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多文化・多言語コミュニティを結ぶメディアの試み

ダイワJFS・青少年サステナビリティ・カレッジ 第3期・第9回講義録

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日比野純一氏
株式会社エフエムわいわい代表取締役、世界コミュニティラジオ放送連盟日本協議会

新聞記者を経て、救援ボランティアとして向かった阪神・淡路大震災の避難所で、言葉の壁からくる被災住民同士の対立を目の当たりにしたことをきっかけに、多言語で生活情報を伝えるコミュニティ放送局「FMわいわい」を開局。神戸市長田区を拠点に、新しい市民メディアを活用した多文化・多民族社会のまちづくりに取り組む。

◆講義録

今日ここにいる皆さんの多くは日本人だと思うが、「なぜあなたは日本人なのか?」と問われたら何と答えるだろう? 両親が日本人だから、あるいは日本国籍を持っているから、と思う人もいるだろう。例えばハワイ出身の高見山という力士がいたが、彼は日本国籍をとり、日本名を名乗っても、「外国人力士」と思われていたのではないか。「日本人」という定義は思っているよりあいまいだし、今の社会は多様化している。そうした社会には、周辺に追いやられている人が大勢いるということを念頭に、今日のコミュニティラジオの話を聞いていただければと思う。


震災から生まれたコミュニティラジオ

私が日ごろ活動している「FM わぃわぃ」というコミュニティ放送局は、1995年の阪神・淡路大震災をきっかけに活動を開始した。災害を生き抜く上で、言葉、情報というのはすごく大切なものだ。大きなメディアは、被災地のことを、被災地の外にいる人たちに伝えるメディアだ。被災地の中にいると、日本語の分かる私たちでさえ、いったい今、何が起こっているのか分からない。ましてや、日本語のわからない外国人や、視覚や聴覚に障害があるような人たちには、もっと大きな壁は立ちはだかり、生き抜くのに欠かせない情報さえ、なかなか手に入らない。少数者への情報提供は、本来は公共の仕事のはずだが、国も兵庫県も神戸市も何もできなかった。そこで、言葉のわからない外国人に何とか情報を伝えていこうという思いで始まったのがこのラジオだ。外国人当事者と日本人のボランティアが、神戸市内に届く程度の範囲で、韓国・朝鮮語、ベトナム語、フィリピンのタガログ語、スペイン語、英語などの言語で放送を開始した。正式な放送免許を取る時間などなかったので、いわば海賊放送である。

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震災といえば、今から80数年前、1923年の関東大震災で何が起こったか知っている人はどれぐらいいるだろうか。当時、朝鮮半島から大勢の朝鮮人が日本に渡って過酷な労働を強いられていたのだが、震災が起こると、「朝鮮人が井戸に毒をまいた」「家に火を放った」などという、たいへんなデマが流れた。それを信じた日本人が、何千人もの朝鮮人を虐殺したといわれている。日本の多くの人たちは何となくしか覚えていないが、在日コリアンで、これを知らない人は誰もいない。再び大きな災害が起こったら、また同じようなことが起こるかもしれないと、どこかで感じている人もいる。

実際、阪神・淡路大震災でも、いろいろなデマが流れていた。情報が絶たれたときに、ポンと分かりやすい噂が流れると、それは瞬く間に人の心の闇の中に入り込んでしまうものだ。日ごろから「異物」だと感じている人に関する噂であればなおさらである。それを食い止めよう、より多くの人に自分たちで正しい情報を伝えよう、そうした思いがこのラジオの背景にあった。


自分たちの言葉や文化を取り戻す

毎年12月になると、駅などに「人権週間」というポスターが貼られるのを見たことがあるだろう。1948年12月10日に国連で採択された「世界人権宣言」にちなんで行われているものだ。世界人権宣言とは、一人ひとりの生きる権利を大切にしていこうと世界が宣言したもので、その宣言文にはこうある。

「すべての人は、意見および表現の自由に対する権利を有する。この権利は、干渉を受けることなく、自己の意見を持つ自由ならびにあらゆる手段により、また、国境を越えると否とにかかわりなく、情報および思想を求め、受け、および伝える自由を含む」

この中でも特に大事なのは、「すべての人は」という部分だ。こう言われたとき皆さんは、例えば被差別部落出身の人、朝鮮籍の人たちなど、しばしば社会の中で端に追いやられ、大きなメディアにアクセスしにくい人の存在を思い浮かべることができるだろうか。

もう一つ大事なのは「あらゆる手段により」という部分だ。その手段の1つに放送がある。電波というのは、一部の人たちが使っているもので、私たちはもっぱら受け手だと思っているかもしれないが、世界では今、電波を多くの人に解放すべきだという運動が盛んになっている。

例えばメキシコでは、中央政府の力でスペイン語化が進み、先住民の言葉が失われつつある中で、コミュニティラジオを通して民族の誇りを伝えようという活動がある。マサテコ村という先住民が住む村にもメキシコシティから派遣された教師がやってきて、「先住民は貧しい。マサテカ人の文化は劣っている」と、徹底的に尊厳を奪われるような教育をされるのだという。先住民征服の道具として教育が使われていると考えた村人は、「それに対抗する手段として、コミュニティの中でメディアを持つんだ」と言っている。メディアを使って、自分たちの言葉で、自分たちの言葉や文化を復活させていく。メディアの役割とは、本来そういうものだと思う。

