルを創り、そのライフスタイルに必要なテクノロジーを自然から持ってくるという二段構えでやらないと駄目だと思っているからです。ライフスタイルが変わらないで、テクノロジーだけを自然模倣に変えても意味はない。

――イギリスの産業革命に対して、日本の勤勉革命とは、誰かが意図を持って指揮したのですか?

石田 システムとしては鎖国ということでしょう。鎖国という制約です。制約がないと革命は起こりませんから。今日本で、「震災をバネにして復興しましょう」といっていますが、バネというのは縮まないと伸びない。この縮みが制約なんですね。だから復興も、「これが制約です」と言わなきゃいけない。本当は首相が「今の70%のエネルギーで暮らそうよ」ということを言って、そのために何を考えるかということをやると復興になるんですけどね。

――鎖国という絶対的な制約があって、「その中でも生きていくにはどうしたらよいか」と江戸時代の日本は変わっていった。それに比することを、これから世界中でやらないといけないんですよね。

石田 そう。でも、こういう概念は一神教ではなかなかわからないかもしれない。一神教は必ず、自然は自分の足元にあるという概念ですから。6年前に、イギリスの王立アカデミーで最初の講演をやった時には、ほとんど理解されませんでした。ところが、去年、もう一回呼ばれたときには、スタンディングオベーションで受け入れられた。向こうも状況が変わってきたのでしょう。それと、僕が「こういうライフスタイルをやるために、こういうテクノロジーが必要だ」という話し方ではなく、「こういうテクノロジーができるよ。そうするとライフスタイルが変わるよ」という話し方に変わったこともあるでしょう。ライフスタイルを基盤にしたネイチャー・テクノロジーをどんどん作っていけば、世の中変わるんです。ネイチャー・テクノロジーは、最先端の富裕層ではない人たちにも使える技術が多いんです。そういう技術を使えば、Base of the Pyramid という言葉は大嫌いなんだけど、そういうBOPにも十分applicable(応用可能)なものができると思います。

――ネイチャー・テクノロジーを進めていく上での課題は何ですか?

石田 生物と工学との距離がありすぎることですね。

――両方の見方、考え方ができる人たち、もしくはチームができないと、できないですね。

石田 できません。生物学者にとっては、セミの羽根が無反射であることなどにはあまり興味がないんですね。たまたまセンスのいい人が両方を見ることができます。インタープリター役として、両方をつないで、たとえばバックキャストで創った新しいライフスタイルに微風でも回る風力発電機が欲しいと考えている人とトンボの研究者を見つけることで、「先生、トンボ翅を使って風力発電機作ろうよ」と言う人がいないんですね。工学の人たちが「こんなものが欲しい」、あるいは生物の人たちが「こんなもの見つけた」と、同じことを言っているのに、まったく言葉が違うから、お互いに理解できないんです。

欧米では、博物館などで、何か面白いなと思うものは、「こんなものは工学的にはできないでしょうかね」とか平気で尋ねる人が結構いるそうです。工学の人は、「できないでしょうかね」と言われたら、「何が?」と聞き返すことで、生物の人から自然のメカニズムを学ぶ。すると、誰もやっていない研究の世界が広がります。宝物が山のようにあるんです。

――石田先生みたいな翻訳者がいないといけない。

石田 そう、だからデータベースを作りたいんです、生物のことを知らなくても使えるデータベース。一生懸命やっているんだけど、僕自身が理解をして工学的な言葉に直すのには、1個に1カ月ぐらいかかっちゃう。手元にまだ2,000以上あるから、大変な量なんです。

もう1つ、僕は70~80社の方々とネイチャー・テクノロジー研究会を主宰していて、企業の人たちとネットワークが出来ればよいと考えています。企業の人たちも、「どういうテクノロジーを開発すべきか」というところで今、相当壁にぶち当たっているんです。

たとえば、安全ひとつとっても、自動車にミリ波レーダーという戦闘機が付けるようなレーダーを付ける必要があるんだろうか? と自問自答し始めている。今までは「安全・安心」と言えば何でも良かったけれども、今では環境という制約が少しずつ入りつつありますから。

そのときに、安全・安心というのを、もう一回根本から考え直したい。魚はなぜぶつからないのか? 「そういうところをもう一回学び直したい」と言って、僕の所にいらっしゃる方はたくさんいます。テクノロジーがライフスタイルに責任を持つ時代なんです。

続きは来月をお楽しみに!)


本プロジェクトは、財団法人 日立環境財団(2011年度環境NPO助成)の支援によって実現しました。

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