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僕が15歳で社長になった理由--ハンディキャップを『障害』にしない社会を

ダイワJFS・青少年サステナビリティ・カレッジ 第3期・第5回講義録

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家本賢太郎氏
株式会社クララオンライン代表取締役社長

1981年生まれ。11歳でパソコンやネットワークに関心を持ち、15歳でクララオンラインを設立。14歳で脳腫瘍の摘出手術を受けた際に車椅子生活になるも、18歳で奇跡的に運動神経が回復し車椅子が不要に。1999年1月、米Newsweek誌にて「21世紀のリーダー100人」に選ばれている。2007年3月早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修了。

◆講義録

今日は、株式会社クララオンラインで、どういうダイバーシティを実現しているのかについて、うまくいっているところと、残っている課題と両面からご紹介したい。

僕たちの会社は、インターネットサーバのホスティングサービスを事業の柱にしている。創業12年目、グループ全体の従業員が100人ほどのベンチャー企業だ。大企業のように、会社が何でも世話をしてくれるのではなく、社員一人ひとりが自発的に動かないと、組織自体が回っていかないような規模であることを念頭に聞いていただければと思う。


元・野球少年が起業に託した夢

最初に、創業にいたった経緯を少しお話ししよう。幼いころは「大人になったらプロ野球の選手になりたい」と思っていたのだが、脳腫瘍を患い、その手術の最中に起きた事故が原因で、下半身不随になってしまった。「野球で飯を食いたい」という夢が破れ、お先真っ暗な気分で過ごしていたころに出会ったのがパソコン通信だ。当時はまだ、日本人の同世代でメールを使う人は限られていたため、ひどい英語を駆使して海外の同世代の仲間を探すなどして、13~14歳のころは、ベッドの上でパソコンに向かう毎日だった。

この経験がきっかけで、IT関連の仕事を興して、社会と接点を持つという新しい生き方を模索することになる。「金儲けしたい」という欲よりも、仕事を通じて社会と接点を持つことによって、自分が生きていることを確認したいという気持ちで、15歳で会社を立ち上げたのだ。

出身地の名古屋で創業した後、東京に本社を移して今年で4年目となる。海外ではシンガポールと台湾に子会社を、上海とマレーシアのクアラルンプールにデータセンターを構えている。

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国内単体、つまり株式会社クララオンラインという会社では約2割、グループ全体では約4割の従業員が、日本以外の国籍を持っている。シンガポール、台湾、中国、マレーシアはもちろん、フィリピン、インドネシア、ロシア、フランスなど、アジアもヨーロッパもいろいろで、現在10を超える国籍を持つ従業員が働いている。

「なぜ外国籍の人間を雇うのか」とよく聞かれるが、日本人だけでは賄えなかったというのが正直なところだ。操業間もないころの会社は、本当によちよち歩きで、15歳の社長の会社に来てくれる人はなかなか見つからなかった。地元の大学の先生にお願いして、たまたま就職先が決まっていないポーランドからの留学生を紹介され、来てもらうことになった。それがきっかけで、外国籍の従業員が徐々に増えていった。


「外人」とは誰か

創業後、5~6年もすると、従業員を日本国籍の人に限る必要はまったくないと感じられるほど慣れてきたが、当初はいろいろな苦労も経験した。

まず、住居の問題がある。名古屋にいたときは特に、不動産屋に外国籍の従業員を連れて行くと、露骨に嫌な顔をする人がたくさんいた。東京ではさすがに少ないが、ギリシャ人を連れて行った下町の不動産屋で、ぱっと顔を見るなり断られた経験もある。こうした問題は、残念ながらまだ解消されていない。僕たち自身の認識不足から来るものだと思う。

僕は、「外人」という言葉は使わない。国籍がどこか、母語や母国語は何語なのか、あるいは主にどこの国で生活してきたのか、こうしたさまざまな視点での整理の仕方が染み付いていて、それによって「外国籍」「外国人」という言葉を使い分けている。

