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豊かな森を次世代へ

日本熊森協会は、クマをシンボルに、奥山の生態系保全と復元に取り組んでいる自然保護団体だ。奥山の自然が今どうなっているのか、ツキノワグマをはじめとして、そこに暮らす生きものたちがどういう環境に置かれているのかを、私の経験に即してお伝えしようと思う。

●ツキノワグマが絶滅寸前!

公立中学校で理科教師をしていた私が、どういうきっかけでこうした活動に取り組むようになったのか。1992年、兵庫県尼崎市の中学校に勤めていたとき、1枚の新聞記事に作文を添えて提出した女生徒があった。その記事には、射殺されたクマを笑顔のハンターが持ち上げている写真が掲載されていた。きっと胸の痛む話に違いないと気が進まなかったが、作文に返事をしないといけないため、恐る恐るその記事に目を通してみた。

その記事によれば、日本の奥山の多くが、戦後の拡大造林という国策によって、スギとヒノキだけの人工林に変わってしまっているという。人工林にする前の奥山は、広葉樹を中心とした豊かな自然の中で、さまざまな動植物が共存していた。ところが、自然の森が皆伐され、針葉樹だけが植林されるようになると、森の生態系が壊され、多くの野生動物の生息域が失われていった。

人里にクマが下りてきて、人間の生活を脅かしているというが、実は餌場を奪われ空腹に耐えかね、やむを得ず餌を求めにきているに過ぎない。それにもかかわらず、数が増えすぎて森からあふれたクマが農作物を荒らしていると誤解され、有害獣として駆除されているという実態がある。

生態系が破壊され、最初に被害を受けるのは大きな動物だ。まずツキノワグマから絶滅が始まった。先の新聞記事によれば、拡大造林が最初に行われた九州ではすでに絶滅し、四国ではあと十数頭を残すのみ。兵庫県では推定あと60頭しかいないという。まだ結構いるじゃないかと思われるかもしれないが、こういう大型動物は、300頭を割ると近親結婚が増えるため絶滅が始まり、100頭を割ると、もう絶滅は避けられないといわれている。新聞記事には、兵庫県のツキノワグマは「絶滅寸前」とあった。

●ようやく届いた生徒たちの声

理科教師なのに、こうした状況を知らなかった私は衝撃を受け、女生徒の作文と新聞記事をほかの生徒にも配ったところ、数人の生徒たちが「かわいそうなクマを助けてやろう」と言い出した。だが当時の私は、こうした問題に真剣に取り組んでいる保護団体があるから、そういう人に任せておけばいいと思い込み、生徒にもそう答えていた。ところが調べてみると、クマを守ろうという団体は日本にはなく、このような問題はメディアで報道されることもほとんどないことが分かってきた。一方で、生徒たちからは「クマを守れっていう人現れた?」と会うたびに聞かれ、だんだんと追い詰められた気分になっていった。

「正しいと思うことは、たった一人でも声をあげよう」と、ことあるごとに生徒たちに言ってきた私は、こうなったら自分から声を上げるしかないと覚悟を決め、同僚の先生にも呼びかけて「野生ツキノワグマを守る会」を立ち上げた。すると生徒たちも会に入りたいという。しかし生徒を扇動したと思われるのも困るので断ったところ、彼らは数名ずつのグループに分かれ、「野生動物に山を返そうの会」だの「ツキノワグマよみがえれの会」だの、次々と生徒だけの保護団体を結成していったのだ。

私たちは「絶滅寸前兵庫県ツキノワグマ捕獲禁止緊急要請」という署名文をつくったが、実際にたくさんの署名を集めてきたのは生徒たちだった。連日スーパーや駅前に立ち、家を一軒ずつ訪ねては、必死に署名を集め続けた。このころにある生徒が言った言葉は今でもよく覚えている。「僕らは寿命まであと70年ぐらいあるのに、今の自然破壊のペースを見てたら、僕らは寿命まで生き残れない。」

当時兵庫県では、狩猟と有害駆除で年間約30頭のクマが殺されていた。すでに60頭しか残されていないのだから、絶滅が時間の問題であることは小学生にも明らかだ。生徒たちは署名を持っていき県の林務課に訴えたが、これからも人工林を植えていく方針に変わりはないという答えで、結局私たちの主張は何一つ受け入れられなかった。それでも生徒たちはへこたれることなく、逆に闘志を燃やし、信じられないような猛勉強を始めたのだった。