日本にはアイヌという先住民がいるが、国に認められたメディアはない。唯一あるのは、ミニFM放送局のFM ピパウだが、放送しているのは月1回、第2日曜日の11~12時までの1時間のみで、放送エリアは半径200メートル程度とごく限られている。電波の届く範囲に暮らすのは3世帯ぐらいしかいない。放送免許がないため、これぐらいの規模でしかできないのだ。これはとても大切な放送なので、現在はインターネットを使って「FM わぃわぃ」で同時放送し、それを電波の届かないところに住むアイヌの人などに聞いてもらっている。

台湾やカナダやオーストラリアやノルウェーや、多くの先住民が住む地域では、こうした取り組みを支える仕組みが整っているのだが、日本政府は消極的だ。2007年に国連で採択された「先住民族の権利に関する国連宣言」の第13条には、「先住民は、彼(女)らの歴史、言語、口承伝統、哲学、文字体系および文学を再活性化し、使用し、発展させ、それを未来世代に伝達する権利ならびに、彼(女)ら独自の共同体名、地名、そして人名を選定し、かつ保持する権利を有する」と明示されている。この宣言には日本も批准しているのだが、なかなか具体的な動きになっていないのが現状だ。


異文化間の対話が社会を強くする

もう一つ世界的な流れを見ると、昨年の秋の欧州議会で、加盟するすべての国に対して、コミュニティメディアについての制度を法制度化しようという決議がなされた。イギリスやフランス、イタリア、ドイツは、1960年代以降、長いロビー活動や政策提言活動、さまざまな市民運動によって、コミュニティメディアが法制度化されてきたが、遅れてEUに入ってきた東欧諸国でも、そうした制度化を進めていこうという決議だ。条文には次のようなくだりがある。

「コミュニティメディアは、文化的および言語的多様性、社会的受容性、そして地域的アイデンティティを強化するための有効な手段であり、それゆえにセクター自体が多様性に富んでいる。コミュニティメディアは特定の集団のアイデンティティ強化に役立ち、難民、移民、ロマやその他の民族的および宗教的少数者など、排除により脅かされるコミュニティに関して、マスメディアが植えつける誤った考えを正し、否定的なステレオイプの解消に努め、一般市民を教育することにより、コミュニティメディアは異文化間対話を促進する」

ここでうたわれているのは、社会が多様化していく中では、異文化間の対話がいかに社会を力強くしていくか、土台のしっかりした持続可能な社会づくりに欠かせないものであるか、ということだ。一様な考え方は非常に危うい。多様な人々がいるのであれば、その人たちの声をしっかり反映させて、異文化間対話を図っていくべきだと指摘されているのだ。社会をより豊かにしていくためには、声なき声に耳を傾け、多様な声を可視化する必要がある。


頭ではなく体で感じよう

海賊放送で始まった「FM わぃわぃ」は、開局1年目にして政府から認可が下り、正式に開局することができた。それまで日本人と外国人が一緒になって共同作業をして、何かを勝ち取ったという歴史はほとんどなかったように思う。どんなに長く日本に住んでいようと、外国人が自前のメディアを持つことは、日本の法律では許されていなかった。それだけに、外国人にとっては、「ついに認められたんだ!」という思いが強かった。

ただし、近隣に住む圧倒的多数の日本人にとっては、正直ピンと来ない人が多かっただろうと思う。多文化共生に反対はしないが、毎晩遅くまでサルサの音楽を鳴らして踊っているような人が隣に住むのは迷惑だ、と思う人も多い。南米から来た人みんなが夜中までサルサを踊っているわけではもちろんない。それでも、ある種のイメージが先行してしまい、多文化共生についても総論では賛成だが、各論になるとネガティブな反応を示すことがよくある。

では、どうしたらいいのか。結局は小さな取り組みを積み重ねていくしかない。よく「3F」という言い方をするのだが、ファション、フード、フェスティバルという3つを介した対話から始めるのがいいだろう。「人権問題」を前面に押し出しても、多くの人たちには伝わりにくい。頭ではなく体で、どれだけ多文化を感じ取れるのかが大事だ。対話を通して少しでも共感が芽生えると、徐々に相互理解が生まれ、やがて街中に日本語以外の標識を増やすよう役所に働きかけるとか、コミュニティラジオを一緒にやってみるとか、行動を共にする機会が出てくるかもしれない。そうしたことを繰り返していくうちに、多様な人々が共生できるように社会のルールを変え、それが施策となる、というプロセスをたどることになるのではないか。そういうところから対話を始めるしかないと思う。

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配布資料

多文化・多言語コミュニティを結ぶメディアの試み(PDFファイル 約678KB)


「私が考えるサステナブルな社会」

FM わぃわぃを「地域の人のメディア」というだけでは、多数派の番組ばかりになってしまいます。そうならないよう、外国人などの枠を確保する基準をつくっていますが、こうした「アファーマティブ・アクション」がなくても、いろいろな人が地域に居場所を持てる社会が本来の姿だと思います。


「次世代へのメッセージ」

多様な考え方こそが強い社会をつくります。そのためにも、ファッション、フード、フェスティバルなど、身近なところから対話を始め、多様な文化があることを頭ではなく体で感じてみてください。社会の変化は、小さな対話の積み重ねからしか生まれてこないと思います。


◆受講生の講義レポートから

「私の研究室にもアフガニスタンの留学生がいるのですが、もっと彼女たちの立場に立って考えなければ、と改めて思いました」

「『○○人』という区別が、生活や認識にどのような影響があるか、具体的に考えることができました。特に、多文化共生はマイノリティのためではなく、自分を含む社会全体のため、という考え方に共感しました」

「『周辺化』されていることを可視化するのは、社会が足りないものに気づくため、とのことですが、結局は『価値創造』という点に集約されていくと思います。これは『持続可能性』と同じ意味なのではないかと思いました」


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