震災からの復興

2016年11月21日

 

囲わず築いたコミュニティー

Keywords:  震災復興  教育 

 


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東日本大震災の被災者支援プロジェクト「JKSK結結プロジェクト」が、東京新聞への連載を通じて被災地復興の様子を伝える「東北復興日記」。今回は、2016年5月17日に掲載された、避難所の運営に関する工夫についてご紹介します。

災害はいつ訪れるか分かりません。東日本大震災当時、小学5年生だった男の子は、昨年3月に仙台で開かれた第3回国連防災世界会議パブリックフォーラムの壇上で「全てを想定内にしてください」と言っていました。「3.11」でも言い伝えに従って逃げた人は助かりました。地震国の日本には歴史にその教えがあります。利便性にとらわれたまちづくり・地域づくりを見直したいものです。

宮城県石巻市で暮らしていた私は東日本大震災で地震と津波に遭い、命からがら逃げ、今があります。当初、石巻市内だけでも259カ所の避難所に5万人を超す市民が身を寄せました。私は避難所生活7カ月の後、仮設住宅生活4年6カ月、そしてようやく1カ月ほど前に内陸部である大崎市内での本住まいを始めることができました。

最初の7カ月、石巻高校トレーニング室での避難所生活では、子どもを基軸にする「囲わない」運営をしました。段ボールや布のパーティションなどで囲わず、231人(うち高校生までの子どもが21人)で大家族のようなコミュニティーができました。

開放的な運営は、震災の9日後に避難所を訪れた医師で災害支援専門家のウニ・クリシュナンさんのアドバイスがあったからです。「災害時の支援は、人の権利や尊厳を根幹に置き、物資面・心理面両輪の支援が重要」と言われました。

夏休み期間は、子どもたちの居場所「いしのまき寺子屋」を避難所内に設け、首都圏の学校の先生たちが学習支援にも来てくれました。囲わないことで隣近所の顔が見え、子どもたちは安心し、元気でいることができました。私たち大人の折れそうな心をとどまらせてくれたのは子どもたちの存在でした。

東日本大震災圏域創生NPOセンター(いしのまき寺子屋)
事務局長 太田美智子

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