その甲斐あってか、最後の手段と思って直訴した県知事(当時)が生態学を理解している方で、生徒たちの意見をきちんと受けてとめてくれたことから、ようやく流れが変わっていった。その後、兵庫県で行われた全国植樹祭で、当初はスギを植える予定だったのが初めて広葉樹に変更された。さらに、植樹祭に来られていた両陛下へも生徒たちの手紙を渡し、そのことが新聞記事になったことから、環境庁が兵庫県でのツキノワグマ狩猟禁止令を発令するにいたった。

●植物+動物=森

その後私は一人で全国の森を訪ね、地元の人の話を聞いて回った。そうした中で、日本がこれだけ豊かになれたのは、先祖代々が自然の森を大切に残してくれていたおかげだと気づいていく。

わずかに点在する、クマが棲む原生林に初めて入ったときは、「これが本当の森なんだ!」と感動したものだ。森中がしっとりと湿り、あちこちから水が湧き出している。森の中にいったんしみこんだ雨水は、たくさんのミネラル分を含む、滋養豊かな湧き水となって川に流れ出る。この水で農業をすると作物がよく育つ。大量の水を必要とする工業を支えてきたのも、豊かな森から湧き出る水だ。森は動物たちに住処と餌を提供するだけではなく、人間の生活にも不可欠なものだ。そしてその森は植物と動物に支えられている。両者が密接な共生関係に立って、初めて豊かな森が生まれる。動物が消えたら、森も消えてしまうだろう。

残りわずかな奥山を守り、人工林となった森を元の豊かな森に復元しようと、学者の先生たちに訴えたが、誰ひとり動いてくれる人はいなかった。このころに出会ったのが、『アメリカの自然保護運動』(岡島成行著)という本だった。研究者や行政ばかりにお願いしていたけれど、「そうだ、守るのは市民なんだ」と気づいて、1997年の春、「日本熊森協会」を立ち上げた。大学生になっていたかつての教え子たちも、私の声かけに応えて戻ってくれた。

まず私たちは、兵庫県内でクマを殺せという声が一番大きい町に出かけた。昼間はまったく姿を見せない動物たちが、夜になると農作物をねらって里に下りてきていた。農家の人たちは、「国の言うとおりにスギを植えてきたのに、安い外材に押されて林業は崩壊寸前、農業も鳥獣被害で成り立たない」と嘆いておられた。そこで、動物たちが農作物を荒らさないで済むよう、奥山にもう一度餌となる実のなる木を植えてみようと提案してみた。地元の人はとても喜んでくれたものの、過疎地のために住民は高齢化していて、とてもそんな力もお金もないという。そこで熊森協会では、「動物たちに帰れる森を、地元の人々に安心を」を合言葉に、都会に住む人に協力してもらって、ミズナラ、クヌギ、コナラ、オニグルミなどの実のなる広葉樹の苗木を次々と植えていった。

●人間にできるのは手を貸すことだけ

奥山の放置人工林の6割を間伐し、広葉樹の苗木を植林して2年も経つと、植えてもいない木が生えてきたり、虫やウサギなどの小動物も帰ってきたりと、目に見えて森が元気になってくる。一方では、新潟など日本海側を中心にどんぐりの木がどんどん枯れ、真夏だというのにまるで紅葉のようになっている。温暖化の影響だろうと言われているが、マスコミに取り上げられることもほとんどない。さらに、林野庁による原生林の伐採は今も続いている。

これでは日本から原生林が消えてしまうと、熊森協会では奥山水源域の大規模なトラストも始めた。2006年から、兵庫だけでなく、富山、静岡など合計で1244ヘクタールもの、巨木が立ち並ぶ原生林を買い上げ、手つかずで保全している。

近ごろでは、里山を守ろうという声をずいぶん聞くようになってきたが、奥山こそ都市住民にとっての生命線だ。一方でもちろん国産林業も大切にしていかなければならない。つまり、手つかずのまま守る奥山と、人間の暮らしに利用しながら、動物たちとも共存して保全していく里山とを分けて考える必要があるだろう。植林をして林業に利用するのは、せいぜい山の3割ぐらいまでに抑え、持続可能な林業にしていかないとならない。

これまで熊森協会では、手探りで森を守る活動を続けてきた。国では野生鳥獣の数を調整しようとしているようだが、非常に複雑な生態系を人間がコントロールできるはずなどないと思う。私たちにできるのは、森の復元にほんの少し手を貸すだけで、その後は無数の動植物たちが豊かな森にしてくれるのを見守るだけだ。これからも、もっともっと多くの人の力で、私たちの生活をも支える豊かな森を守っていきたい。

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