僕の妻は韓国籍の在日3世だが、ずっと日本で生活しているので韓国語は使えず日本語しか話さない。それでも日本籍は持っていないので日本人とはいえない。帰化する予定もないので、おそらくずっと韓国籍のままだろう。

そういう人たちに対して、日本の企業の頭の整理は一般に大変遅れている。だから、僕の会社でもよくあるが、在日の人が求職の履歴書を送ってくる際は、日本の名字のような通名を使っていることが多い。


価値観の違いをどう評価するか

もう一つ苦労した点は、評価システムに関するものだ。誤解を恐れずに言うと、やはり社会システムが違う人たちと一緒に働くのは、とても大変だった、という実感がある。

例えば東欧やベトナム、旧ソ連など、日本と社会システムが大きく違う地域から来た人たちは、働き方という点で、ずいぶんと感覚が違う。最近の日本では、「こういう結果を出したから、あなたの評価はこうです」という考え方が一般的な流れだろう。だが、僕の会社には、「与えられた仕事を100%こなしていたので、期待以上の成果を出したかどうかは何も関係ないですよね」という感覚を持つ人もあり、こうした「常識」のずれが評価の難しさにつながっていた。

こうしたことについては、とにかくコミュニケーションを重ねるしかなかった。いろいろな文化の人がいる中で、「あなたと私はわかり合えている」と勝手に思い込んでいると、うまくいかないことが多い。暗黙知では伝わらない。きちんと言葉にして、自分の言いたいことを表現すること、さらに、相手が理解したことを確認するまでがコミュニケーションなのだろうと思う。

ずいぶん時間とコストがかかりそうだと思われるかもしれないが、それは多国籍の人が多く働く会社の宿命だととらえている。そのコスト以上に、いろいろな人が働いていることで会社が強くなることのほうが重要だ。


ダイバーシティの意義

「ダイバーシティの意義は何なのか」をずっと考えてきて、今のところの結論は、コミュニケーションを大切にする文化が育つことだろうと思う。コミュニケーションを取らざるを得ないからこそ、こうした文化が生まれ、その結果、組織の強さを生んできた。

外国人がたくさんいることで、ダイバーシティの先進的な企業であるかのような評価をいただくこともあるが、僕たちが本当にダイバーシティで成功しているのかどうか、常に疑問を持ち、今の課題は何かを考えるようにしている。確かに2割の従業員が外国籍だが、それだけではなく、組織が強くなければ意味がないと思う。

皆さんも、これから社会に出ると気づくと思うが、どんな組織にも上下関係があり、部門や事業部に分かれていて、組織の中の隔たりができるものだ。僕たちのような100人規模の組織でも、役員、本部長、部長、現場という具合に、上から下まで4階層ある。すると、「現場の思っていることを社長はわかってくれない」とか、社長の立場からは「私の思いがなかなか現場に伝わらない」など、コミュニケーションの乖離が起こりかねない。

ところが僕たちは、もともと暗黙知では仕事が回らない組織なので、とにかく歩きながらでもたくさん話す。どんどん自分の思っていることを伝えて、相手の意見を聞く、ということを繰り返すことが当たり前になっている。たくさん話す分だけ、現場の意見は聞こえてくるし、逆に僕の意見を現場が吸収してくれるスピードもとても早い。組織を強くするという意味で、少し遠回りだったかもしれないが、ダイバーシティを大切にしてきたことが正解だったのかなと思っている。


日本語という「言葉の壁」

今の日本から想像すると、あと数年もしたらダイバーシティ先進国になっている、という状況ではなさそうだ。そもそも多くの日本人は、多様性があるという社会を実際に見たことがなく、イメージをつかみにくいのではないか。僕も実は、2006年にシンガポールの会社を買収するに当たって、頻繁に現地に足を運ぶようになって初めて、自分が期待していた多様性のある社会に近いイメージを見たように思う。シンガポールは、7割は中国系だが、ほかにもいろいろな国の人たちが、いろいろな言語を使って働いていて、人口480万のうち、5人に1人は外国籍という状況だ。

シンガポール政府は、外国籍の従業員の受け入れを促進する一方で、その割合が50%超えると罰金を課すという、ちょっと矛盾した政策を取っている。われわれのシンガポールのオフィスも、シンガポール人と外国籍の割合がちょうど半々ぐらいだ。

