ニュースレター

2014年11月18日

 

本当の豊かさをもたらす経済とは? ~ 哲学者・内山節さんに聞く(前編)

Keywords:  ニュースレター  定常型社会 

 

JFS ニュースレター No.146 (2014年10月号)

写真:Economic Growth
イメージ画像: Photo by Simon Cunningham Some Rights Reserved.

JFSがアウトリーチ・パートナーとなっている幸せ経済社会研究所では、JFS法人会員でもあるパタゴニアと共に、「経済成長とは?~100人に聞く」プロジェクトを進めています。さまざまな分野の有識者など多種多様な方々に「経済成長をめぐる問い」を投げかけ、考えを共有いただくことで、みんなで経済成長について考えていくことを目的としています。哲学者である内山節さんのお考えをお伝えしましょう。

====

――経済成長とはどういうことでしょうか

経済成長は、単純にGDPが増えることであって、それ以外の定義はないと思います。

写真:内山節氏
内山節氏
Copyright 幸せ経済社会研究所 All Rights Reserved.

戦後の日本のように、敗戦後の混乱から出発すれば、経済成長によって、まずおなかがいっぱいになって、次にいろいろなものが買えて、そこに豊かさを感じるということがあり得ます。敗戦で社会的基盤が崩壊しているわけですから、ある程度安定するところへ持っていかないといけない。それは、数字的に見ればGDPの増大ですが、「社会の再建」とでも言うべきことでしょう。でも、それを過ぎれば、「経済成長」と「豊かさ」は本当につながっているのかなと思います。

――経済成長は望ましいものでしょうか

資本主義という仕組みは、それを放棄できないと思ったほうがよいでしょう。資本主義とは、市場で絶えず競争していく経済の仕組みだからです。市場で勝っていくためには、絶えざる価格の引き下げが必要です。そうすると、「GDP」というパイが増えない場合、企業内では価格を下げるために、合理化が進み、人が余ります。失業者が増え、賃金が下がります。

これは、放っておくと資本主義にとって命取りになります。1つには、社会的な安定がなくなるからで、もう1つには、失業者や低賃金者が増えると購買力が減るため、自分の市場を縮小させるからです。

ですから、競争に打ち勝ちながら、なおかつ、社会をうまく回そうとすると、GDPは絶えず増え続ける必要があります。そうしないと、資本主義は自滅しますから。ですから、それが正しいかどうかに関わりなく、資本主義という仕組みは経済成長を必要とするのです。

――その場合、経済成長は、いつまで、どこまで、必要なのでしょうか?

資本主義とは、「永遠の経済発展を目指す」メカニズムで行かざるを得ない仕組みになっています。当然、いろいろなひずみが出てきますが、それらをすべて無視せざるを得ません。

イギリスの産業革命期からあった議論ですが、「資本主義が永遠に発展していくとすると、その条件として、自然が無限でなければならない」。何をするにしても、資源は全部自然の提供物ですから、GDPの拡大を保証できるだけの自然が常になければならないということになります。

誰が考えても、「自然は無限にはない」ことはわかります。しかし、「自然は無限にあるものと仮定する」としたのです。そして、産業革命期から今まで、無限にあるかのごとく、時代が経過していきました。

この仮定には無理があることは、誰でもわかります。その無理を誰が解決するか?「それは科学の発展である」という論法だったのです。「科学の発展は、今われわれが気づいていない問題でも解決する」と、科学への丸投げですね。

科学への丸投げは、今でもあります。原発問題もそうです。核廃棄物が出ることはわかっているわけですから、事故を起こさなくても、将来どうするのか? が大きな問題です。しかし、「それは将来の科学が解決する」と、将来の科学に丸投げです。

――私は「白馬の騎士幻想」と呼んでいるのですが、「科学技術が解決してくれるに違いない」という考えですね。でも、本当に経済成長を無限に続けることは可能なのでしょうか。

1つの大きな転換が必要です。たとえば「日本経済は」「世界経済は」というレベルで考えると、資本主義のメカニズムを受け入れるしかありません。

僕の場合、群馬県の上野村にもう1つ、生活の拠点があります。「上野村の経済は」というレベルになると、「みんながうまくいけばいいじゃない」という、ただそれだけのことです。

GDPを増やすことは何も考えていません。村の資源を上手に使って循環系の社会ができればよい、誰も困らないで生きていければよい、と考えているだけです。自然とともに生きる幸せ感が地域にはあるし、共同体もまだしっかりしている村ですから、そういう幸せ感もあります。

ローカル世界を基盤にすると、拡大する必要の全くない経済を考えられます。「経済」としては、循環的に、とりあえず困らなければいいじゃないという感じで、あとは、「どういう地域社会をつくるか」で住んでいる人たちの幸せ感が出てくるのです。

上野村では、「経済をどうするか」という問題と、「自分たちの社会をどうつくるか」という問題が、かなり一体的に考えられています。「経済がすべてじゃないよ」とみんな簡単に言えるのは、もう1つの社会形成の部分をみんなが知っているからです。

それに対して、巨大スケールの経済は、数字で把握するしかありません。「GDPが増えなければ失業者が100万人増える」という具合です。そして、それをまた数字で解決しようとします。すると、GDPが増えないと、つじつまが合わなくなってきます。

「巨大スケール」での考え方と、「スモールスケール」「ローカルレベル」での考え方は、まったく違うということです。近代は「巨大スケール」で動いてきた時代ですが、今「スモールスケール」で考える人たちが出てきました。

日本も昔は、ほとんどの地域に「ローカル商圏」がありました。「日本中の経済が巨大スケールをにらみながら行く」となったのは、高度成長期の後期からでしょう。

今「ローカル商圏に戻れるところは戻ったほうが有利だ」ということがわかってきました。東京などには、「ローカル商圏に戻れるのか?」という問題がつきまといますが、上野村のような規模ではできます。

もちろん上野村だって、外から買わないといけないものもありますから、その分は何か村から出すことになります。その場合、「上野村から年間1億円の農産物が出荷された。その代わり、外から1億円買わなければいけないものもある」というように、「地域の経済」としてとらえていくのです。

1億円分を村から「輸出」する場合、何が輸出可能か? を考えます。自然を守ることを前提にしながら、何が出せるか? 現在のうちの村だと、キノコ類を中心とした農産物、一部の加工食品、あとは観光ですね。そのあたりで、自分たちが外から買わなければいけない分だけお金が入ってくればいい。「ローカル地域」という単位で考え、そこで帳尻が合っていればいいわけです。

====

経済成長への考え方には大きな転換が必要、という観点から、地域を基盤とした拡大する必要のない経済の事例として、群馬県上野村の事例があがりました。

次号では、さらに議論が発展し、共同体の社会から個人の社会になったことの弊害や、持続可能で幸せな社会と経済との関係性についての話題をお届けします。どうぞお楽しみに!

後編に続く)

100人に聞く「経済成長の必要性」(幸せ経済社会研究所)より
http://ishes.org/project/responsible_econ/enquete/

写真:道の駅上野
イメージ画像: Photo by Filler Some Rights Reserved.

(編集:枝廣淳子)

English  

 


 

このページの先頭へ