彼らのコミュニケーションを見ていると、実にいろいろな英語が飛び交っている。中国出身の社長が使う英語には強い中国なまりがあり、エンジニアのトップはロシア人なので、彼の英語はやはりロシア語っぽい。インドネシア国籍の販売担当の責任者は、また違う英語を話す。

ここでふと気がついたのは、英語の許容範囲の広さだ。国土の広い地域で使われる中国語も同様だ。それに対して、日本語の許容範囲はかなり狭いのではないか。日本語を母語としない人の話す、なまりや独特のアクセントのある日本語に対して、違和感を覚える人が多いように思う。例えば東京出身の人が東北弁や関西弁を理解できるなら、中国なまりの日本語を許容できてもいいだろうに、現実はそうでもなさそうだ。僕は、これが変わっていかないと、多様性のある組織という話には進んでいけないだろうと思っている。


「仮想移民」が始まっている

もう一つ思うのは、日本は移民政策について、はっきりとした方向性が定まらず、非常にあいまいな状態で物事が進んでいるが、実際はすでに「仮想移民」が始まっているということだ。例えばコンビニエンスストアやファミリーレストランでは、日本語を母語としない人たちが働いているのが当たり前の光景になっている。国がどうこう言う前に、受け入れ体制のあるところでは、すでに始まっているのだ。

シンガポールの例を一つの参考としてお伝えしたが、あれが理想の姿というわけでは必ずしもない。というのも、シンガポール政府は外国籍の人間を「調整弁」だと言い切っているのだ。従業員の割合を規制し、一定のパフォーマンスを発揮できない場合はビザを取り消すなどなど、きれいに国がコントロールしているのも、あくまで国益のために多様性を推進しているためだ。

僕たちは、会社という一つの組織の中で、いろいろな人の力を集めて強い会社をつくれるかにチャレンジしてきた。従業員は調整弁などではなく、むしろ、外国籍の人間がいないと会社が成り立たないという思いがある。

国策として、特定の職種や、特定の能力のある場合にだけ、外国籍の人たちを受け入れようとするのとは別に、ベンチャーや中小企業がもっと外国籍の従業員を雇って、ビジネスチャンスを広げていくという具合に浸透していかないと、日本における本当のダイバーシティは実現しないだろう。


◆配布資料

「僕が15で社長になった理由」(PDFファイル 約1.0MB)


◆私が考える「サステナブルな社会」

中小企業やベンチャー企業が一つ上のレベルを目指すとき、優秀な人材の確保が重要になりますが、その際に国籍などにとらわれずに、柔軟に対応していくことが、現状から脱皮していくために必要となります。そうやって各自が自らの意思を持って、底上げをしていくことのできる社会がサステナブルであると言えるでしょう。


◆次世代へのメッセージ

多国籍から成る組織では暗黙知での会話はできません。それゆえ対話が不可欠で、コミュニケーションコストがかさむものの、組織を強くするためには、そのコストをかけてでも形式知を上げることが必要です。ぜひ、若い皆さんには、対話を面倒がらずに、多様な価値観の融合から生まれる可能性を広げていってほしいと思います。


◆受講生の講義レポートから

「どんな場面でも、柔軟性や許容といったものが重要ではあるけれど、どこまで柔軟でいるべきか、どこまでなら許容できるかといった線引きが非常に難しい。特に外国人労働者の問題では、いろいろな背景を持った方がいるので難しいと思いました」

「一番の解決方法は、とにかくたくさんコミュニケーションを取ることだという点に勇気付けられました。自分がマイノリティになったとき、背中を押してくれそうです」

「多様性と単一的なコミュニティ(同じであることの安心感)のバランスをどう取るのか気になりました」

「日本語(というか日本人?)の許容範囲が狭いという話には納得しました。東北弁は聞き流せても、外国なまりはとても気になる。こんなところに、日本のダイバーシティを阻むものがあったのかと驚くと同時に、意識改革がいろいろと必要だと思いました」


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